『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑲ 『日本の最も長い日(1945年 8月15日)をめぐる死闘―終戦和平か、徹底抗戦か④』
2017/07/13
『日本の最も長い日―大日本帝国最後の日(1945年
8月15日)をめぐる攻防・死闘―終戦和平か、徹底抗戦か④』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
大日本帝国の最期 東郷が口を開く。
「実は今朝、陛下に内奏したとき、陛下は先方の回答のままでよろしいとおっしゃったので、自分もその方針で進んでいたが、その後、総理に阿南や平沼が反対論を唱え、総理が午後内奏したときには、陛下も、それでは、よく研究するようにといわれたとのことだ。かくなる上は自分も外務大臣を辞めるほかはない」
大臣の意外な言葉に驚きながらも、松本は力強く諌めた。
「いま大臣が辞めたらどうなるのです。絶対に頑張って下さい。
私たちも頑張ります。いずれにしても、まだ先方の回答は公式には来ていないのです。
今日は、大臣は静かに休んで下さい。
公電は、私の考えでは六時ごろ着く見込みですが、明朝、着いたことにして各方面へ配布しますから…。
今夜は最終的な決定をしない方が有利だと思います」
松本次官は、表面的には明るい調子で大臣を慰めていながら、自身は絶望的な気分に覆われてくるのをどうしようもなかった。
松本次官は大江電信課長を呼び、スイスの加瀬公使とスウェーデンの岡本公使から連合国側の公式回答文が届いたら、十三日の朝の日付で配布するよう命じ、六時過ぎに外務省を出た。
首相官邸で鈴木首相に会うためである。
官邸に着いた松本は、まず迫水書記官長に二、三の電報を見せ、「総理にも見せた
いから」と口実を設けて総理の部屋に入った。
「鈴木総理はひとり薄暗い部屋にボツネンとしていたが、私が入ると『おすわり下さい』と丁寧に迎えてくれた。
・松本俊一手記によると
総理とは枢密院副議長時代、私は条約局長としてしばしば色々な問題の相談を行った間柄で、その時代もすこぶる親切に私のいうことを聞いてくれた。
私は形勢の極めて逼迫して、再交渉の余地のないこと、又先方の回答は決してわが国体を即座に破壊しようとするものでないこと等、私の考えを述べて、総理が偉大なるステーツマンシップを発揮せられて、先方の回答をそのまま、呑むことに決意せられたいと懇願した。
総理は自分もあなたの考えに同感であるが、阿南君、平沼君等強硬意見もあって伸々困難だと苦衷を述べた。私は重ねて懇願したが、総理にはその時既に期する所があった様に思われた」(松本俊一手記)
松本次官が鈴木首相に「懇願」していたころ、松平康昌内府秘書官長が外務省を訪れ、東郷外相に「寸刻でいいから」と面会を求めてきた。東郷が辞意を漏らしたと聞き、激励に来たのである。
「日本には『カケコミ訴え』ということがある。外務大臣として、『カケコミ訴え』をやって御覧なさい。陛下は待っていらっしやるかも知れぬから」という。
そうはいわれても、軽はずみにカケコミ訴え(単独上奏)はできない。
東郷外相は松平秘書官長が部屋を辞すと同時に、宮中の木戸幸一内大臣に、この日2度目の面会を申し込んだ。
そして、朝からの経緯を話し、鈴木首相も平沼枢相の意見に同調しているようであり、戦争終結に導けるかどうか疑問であるといった。
鈴木首相が拒否派の意見に引きずられていると、聞いて、木戸も驚いた。
陛下の意図は改めて伺うまでもなく、全面受諾で固まっている。
木戸は「自分から鈴木首相を説得しよう」と東郷にいい、この夜の九時半から鈴木・木戸会談が行われた。
『木戸口述書』ではどうなっているのか。
「鈴木首相は午後九時半にようやく来られました。首相は今日種々協議せられた経緯に就いて話があり、国体論者の論には余程閉口して居る様でありました。しかして、私は次の如く力説しました。
『私は国体論者の論を軽視するのではないが、外相の研究によれば差支えないということである。
この危急の場合、個人々々の意見に左右せられて居てはまとまりは到底着けられない。
故に、責任当局たる外務省の解釈を信頼するより外に道はないと思う。又今日となればこれを受諾せず戦争を継続すれば、更に爆撃と飢餓のため、無事の民を数千万犠牲にせねばならぬ。
しかるるにこれを受諾することにより、万一国内に動乱の起るとも吾々が生命をなげれば良いのであるから、この際、迷うことなく受諾の方針を断行しょうではありませぬか』
