前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉗』●『私の見た聴いた<グローバル・ベスト・ジャパニーズ・小澤征爾論>NYTの報道と共に

   

   『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ


<グローバル・ベスト・ジャパニーズ小澤征爾>

 

●『私の見た聴いた小澤征爾論―世界から若手音楽家を人種、国籍、
学歴などをこえて才能と人物本位であつめ、世界に通用
する音楽家を育成した』

 

 

小沢征爾の最大の関心は、日本のクラシック音楽に対する
賞賛を獲得し続ける事にある

2013 /10 /10ニューヨークタイムズ)

Seiji 0zawas Focus Is

on Winning Classical-Music Accolades forJapan

 

2013 /10 /10  NYT by HIROKO TABUCHI

 

Seiji 0zawas Focus Is on Winning Classical-
Music Accolades for Japan

“ 小沢征爾の最大の関心は、日本のクラシック音楽に対する
賞賛を獲得し続ける事にある“


http://www.nytimes.com/2013/10/12/arts/music/seiji-ozawas-focus-is-on-winning-classical-music-accolades-for-japan.html

 

  「F氏コメント」

 

NYTが小沢征爾にインタビューするのは久し振りではないか? 

78才の年齢、2010年の食道全摘手術とその後の入

  退院の繰り返しなど、希代の名指揮者の行く末を心配する向きが非常に多い。

 

  1011の記事にしては、ご紹介が些か遅いが、この記事の

  主題、「今 小沢の最重要なテーマはなにか?」は衆目の一番の

  関心事である事に変わりない。松本フェスティバルの現地、本

  番の前後を取材し、終了後、東京にてインタビューする筆者の

  問題意識は、相変わらずスマートである。

 

1.     それは文中に有る様に、「斉藤記念オーケストラ(SKO)」を世界に冠たる音楽家集団に育て
上げること、であるという。

 

日本流の交響楽団の作り方、N響、日フィルなどの、日本人中心の狭い人材集団、東京芸大を頂点とした内向きな音楽家ヒエラルキーのアンチテーゼを創ることである。言い換えると、世界の常識に沿って楽団を作り上げて行く事である。

 

SKOへの参加を目指して、世界から若手音楽家達が蝟集し続ける仕組みを作り上げる事である。人種、国籍、学歴などに拘らない才能と人物本位の選別であり、日本人で世界に通用する音楽家を育成するにはこれしかないと。

 

1996年に始まった「小沢室内楽アカデミー」、2000年からは「小沢音楽塾オペラ・プロジェクト」がスタートし、アジアを中心とした音楽家の卵達がオーディション合格を目指している。毎夏、奥志賀高原での長期に亘る小沢の実地指導は余りにも有名である。

 

2.     筆者は、幸運にも数年前の「斉藤記念フェスティバル松本」

に招待され、記念財団の理事長、理事の方々と音楽談義をさせて頂いた

。数学者でフィールズ賞の広中平祐氏が隣席、小沢の友人とのことが

後で分かった。共著も出されている。

 

二泊三日で朝から晩まで、音楽三昧、至福の時であった。松本市全体

と長野県のセイコー、今のエプソンがフェスティバルを手足

で支え、街全体が沸き立つ趣であった。

 

毎日夕食会を兼ねたパーティがあり、小沢も必ず出席して、特に海外からの出演者を労い、軽妙な会話とジョーク一杯のご挨拶が印象的。超満員の会場。小沢の相手を選ばず、飾らない、普段着スタイルの軽快な自然体は他に類を見ない。

 

3.     2006年、聖路加国際病院理事長・日野原重明氏の文化勲章受章パーティが帝国ホテルで行われた。筆者も招待されて出席。帯状疱疹で眼帯代わりに刀の鍔を身につけた主賓の小沢は、現代の伊達政宗であった。ここでもジョーク一杯の小沢は、日野原氏の長年の昵懇の患者であった。会場の女性軍からの写真の要望に最後まで丁寧に応じていた。

 

4.     日本の音楽界へ、オペラの紹介と浸透に尋常ならざる情熱を燃やし続けた音楽家では、小沢の努力が他を圧倒している。オーケストラは元々、オペラの一部に過ぎなかったが、今でも、カラヤンの言、「音楽の両輪はオペラとオーケストラである」を小沢は忠実に実行している。ヘネシーの応援を得て、9年連続でオペラシリーズの開催を日本で続けた事は、今でも語り草となっている。

 

5.     オートバイに日の丸を立て、世界一流の指揮者を目指した音楽

 

武者修行から半世紀、欧州に、そして米国に、音楽を通じて徹底的に溶け込むローカライズの努力。国際人として頂点を極めた今日の小沢の姿には、これからの開かれた日本人の理想の形が凝縮している。

                    

20131011  NYT by HIROKO TABUCHI 

“ Seiji 0zawa’s Focus Is on Winning Classical-Music Accolades for

 Japan “

 

