知的巨人たちの百歳学(111)-明治の大学者/物集高見、高量(106歳)の大百科事典『群書索引』『広文庫』の奇跡の長寿物語➂→「(人間に必要なのは)健康とおかねと学問・修養の三つでしょうね。若い時は学問が一番、次がおかね。健康のことなんかあまり考えないの。中年になると一番はなんといってもおかね。二番が健康、学問なんかどうでもいいとなる。そして年取ると・・・」
2018/11/29
物集は膨大な日記を書いている。
それは「百歳は折り返し点」の自伝の「年表の総まくり」部分にほんの一部だが収められている。そこにはハチャメチャ人生と学者をやめて、文筆業の「ペンは1本、はしは2本」と食えない晩年の赤貧が断片的ににつづられている、また、永井荷風の「断腸亭日乗」と同じく女づきの「老いらくの恋」がそのまま記されているのが何とも面白い。
<昭和二十年(1945) 六十六歳>
〇3月10日、東京大空襲、東京は瓦礫の原。二十四時間爆撃、防空壕に入ったり、出たり、寝る暇なし
<昭和二十一年 六十七歳>
○正月七日、お八重(妻)、七草粥を作る
<昭和二十二年 六十八歳>
〇日本一の美人、原さん来る
○進駐軍の食料は山の如しなるも、日本人の食生活は極度に窮乏。トウモロコシの粉、サツマイモの配給。買い出し、モク拾い、食怨み
○眼に霞かかり、やがて全盲
<昭和二十三年 六十九歳>
○全盲の新春を迎える。日々、夜 夜、手探りの生活。お八重よく介護してくれる。女房の有難さをしみじみ味わう
○荻窪病院へ行き診断、老人性白内症、入院、手術、痛くも痔くもなし、三週間にて退院
○入院費捻出のため、オンリー二人を置く。上等の部屋はオンリーに、自分はキタナイ部屋に
○庭にも出られず、読書もできず、
<昭和二十六年 七十二歳>
○わびしき元旦、どうでもなれ!
〇お八重は競馬に一途。生きる喜びは五歳の幼児上土ただ一人
○人生最後の砦、生活保護の福祉 訴務所へ。お八重は逡巡、躊躇(ちゅうちょ)、ついに生活保護を受く
○左目もまた老人性白内障、再び荻窪病院に入院。病床にて『額国王』を執筆。三度の食事にはレバーの料理。
○医は仁術にあらず、病院の沙汰も金次第、病院の裏門より逃げる。
<昭和二十八年 七十四歳>
○お八重、競篤の資金集めに四苦八苦、知人を見れば直ぐに借金を申し込む。最後には払いのロをも締める。毎日の玉子焼きは、二個のところを一個にしてくれと言う
○借金したくとも、貸す人もなくなり、本年終幕
<昭和二十九年 七十五歳>
〇八畳一室に二人きりの元日 わびしきことこの上もなし
○お八重の競馬熱はいよいよ燃え、資金調達に衣類の入質を始める
○質屋の利子は一か月九分、お八重は高利にも屈せず、衣類を入質しては馬券を貰う。まさに競馬狂
○板橋には質屋多し、お入試の質屋は七、八店、よきお得意、よき顔
○質屋の利子が毎月千円以上、福祉事務所の生活保護費は約五千円。生きて行くのに四苦八苦
○私の仕事は雑誌「実話読物」に毎月一編ずつ原稿を封くこと、稿料は一編につき四、五千円。
○元気もなく、張り合いもなく、ただ黙々として行くのが私の人生
<昭和三十年 七十六歳(一九五五>
○元日、二人だけで屠蘇を酌み、雑煮を食べる。年賀に来る人皆無
〇年は変わりても、お八重の質屋通いと馬券買いは変らず。お重は時折り、質札を見ながら指折り数える。その姿が哀れ。私が「流して仕舞え」といえば「二度とは買えませぬ」という
○競馬で儲けるときは元気よく質受けし、損をするときは再び入質する。その繰り返し。私は何かで一儲けと思えど手掛りなし
○親戚知人も次第に来なくなり、来るのは上士一人。出入りの商人にまでも支払い滞り勝ち。この終着点はどうなるか
<昭和三十一年 七十七歳>
○喜寿を迎える。喜寿は危寿か7
0亡父は楽隠居、お八重は競馬一筋。
<昭和三十二年 七十八歳>
○お八重の競馬熱はますます盛ん 生活保護費は国民の血税です
〇八重、帯を解かんとして卒倒。 田崎病院の石川医師駈けつける。
○部屋を暗くして原稿を書く。お八重はいう「私は死んでも満足です。あなたを誰からも盗られずに守り通しました!」と死んで逝く。
○会葬者は数十人、手に手に百合の花を棺に入れる。私は残って独り八重のことを思い
今ぞお八重の純情を知る。お八重のあとを追おうと思えども・・
<昭和三十三年 七十九歳>
○深夜、妙齢の女性来訪。隣室にて詩を作る。薄情夫を訴える
○齢八十にして再び春の目ざめ
<昭和三十七年 八十三歳>
○初めてホーム・ヘルパー来る。安楽死を勧められる
<昭和三十九年 八十五歳>
○理容店「キサミ」の相沢トミ子はすこぶる美人、トミ子を指名、チップを与える
○トミ子を恋人とする
○トミ子、嫁に行く。ガッカリ!「キサミ」の丸田幸子は丸ポチャの可愛らしい娘、幸子をヒイキ、次いで恋人にする。
<昭和四十四年 九十歳>
○元旦「独りで居猫を酌む、自分も九十歳になったのだと感無量
<昭和四十六年 九十二歳>
○元日、独りで屠蘇を酌む
○大出銀座の理容店「バリー・チェーン」にて美人理容師を発見、名は関沢トミ子、齢二十、長野県生まれ。内気な性格で、よく人の話を聴く
〇三月十三日が彼女の誕生日、お祝いの洋菓子を進呈
○ネックレスを買ってやる
○恋人にしてしまう。トミ子、同僚にイジメられて帰省、これで終幕。次は大川吉子さん、お人好しの肉体美人、いささか鈍感、すぐに手を引く
<昭和四十七年 九十三歳>
○元日、独りで屠蘇を酌む
○川端鹿成氏自殺
○フジテレビの人来たりて撮影
○車椅子に乗り、近所を見て回る
<昭和四十八年 九十四歳>
○正月元日、独りで屠蘇を酌む
〇人は死す、自分は生きる、これは不思議- 人生五十年! 自分は九十余年!
