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記事再録/日本恋愛史における阿部定事件ー「私は猟奇的な女」ですか「純愛の女」ですか

      2019/05/30

  日本恋愛史における阿部定事件ー「私は猟奇的な女」ですか「純愛の女」ですか

   

無題日本恋愛史における阿部定事件ー「私は猟奇的な女」ですか「純愛の女」ですか

前坂俊之(ジャーナリスト)

前坂俊之編「阿部定手記」(中公文庫,1998年刊)の解説より、

「阿部定、何をやった人なんですか」と女子学生がよく私に聞いてくる。

「・……・・」

私は思わず説明に窮して、言葉に詰まってしまう。

私の研究室には歴史やマスコミ関係の書籍が壁じゅうに天井までぎっしり詰まっているが、その一角に犯罪コーナーがあり、阿部定に関する本が十冊ほど並んでいる。

丸山友岐子著『はじめての愛-あべ定さんの真実を迫って』(かのう書房、一九八七年刊)、粟津潔他著『昭和十一年の女-阿部定』(田畑書店、一九七六年刊)などの本をこのところ次々に女子学生が借り出していき、今や研究室の貸出しベストセラーなのである。

ただし、これらの本は著者たちの主観が強く出すぎており、阿部定の実像が必ずしも十分に伝わっていない、きらいがある。

阿部定事件が起きたのは1916(昭和11)年五月十八日である。東京荒川区の待合「満左喜」(まさき)で、愛人石田吉蔵(よしぞう)を絞殺、そのシンボルを切り取って逃亡、三日後に阿部定は捕まったが、一大猟奇事件として日本中に異常な興奮と話題の渦を巻きおこした。

この年はちょうど三ヵ月前に2・26事件が起きており、昭和史の分岐点となった年である。2・26事件は陸軍の青年将校が決起して「昭和維新」を叫んでクーデタを起こし、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監らを殺害、国会、首相官邸、陸軍省など一帯を占拠した。戒厳令が敷かれた。

反乱軍は鎖圧されたが、以後、軍ファシズムが堰を切って流れ時代を転回させ、大軍拡、日中戦争へと急角度に進展していった。

そのターニングポイントとなった二・二六事件の直後だけに、社会は重苦しく、暗く陰鬱な空気に包まれ、人々は近づく軍靴の響きと戦争の足音に怯えていた。

阿部定の出現はこうした暗い、押しっぶされそうな雰囲気を変え、まるで暗雲に閉ざされた空が一瞬晴れわたり、太陽が顔をのぞかせたかのように人々は興奮して、阿部定を「世直し明神」と称して笑いころげた。

国会でも委員会での審議中、「お定逮捕」の号外が配られるや、議員は審議をそっちのけにして、我さきにと号外の奪い合いとなり、「捕まったか」「いい女だな」とそれまでと一転、明るく笑いながらのお定談義に花が咲き、審議は中断されてしまった、という。

事件は愛する男性のシンボルを切り取るというセンセーショナルなものだが、そこには非常時、戒厳令の中で男女の極限的な「エロスの世界」が展開されている。 その愛の極致での行為は、その異常性を超えて、今も人々の心を打ち、恋愛の究極の形としての鮮烈な衝撃性と普遍性を内含しているのではと思う。

すでに事件から六十年が経過したが、阿部定ほど時代を超えて常に人々のスキャンダラスな興味の対象になった女性はいない。時代の節日ごとに、お定が何度もよみがえるのはその極限のエロスと絶対愛のためであろう。

 

1976(昭和51)年に大島渚が映画『愛のコリーダ』を作り、マスコミでは「いま阿部定は」の記事が折にふれてのり、そして昨年は渡辺淳一著『失楽園』のモデルとして、この四月からは大林宣彦監督の映画『SADA』(松竹系公開)で再び脚光を浴びている。

この資料集はマスコミによって歪められた阿部定の実像を知る上で基本的な資料、原典をなるべく手を加えず、そのままの形で提供して、読者にそれぞれ自らの阿部定像を読み取ってもらえれば、と思い編んだ。

とくに、逮捕された阿部定が事件までの半生を語った「予審訊問調書」は本人の供述という形をとりながら、告白文学の傑作といってよいもので、恋愛と性を渾然一体としてこんなに素直に見事に語ったものはない。

なお、本文中、阿部定と石田蓄蔵以外の人名は仮名とした。また、文中には一部差別的な表現もあるが、当時の社会的状況を表すものとしてそのまま収録した。

 予審訊問詞書とは

阿部定の供述が詳細に語られている予審訊問調書はどのように作られたのだろうか。それを理解するためには、まず、戦前まであった予審制度について知る必要がある。

「起訴状-本主義」の今の裁判と違って、検事が公判請求すると、裁判に先立ってあらかじめ予審判事が密室で被告を取り調べて、裁判に付すだけの十分な嫌疑と証拠があるかどうかを吟味して、証拠が十分でない場合は証拠の収集まで行った。

