前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(656)「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』のトップリーダーの違い」日本は、昭和に入ってなぜ破滅の道を歩んだのか。 『栄光の明治』と、『坂の上から転落した昭和の悲惨』

   

 

日本リーダーパワー史(656)

「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』のトップリーダーの違い

日本は、昭和に入ってなぜ破滅の道を歩んだのか。

『栄光の明治』と、『坂の上から転落した昭和の悲惨』

 

日本リーダーパワー史(194)
<国難を突破した吉田茂の宰相力、リーダーシップとは・・>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2913.html

 

日本は、昭和に入ってなぜ破滅の道を歩んだのか。

『大日本帝国の興亡』を身をもって体験した戦後最大の宰相吉田茂は『栄光の明治』と、

『坂の上から転落した昭和の悲惨』の違いを次のように分析している。

吉田は述べる。

「明治の指導者は大局を見るの明があった。伊藤博文、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87

陸奥宗光

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%A5%A5%E5%AE%97%E5%85%89

小村寿太郎

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%91%E5%A3%BD%E5%A4%AA%E9%83%8E

などのような人材が輩出したのは国家の幸福であった。これら高名の外交先達は、日英同盟を結んでロシアの南進に備えた。日露戦争が始まると、戦争を推進すると同時に講和のために慎重な準備を進めることも怠らなかった。

金子堅太郎伯

http://www.toshiyukimaesaka.com/wordpress/?p=2714

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/4196.html

を米国に派遣して、時のルーズヴエルト大統領と連絡せしめ、講和会議の外交的背景を周到に肇見たのであって、この点、太平洋戦争の際と全く相違する。外交は見通しを以って将来を慮る用意がなくてはならぬのである」(吉田茂『世界と日本』番町書房, 1963)

 では、燦然と輝いた明治の国家体制がどうして崩れ去ったのか。

吉田はこう指摘する。

「明治の日本は一方においては近代的法治国家であり、国民の活力をくみ上げる巨大な国家組織をもちながら、その中枢部においては、明治の初めからずっといっしょに働いてきた経験によって、緊密に結ばれる少数の指導者たちがいるという国家であった」(吉田茂百本を決定した百年』日本経済新聞 1967年刊)

「(それが昭和に入ると)天皇と元老が構成する苦指導者層はほとんど消滅した。それにつづく二代目の指導者たちは、あるものは官僚制、あるものは軍部、あるものは財界、そしてあるものは政党に育った人びとで、一代目の指導者たちのように、共通の経験と共通の記憶というヒモによって結ばれていなかった。

その結果、政党政治は日本が直面する種々の問題を解決するために必要な指導力を発揮することができず、実際上は官僚制が政治において中心的役割を果たすようになった」(同上』)

「1929年(昭和四)に始まる世界大恐慌は、あまりにも大きなショックであった。……この危機を別の形で解決しようとした人びともあった。すなわち軍人たちの一団であり、……日本の農村の貧困がますます激しくなるのをみて、手段のいかんを問わず、この窮状を解決しなければならないと考えたように思われる。

彼らは使命感にあふれていたが、しかし、世界の状況には暗かった。それゆえ彼らが満州において武力行動をとり、世界各国が日本を非難はしても実際に有効な行動をとりえなかったことも、日本の政府がこの軍人たちの勝手な行動を断固として処置しなかったことも、軍人たちに対する統制力をいちじるしく弱め、軍人たちの勝手な行動を許す先例となった。

それ以後、国外においては、軍人たちは支那の国内混乱と弱体につけこんで満州から北支那へと実力によって勢力圏を拡大していったし、国内においては、クーデターによって軍部の指導権を確立していったのである。軍人たちの対外侵略を制約しうる政治家は不幸にしていなかった。

それはある程度までは責任ある場所に置かれた政治家たちの決断のなさによるものであるが、ある程度までは明治の政治体制の欠点の現われでもあった。

明治憲法においては軍は天皇の統制下に置かれ、首相は直接の権限をもっていなかった。それゆえ、天皇と元老が実質的な指導力を発揮しなくなると、軍隊を統制するものがなくなるのであった。明治天皇が崩御され、元老が死亡したり、年をとって指導力を失ったことは、大きな欠点となって現われたのである」(同上)

