日本リーダーパワー史(336)『橋下・大阪維新の会は坂本竜馬より、高杉晋作の『奇兵隊』に見習えー機略縦横・大胆不敵な
日本リーダーパワー史(336)
●『橋下・大阪維新の会は坂本竜馬よりも、高杉晋作の
『奇兵隊』に見習え。来年(2013年)は「奇兵隊創設から
『奇兵隊』に見習え。来年(2013年)は「奇兵隊創設から
150年、明治維新は吉田松陰の開国思想と、
その実行部隊長の「高杉奇兵隊」(伊藤博文、
山県有朋も部下)によって、実現したのである」
☆『機略縦横・大胆不敵な高杉晋作の突破力①』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
今年は高杉晋作の奇兵隊創設から150年。
明治維新に火をつけたのは吉田松陰の開国思想だが、その一番弟子・高杉の奇兵隊による破天荒な行動力、獅子奮迅の活躍がなければ倒幕、明治維新革命は実現しなかったに違いない。英国外交官アーネスト/サトウは高杉を「魔王」とまで評したが、多事多難の今こそ、高杉のような国難突破力のあるリーダーが待望される。
高杉晋作は18才で安政4年(1857)に1吉田松陰の「松下村塾」に入門、久坂玄瑞と双璧とうたわれた。松陰は久坂の<才>に対し,高杉の<識>を愛した。その松蔭は禁を冒してペリーの黒船(安政元年1854年)に米国密航を嘆願したが、安政の大獄で同6年10月に処刑される。高杉は松陰に献身的に尽くして最期を見届けて、その戦闘的精神を受け継いだ。
文久2年(1862)5月に同藩の許可で上海に渡った。そこで目にしたのは西欧人から人間扱いされていない中国植民地の惨状で「シナ人はほとんど外国人の使用人。日本もこのような運命に見舞われてはいけない」(上海日記)と危機感を募らせた。この時、中国での太平天国の乱で身分や職業に関係ない国民軍が活躍していたことに奇兵隊のヒントをつかんだ。
幕末動乱は一層激化し、長州藩や全国各藩で攘夷、尊王攘夷、開国派の各派が入り乱れて外国人襲撃、テロ、連発の内戦状態に突入する。高杉は伊藤博文らとともに御殿山の「英国公使館」焼打ち事件(同12月)を起こし、剃髪するなど過激な行動を繰り返した。
文治4年7月、西欧連合艦隊(英米仏蘭)19隻と長州藩の間で下関戦争が勃発する。高杉の農漁民、町人らを加えた奇兵隊(約二千人)が応戦したが、わずか1日で完敗する。この時、獄にいた『エース高杉』が復活し講和交渉役に担ぎだされる。
敵艦上での会談に高杉は黒の烏帽子に黄白のド派手な衣服で現れ、「まるで魔王のように倣然と構えて」(イギリス通訳のアーネストサトウの日記)度肝を抜いた。
連合軍側の賠償請求は「幕府の責任だ」とはねつけ、彦島租借も断固拒否した。あまりの高杉の強硬姿勢ぶりに連合軍は姫島租借をあきらめたほどタフネゴシェータぶりを発揮した。
同じ奇兵隊の一員で、高杉に愛された伊藤、山県の先輩の三浦梧楼は
「観樹将軍縦横談」{大正13年、実業の日本社}の中で、「高杉の機知」と
題してこう語っている。
「観樹将軍縦横談」{大正13年、実業の日本社}の中で、「高杉の機知」と
題してこう語っている。
高杉晋作という人は、まったく偉人であったよ。我輩がこれまで偉い人だと思ったのは、この高杉一人だ。実に目先の早い、機敏な人で、臨機応変、奇智湧くがごとくであった。
長州で専制の改革、人材の抜擢を断行したのは、皆この高杉であった。門閥(派閥、学閥、政治家の世襲、今の2世3世議員と同じ)のものは役に立たぬ。これからは人材でなけねばならぬ。百姓でも、町人でも人材ならば皆抜擢するというやり方だ。伊藤博文も、井上馨も、山県有朋も、皆二人扶持四石(貧乏下級武士)、品川弥二郎も、島尾小弥太も同断、我輩の家は、三人扶持五石(貧乏下級武士)という小禄であったが、これらを抜擢したのは、みな高杉であった。
この藩制改革、人材抜擢ということは、実際他藩よりもよほど早かったものだ。
撰夷は手段であって、真の目的ではないのだ。開国のやむを得ざることは、高杉もちゃんと知っておる。これからの人間は、英語を知っておらねば駄目だといって、遠藤謹助が英国から帰って来たのを幸い、馬関に英語学校、というほどてもないが、とにかく英語を教授する所を設け、我輩や、鳥尾や、それに土佐から来ておった田中光顕、中島信行などに習わせられたものだ。真剣に勉強したものは、それからのちのものであって、我輩などはろくに習いはしなかったがね。
我輩は高杉には随分可愛がられたものだ。その時分から、山県とはよく衝突したものだが、
「狂介(山県)ごときを眼中において、どうなるものか」
とよく言われたものだ。我輩はなかなかの負けずざらいで、剣術をやれば、人の肩を叩く、槍を使えば、足を突く、ただ勝ちさえすればよいというふうであったが、高杉は、
「人は愚を学ばねばならぬ」
と能く教えられたものだ。どうもその意味がよくわからなかったが、四十を越してやっと解せたよ。
当時、顔其卿の書を学ぶものが多かったが、高杉は専ら竹田の書を学んだものだ。あれでなかなか風流のところがあった。
高杉は慶応三年四月、二十九歳で、馬関で死んだ。その病気の重くなった時、我輩はときどき渓間の梅の花など手折って見舞にいったものだ。ある時、その枕頭に盆栽の松があって、それに雪がいっぱいかかっておる。雪も降らぬに、どうしたことかと思ったが、高杉は、
「今見舞に越の雪をもらったが、もうとても雪の景色は見られまいと思うから、それをこの通りふりかけて眺めておる」と言われた。あの人の半面には、こうした風流の心があった。
大西郷は偉いというが、高杉はだんがちがう。大西郷には所作がない。ただぼーっとしておるだけだが、高杉は機略縦横、ゆくとして可ならざるはなしという人である。
高杉はしばらく筑前に潜伏しておった関係から、あの国では、長州よりも造かに評判がよいくらいであったよ。
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