こうして予審終結後に正式に裁判に付された。予審判事による取り調べは弁護人の立会いが不十分で、被告に黙秘権も認められておらず、自白追及型の糾問主義的になりがちだが、ここで出来上がった予審調書が裁判での最も重要な証拠となった。

阿部定に対する予審判事の取り調べ、調書はこうした予審制度の中で作られた。

予審調書の中で、阿部定は生い立ちから、芸者になり、事件を起こすまでの経過、事実関係、犯行に至るまでの感情、心理を圧倒的に克明にリアルに語っている。

それはまるで一片の叙事詩といってよい見事な語り口である。

この阿部定の予審調書を採録した『艶恨録』は裁判所の調書をまね和紙を二つ折りにして閉じた和本仕立てのもので九十二ページ。少し大きな活字で印刷している。

「艶恨録」-予審訊問調書は告白文学の傑作

表紙に短冊形の紙で「艶恨録」と書いてはりつけている。

阿部定への判決は昭和十一年十二月二十一日に懲役五年が下ったが、翌十二年にはこの予審調書が何者かによって外部に持ち出され、印刷、出版されて非公然と売買され好事家の間に秘かに流れていた。〔筑波昭著『津山三十人殺し』 (草思社、一九八一年刊)〕

驚いた警察がその一部を押収して予審調書の原本と照合鑑定したところ、内容がことごとく一致して、「原本通り間違いなし」と判明、ますます値がつり上がった、という。

誰が一体流したのか。阿部定の弁護にあたり、裁判所にも弁論書を提出し、研究のため特別に調書の筆写を許された精神分析学者・高橋銭に疑いの目が注がれたが、本人は否定して結局わからなかった。

このうすっぺらいマル秘本は当時、ヤミからヤミヘ何と一冊五十円の高値で売買されていた。その頃、最も人気のあった雑誌「キング」や「少年倶楽部」が五十銭、単行本が一円から高くて二円の時代である。

森長英三郎『史談裁判』 (日本評論社、一九七〇年刊)にも、「一件書類が裁判長のもとにきたときは、すでに沢山の人が読んだとみえて、手垢で汚れていたという。どこから流れたのか知らないが、その予審詞書を印刷頒布した者がいる」と書いている。

持ち出された予審調書が『艶恨録』となって地下出版物が出されたのである。 (編者)新字新かな遣いに直し、明らかな誤字は訂正しました。

「阿部定手記」の解説

 

阿部定が今もなおさん然と輝き、人々の心を捉えて離さないのはそこに極限の愛の形、灼熱のエロスが凝縮されているからであろう。事件は今から六十年も前のことだが、時代を超えた激しいインパクトが秘められている、と思う。

事件が起きた一九三六(昭和十一)年は陸軍の青年将校たちのクーデタである二・二六事件が発生した年として昭和史に刻まれている。戦争とファシズム、革命が大きなうねりとなって起こったこの時代と、阿部定事件とは著しいコントラストを見せている。

しかし、革命、暴力の嵐の中で、全く関係ない時点で生活しながら、それに翻弄されていく無数の民衆。そんな一人として、阿部定は政治的なものの対極にありながら、私的な男女の愛の営みの中で革命的な行為、根源的なテーマを突きつけたといえるであろう。

事件は新聞の社会面でよく見かける痴情のもつれによる殺人である。不倫の中年カップルが猥嚢の限りを尽くして、情痴の果てに女性が男性を絞め殺し、しかもそのシンボルを切り取ったという例のない猟奇事件である。絞殺された男は大腿部に血で「定・吉二人キリ」と書かれ、腕にも「定」と彫り込まれていた。

当時、マスコミといえばラジオ、雑誌もあるが、何といっても新聞が圧倒的な比重を占めていた時代である。逮捕されるまでの三日間、新開は完全に阿部定一色で塗りつぶされ、騒然となった。グロテスク猟奇事件の犯人として捕まった阿部定は上品そうな美人であり、新開に載った写真では妖艶に笑っており、.犯行の動機について「愛するあまりに殺した。

好きで好きでたまらないからよ」と臆せず自供したので、さらに大きな関心を呼んだ。戒厳令の下で軍部のテロにおびえて、震え上がり、沈黙を守っていた新聞もこの事件ではそうしたうっぷんを晴らすかのように連日大々的に、センセーショナルに報道した。