これに対して首相も力強く『やりましょう』といわれましたので、私は大いに意を強くし
たのでありました。
この頃より統帥部は著しく其態度が硬化し、最高戦争指導会議の開催が困難となって来ました。これまた、私にとつては一つの心配の種でありました」
外務省に待機する東郷外相に、木戸内大臣から「鈴木首相が受諾に同意した」旨の電話が入ったのは午後9時45分であった。東郷は胸をなでおろし、長い一日をふり返った。
昭和二十年八月十二日、この長い一日が日本の「十五年戦争」を終結させたキーポイントの日だったのである。
関連記事
-
-
『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーター』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス⑧』★『ル大統領、講和に乗りだすーサハリン(樺太)を取れ』●『外交の極致―ル大統領の私邸に招かれ、親友づきあい ーオイスターベイの私邸は草ぼうぼうの山』 ★『大統領にトイレを案内してもらった初の日本人!』
2017/06/28日本リーダーパワー史(836)人気記事再録 <日 …
-
-
速報(71)『日本のメルトダウン』「放射能の未知なるものが、日本に重くのし掛かる」<ニューヨーク・タイムズJune 6, 2011>
速報(71)『日本のメルトダウン』 重要レポート●『Radiation&rsqu …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史]』(22)記事再録/『辛亥革命から100年 ~孫文を助けた岡山県人たち~』(山陽新聞掲載)
【紙面シリーズセミナー】 辛亥革命から100年 孫文を助けた岡山県 …
-
-
トランプ大統領誕生で『日本沈没は加速されるか』「しぶとく生き抜くか」の瀬戸際(下)「トランポリズム(Trumpolism/トランプ政策を指した俗語) はどこまで実行されるのか、世界をかたずを飲んで見守っている。『米国はTPPの離脱を表明、仕切り直しに取り組むしかないー「自由貿易は日本の生命線」』
トランプ大統領誕生で『日本沈没は加速されるか』「しぶとく生き抜くか」の瀬戸際 …
-
-
高杉晋吾レポート⑱ルポ ダム難民②超集中豪雨の時代のダム災害②森林保水、河川整備、住民力こそが洪水防止力
高杉晋吾レポート⑱ ルポ ダム難民② 超集中豪雨の時代のダム災害② …
-
-
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』⑳「伊藤博文統監の言動」(小松緑『明治史実外交秘話』)⑤ハーグ密使特派事件の真相ー韓人韓国を滅す事態に
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』の …
-
-
『Z世代のための百歳学入門』★『「財界巨人たちの長寿・晩晴学』★『〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し』★『伊庭貞剛、渋沢栄一、岩崎久弥、大倉喜八郎、馬越恭平、松永安左衛門―』
2012/12/29 百歳学入門(62)記事再録 ★『 …
-
-
<F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(204)>★『2017年,7年ぶりに、懐かしのアメリカを再訪,ニューヨークめぐり(5月GW②』★『コニーアイランドとNathansのホットドッグやシーフード、ブルックリンとイーストリバー、9.11 跡地、Staten島往復‥
2017/05/12 記事再録・再編集 『ブルックリンからイースト …
-
-
日本リーダーパワー史(578)「日本開国の父」福沢諭吉/救国のインテリジェンス「朝鮮の交際を論ず」この国家リスク管理が明治発展の原典
日本リーダーパワー史(578) 「日本開国の父」福沢諭吉の救国インテリジェン …
-
-
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集④●『他人の不幸による、漁夫の利を占めるな』小平浪平(日立製作所創業者)ら10本
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集④> 前 …