 吉田は、権力になびき、追従した新聞人、言論界の勇気のなさ、腰抜けぶりにも厳しい眼を向ける。

「敗戦に至るまでの過程を省みるに、言論の自由を失ったことが大きな原因になっていることを痛感する。民主主義が流行すれば、これに追随し、全体主義が勢いを得れば、これに同調する。

言論人自ら言論の自由を死守することをせぬのみか、朝に源氏、夕に平家と時流を追って、右に、左にするのが大勢であった。半面また心の底に思うことは、時流に逆らっても敢然これを表白する毅然たる態度において欠けるところが多かったように思われる」(同上『世界と日本』)

 - 人物研究, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
★『リーダーシップの日本近現代史』(77)記事再録/ 『 朝鮮宮廷(政府)の「親清派(事大党)対「朝鮮独立党(日本派)」 の争いが日清戦争へ発展!,50年後の太平洋戦争への遠因ともなった』

 2015年7月11日/終戦70年・日本敗戦史(108) <歴史とは現 …

no image
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』-『2021年東京五輪は是が非でも開催、成功させて、日本のデジタル底力を発揮し世界の未来を明るくしよう』★『1964年東京オリンピックを成功させた田中角栄のリーダーシップと突破力』(7月1日)

1964年東京オリンピックと田中角栄    前坂 俊之(ジャーナリスト …

『オンライン百歳学入門講座』★『一怒一老、一笑一若、少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食「多岨(たそ)この字が正確 、少衣多浴 、少車多歩 少煩多眠 少念多笑、少言多行 少欲多施(渋沢秀雄)』★『世界最長寿の122歳を全うしたフランス人女性/カルマンさんの健康長寿法とは』

  2010/01/21 百歳学入門(3)記事再録 前坂 俊之 &nb …

『オープン講座/ウクライナ戦争と日露戦争①』★『ロシア黒海艦隊の旗艦「モスクワ」がウクライナ軍の対艦ミサイル「ネプチューン」によって撃沈された事件は「日露戦争以来の大衝撃」をプーチン政権に与えた』★『児玉源太郎が指揮した日露戦争勝利の秘訣は軍事力以上に外交力・インテリジェンス・無線通信技術力・デジタルIT技術にあった』

  ウクライナ戦争でロシア侵攻作戦の要であるロシア黒海艦隊の旗艦・ミサ …

no image
日本リーダーパワー史 (26) 中国革命の生みの親・アジア革命浪人の宮崎滔天はすごいよ③

  日本リーダーパワー史 (26)   中国・アジアの革命を …

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(158)』「イスラエルに魅せられて再訪 2016 /1」レポートその(7)クムラン(Khirbet Qumran) の死海写本』 ”20世紀最大の考古学的発見”

 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(158)』   「 …

no image
日本リーダーパワー史(266)松下幸之助(94歳)の教え★『人を育て、人を生かすー病弱だったことが成功の最大の要因』

  日本リーダーパワー史(266)   日本で最も尊敬されて …

no image
『リーダーシップ必見の日本最先端技術「見える化」動画』(272)★「海上大型風力発電こそ原発、火力発電に替わるの日本の再生エネルギのフロンティア』★『日立造船の「バージ型基礎構造物による次世代浮体式洋上風力発電システムー国家戦略で取り組め」

  国際風力発電展2019(2/27)ー日立造船の環境・漁業と共存でき …

no image
『オンライン/日本経済150年史での代表的経営者の実践経営学講座』★『日本興業銀行特別顧問/中山素平(99歳)昭和戦後の高度経済成長の立役者・中山素平の経営哲学10ヵ条「大事は軽く、小事は重く」★『八幡、富士製鉄の合併を推進』『進むときは人任せ、退く時は自ら決せ』

  2018/05/12 /日本リーダーパワー史( …

no image
日本メルトダウン脱出法(884)『日銀の苦悩:金融緩和が壁に突き当たるとき』 (英エコノミスト誌)●『注目のトランプ「外交政策」、やはり中身はなかった 粗雑な孤立主義を米国の識者が厳しく批判(古森義久)』●『[FT]中国は「トランプ大統領」を望んでいる』●『AlphaGoは人間を超えたのか~脳科学者・茂木健一郎氏×ドワンゴ会長・川上量生氏』

   日本メルトダウン脱出法(884)   日銀の苦悩:金融緩和が壁に …