高橋銭は、事件は強烈な愛欲の独占欲から引き起こされたものであり、「被告が命を懸けた色情を持っていないで、単に残虐行為だけだったならば、世人は走を憎んだでしょう」と東京精神分析学研究所編『阿部走の精神分析的診断』(昭和十二年一月刊)の中で指摘

したが、人々はお走のスキャンダラスな行為の背後にある「愛の激情」を見抜いて、心を揺すぶられたのである。

阿部定は一九〇五(明治三十八)年に東京神田の畳職人の末っ子として生まれた。少女のころから素行がおさまらず、不良行為に手を焼いた両親は十七歳でお定を横浜の置屋芸者として売ってしまった。

お定の少女時代はここに収録した「畳屋のお定ちゃん」(『婦人公論』昭和十一年七月号)に的確に描写されている。これはお定の子供時代の近所の女友達とそのお母さんの証言を記録したものだが、明治末から大正初期にかけての、江戸の雰囲気が残った東京神田で、

お走やそれを取り巻く少年少女の生活ぶりがいきいきと描かれている。そこにはまるで樋口一葉の[たけくらべ」にも似て文学的な魅力さえ漂っており、おしゃまで、ボーイフレンドを巧みに操り、不良少女に転落していくお定の姿はその後を暗示している、といえる。

以後の、娼妓となって二十歳で大阪飛田遊廓に、以後、前借金が五百円、千円と膨らんで行き、信州飯田、名古屋、大阪の松島遊廓、丹波篠山と転々しながら、ある時は女郎屋を決死的に脱出して全国を流転し、石田との運命的な出会い、そして熱烈な恋と事件のクライマックスに至る一連のドラマは「予審訊問調書」の中に見事に語られている。

阿部走を語る場合にその時代性、衝撃性と同時にこの予審調書の存在が欠かせない。

「予審訊問調書」の全文を収録している『艶恨録』は、もしこれが存在しなければ、阿部走事件は単なる無数にある「殺人・死体損壊事件」の中の一つとして埋もれて、忘れ去られてしまっていたことであろう。それくらいこの調書は重要であり、その後、何人もの作家や映画監督がいくども阿部定と取り組んだのも、この迫真の調書が残されていたからである。

これは単なる「供述調書」「犯罪調書」の枠を大きく超えた、阿部定の血を吐くような告白であり、希有の人間ドキュメントであると同時に、性文学の傑作といっていいものである。

そこには性も自由もガンジガラメにされたあの冬の時代に、極限の状況の中で純愛を貫き,きびしく主体性をもって奔放で豊かで自由に性を生き抜いた阿部定の凄絶な生きざまと、それを完璧に語りきった鮮やかな告白がある。

情痴の限りを尽くした待合での数日間についてのセックスやその時の心理描写は、微に入り組をうがち過ぎており、そこまでいうのか、というほど一種の露出狂的な部分も感じられるが、それだからこそ余計に迫力がある、といえよう。

1936年(昭和11)2月、すでに32歳となっていたお定は旅館「吉田屋」に女中奉公に出るが、そこの主人が事件の相手となった石田雷蔵(四十二歳)であった。ここで出会った二人は主人と女中という関係をこえて激しい恋に落ちる。わずか3ヵ月だが、激しく、切なく燃焼し尽くした。

商売としてそれまで何百人、何千人の男を知っており、色事の砂漠のような世界に生きてきたお定だが、それ故にその胸には愛への強烈な渇きがあったのであろう。吉蔵とはじめて売春でも買春でもない対等な、自由な男女の恋愛関係、平等のエロスに出会った。

二人で過ごした一週間は身も心も一体となった強烈なエロティシズムを、燃え尽きるほどのお互いの肉が蕩けるような時間を、生まれて初めて味わった。甘美な絶頂の完結としての死の予兆が芽生えてくる。

吉蔵にはもともとマゾヒズムの気があり、行為の最中にひもで首を絞めてもらいながら、性感を高めていた。窒息寸前まで首を強く絞められるのを特に好んでいた。痴情の果てに、吉蔵の頼みもあって、定が腰ひもでギユーと強く絞めすぎて、殺してしまったのである。

高橋銭は「情死心理とサディズムとの及方を含んだもの。熱愛の極致で情死を遂げるのは古来、情死心理の教えるところであります」と弁論書で動機について述べている。

そして、「愛するがゆえに」、その大事なものを包丁で切り取って、ハトロン紙で包み形見として帯の間に入れて逃げて行くが、このあたりはまさしく、近松門左衛門の心中ものの「道行き」そのものである。