○敬老の目、区長来訪
○本年度ホーム・ヘルパーさんの親切度、一位宗形キイ子さん、二位小野口せい子さん、三位桑原のぶ子さん
<昭和四十九年 九十五歳>
○元日、独りで屠蘇を酌む
○小野寺少尉現われる
独居老人となった物集は月三万円の生活保護を受け、週二回訪問するホームヘルパーの世話になりながらも、家財道具は一切ないボロボロの家で、寂しく暮らしていた。
当時の物集の家を訪ねた作家の青地震は「大変な家だった。畳は腐ってふわふわと厚い苔を踏むような心地だったし、家財道具など何1つない。話好きな老人で、次から次へと話かつきない。幸田露伴や菊池寛の人物論など、まことに含蓄があっておもしろかった。バクチ打ちになった話、新聞喜代の話、その合いの手にエロ話が入るから退屈しない。気かついたら午前二時をまわっていた。」(東京の孤老)」
昭和四十九年、95歳の時、すでに亡くなったものと思われていた高量が一躍、脚光をあびた。『広文庫』『群書索引』が名著刊行会から復刊されることが決定したのだ。これをきっかけに黒柳徹子の「徹子の部屋」などに出演し、TVでも引っ張りだことなった。その抜群の記憶力と、江戸っ子らしい軽妙、洒脱な語り口と、自らの″学者極遺″、脱線人生をおもしろ、おかしく語り、一躍、茶の間の人気者となった。
極貧人生を笑い飛ばすあけっぴろげで楽天的な人柄と自由奔放な生き方がモーレツ時代のアンチテーゼとしてマスコミで盛んに取り上げられた。そのひょうひょうとした超俗的な生き方に多くの人々は百歳老人の理想像を見つけて、その知恵と勇気に感動したのである。
1979年、物集が百寿者となった時、「ちょっとだけ教えましょうか」と前置きして、体験からの長生きのコツを語った。
「クヨクヨせず、いつも恋をして、何かに好奇心を向けて自然の変化にさからわず。そうすれば誰でも百年ぐらいは生きられるよ」著書には33人目の恋人と恋愛中と記されていた。
「100年間生きてきましたけど、今が一番いいですね。ひとりってのは気楽でいいですよ。なくなって困るもんなんて何もないし、別にほしいしいものもないし…。自由ってのはこういうことを言うんじゃないですか。もしかすると、僕は日本で一番の自由人かもしれません」
「絶望」という言葉が一番嫌いだといい、自分の生き方には絶望はないと、キッパリ。物集は人生に達観したように、「神経の細かい人は、自爆するんですね。また、あんまり太すぎると、世渡りに失敗する。最も良いのが「中間の神経」だね、ま、中間の神経でいながら、目標を何かにおいて、『こいつをものにしよう』『こいつを乗り越えてやろう』『いっちょやってみよう』 って人が生き残れるんです」
また、こうも語っている。
「あたしが目標を二百歳においたのは、二、三年前ですがね。そんなときかが急に元気になったの。不思議なもんですねえ。風邪もあまりひかなくなったし、顔なんかにも艶が出てきた。で、あたしは、精神てものは肉体をはるかに超えてるんだなアって気づいたんです。すると、生き残りのコツってのが、いろいろとわかってきたんですね」
そして、結論的には・・・
「(人間に必要なのは)健康とおかねと学問・修養の三つでしょうね。若い時は学問が一番、次がおかね。健康のことなんかあまり考えないの。中年になると一番はなんといってもおかね。二番が健康、学問なんかどうでもいいとなる。そして年取ると・・・」
106歳の波乱万丈の底抜け人生の末にたどり着いた106歳の言葉だけに、まったく平凡な結論だが、千鈞の重みをもつ。
昭和60年10月25日、106歳、物集翁は大往生した。
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