予審調書でお定は「私のやったことは男にほれぬいた女ならば、世間によくあることです。ただ、しないだけです」ときっぱり述べているが、愛の極致での行為そのものであったのではないだろうか。

事件の真実について、私がここで即断すべきではなく、読者それぞれが、阿部定自身が語り尽くし、詳細を極めたこの予審調書をじっくり読んでほしいが、裁判の結果、細谷裁判長は「二人は乱淫の習癖に陥って、軽度の精神障害によって衝動的になした犯行」として阿部定に殺人罪、死体損壊罪で懲役六年の実刑判決を下した。

しかし、「この事件は殺人そのものよりも、死体損壊、被告のその後の行動の特異性が注目を浴びた」と裁判長も指摘したように、マスコミも、人々の関心ももっぱら男性のシンボルを切り取った行為のみに焦点が当てられた。

「惨酷な犯罪」「愛欲図絵」「異常性欲」「変態」として事件

はクローズアップされて、阿部定には「毒婦」「妖婦」「魔性の女」「昭和の高橋お伝」などのレッテルがはられたのである。

しかし、一方ではエロティックで、グロテスクだが、どこか愛すべきユーモアがあり、愛しすぎた故の犯罪ではないか、という同情的なイメージが当初から阿部定にはつきまとっていたことも確かであった。

一九四一(昭和十六)年五月、恩赦などによって、お定は服役していた栃木刑務所を四説 年半ぶりに仮出所する。以後、都内で名前を隠して密かに暮らしながら結婚していた。

お定自身はすでに刑期を終え、世間は自分のことをすっかり忘れてくれているものと思っていたが、そうではなかった。

戦後、阿部定は再び脚光を浴びた。阿部定への本格的な、興味が始まったといえるだろ。 お定が時代を超えて何度もよみがえってくるのは、愛についての普遍的なテーマが宿っているということであり、なるべく原文をいかして資料を生のままの形にして提供したのはその見事な語り口と、時代との緊張関係を伝えたいためである。

ところで、今、なぜ阿部定なのだろうか。

昨年の渡辺淳一著『失楽園』は上下合わせて二百六十六万部を突破するという、空前の大ベストセラーとなり、失楽園現象、不倫ブームを巻き起こし、さまざまな余波を引き起こしている。

ストーリーは中年の不倫カップルが愛の頂点で青酸カリを飲んで心中していく、という現代の悲恋物語だが、この中で阿部走事件が重要なモチーフとして登場する。

予審調書を主人公が、読み聞かせて二人でお定の純愛とその行動に深く共感して、死を決意する動機ともなっており、いわば現代版の阿部定物語といってよいものである。

この影響もあり阿部定への関心が高まっているのであろう。

個人の自由の尊重と、既成の男女の価値観の崩壊で、今や、不倫や離婚、性の自由へのハードルが大幅に低くなっている。新聞の世論調査でも「不倫は許されることもある」が全体の半分近い四五%にのぼり、好感のもてる人から不倫の交際を誘われたならば、三人に一人が心が動くという不倫肯定派も増えている。恋愛も不倫も、阿部定の時代とくらべて何の制約も障害もなく、全くの自由で好きに出来る現在。

それだからこそ、豊かな社会から、飽食の時代を迎え、性の自由からさらにホモ、ゲイ、レズビアン、セックスレス夫婦、同性愛など、個性化と細分化が進んだ現代はセックス以上に精神的な性愛がより求められているように、思える。単なる男女の肉の交わりは回避して、それ以上の精神的な性愛、エロスを強く求めている。

一方では、今の若者は恋愛に関して臆病になっている。男女の間でも距離をおいてのめり込まない若者たち。一人の人を徹底して好きになって恋が終わると傷ついてしまう。恋によって傷つくことの方を恐れている。

「個」の時代の恋愛、べたつかない植物的な恋愛からみると、阿部定の強烈な熱愛と行動は全く別世界の、驚異と映るであろう。

その点では、阿部定にみる肉の交わりを至上のエロスとする絶対愛は、その中でも一つの頂点を極めたものといってもいいが、あまりに古典的な純愛にもみえる。

「一度も恋をしなくて死ぬ人だってたくさんいるでしょう」とはお定の言葉だが、今も同じような<恋愛の砂漠時代>なのであろう。人々は愛に飢え、恋愛を熱望したくても、出来ない時代なのに、阿部定の灼熱の恋はあまりにまぶしく、強烈すぎるのではないだろうか。はたして今は、あのような熱烈で真剣な恋愛やエロスの歓喜、極限の愛が存在するのだろうか。

「あなたは本当の恋をしましたか」と阿部定はわれわれに鋭く突きつけてくる。

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