小沢征爾の最大の関心は、日本のクラシック音楽に対する賞賛を獲得し続ける事にある“

http://www.nytimes.com/2013/10/12/arts/music/seiji-ozawas-focus-is-on-winning-classical-music-accolades-for-japan.html

 

<松本、日本> ― リハーサルの時間である、ベテラン指揮者の小沢征爾は、黒のスラックスと赤いスニーカーを身につけ、ガーシュインの “ラプソディ イン ブルー”の印象的で活気のある指導に、その足で拍子を打っている。ピアニストの独奏が終わりに近づき、彼の手が動いて、小沢氏がオーケストラに合図をし、その旋律が一つになり、緩やかに終わる。

 

英語と、母国語の日本語の間を行ったり来たりし乍ら、彼はジャズピアニストの大西順子を指導している、彼女はその晩小沢が指揮する斉藤記念オーケストラでデビューする事になっている。

 

“今はもうこれで良いですよ。これ以上は何も変える必要はありません。本当にどうも有難う”と彼は英語で言う。

 

地球を股に掛ける伝説的な行脚の後、三年前に食道がんの手術をして、引き続き背中の異常が長引いて、これらに悩まされた78才の小沢は、この多様なものを折衷した様なアンサンブルを自らの人生最後の仕事にしている。

山々に囲まれた都市、松本で、一ヶ月に及ぶ斉藤記念フェスティバル、― そこでこの間、彼はオペラとオーケストラ作品を指揮するが、― その大役を担う事に彼が執着するのは何故か、彼に極めて近い友人達が、彼が昔から強く暖めてきたものが何であるか、を物語ってくれている。

 

それは、日本に世界一流のオーケストラを作り、ベルリンフィルやウイーンフィルに伍して、その地歩を築きその存在を主張出来る様にする事である。

 

“ 私はもっと強くなると感じている。このオーケストラは私にとって極めて貴重であり、日本にとっても重要だと考えている ”と9月始めにフェスティバルが終わった後、東京で小沢は語った。

 

 

 

色々な意味で、斉藤記念オーケストラは、小沢が彼の家族の国、母国に還元して行くと云う、彼の流儀に沿ったものである、― 彼は日本の占領中の、中国の瀋陽で生まれた。彼の日本との関係は必ずしも心地良いものではなかった。

 

アメリカやヨーロッパを舞台にした日の出の勢いの若き指揮者として、賞賛を浴びていたが、日本の権威あるNHK交響楽団の客員指揮者の座を、涙を流し乍ら去って行った。メンバーの何人かが、1962年、彼の派手な西洋スタイルとその個性に文句をつけて、公の場で彼を遠ざけたからである。

 

“ 指揮者になる事は実に難しい、この日本と言う国から指揮者になる事は殆ど不可能である ”と1985年、アメリカのフィルムメーカー、David and Albert Maysles の手になるドキュメンタリーの中で語っている。“ 私は泣きました、この事件は私を、私のマインドを、私のフィーリングを無茶苦茶にしました。もう絶対に日本には戻らないと考えました”。

 

しかし、円熟して以来、小沢はその才能を高く保証され、トロント交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団そして伝説のウイーン国立歌劇場での指揮者就任を祝われた。彼は今では、日本やアジア、そして海外の音楽家達から畏敬されたその地位について、一層興奮して語っている。その海外の音楽家達からは、小沢が育成を手助けしてきている事で尊敬を勝ち得ている。

今は住居を構える東京、彼の大好きな蕎麦屋でインタビューした時、彼は、その時以来、日本におけるクラシック音楽の状況が如何に変わったか、について語った。“私はいまだにその当時に戻って、成長していた。そして日本が変わってきた。今では、格段にこれを受け入れる事ができる。”

 

斉藤記念オーケストラは、小沢の指導者、桐朋学園の指揮者で創設者である斎藤秀雄の名前を採って命名されたが、小沢はその学園で学んだ。

 

猛特訓で知られた斉藤は、戦後の日本の、孵化しつつあるオーケストラの質をレベルアップする事に貢献して、評価されている。若い小沢は、且つて特に苦しいレッスンから裸足で逃げ出した事がある、後ろのドアを通って靴を取りにもどり、こそこそ逃げていった、小沢の母親、さくらが1995年にエッセイで触れている。

 

しかし、斉藤の厳しい指導は、十分に報われた。若手指揮者の有名なコンクールが1959年、フランスのブザンソンで行われ、そこで小沢は一位を獲得した、この業績は彼のその後の輝かしいキャリアを開始するのに大いに役立ったが、その後のインタビューで、彼の指揮は日本で訓練された者には、標準的な演技であると言って、現地のレポーターを揶揄った。

 

 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

日本一の三名園「岡山後楽園」の桜は満開で「桜祭り」が開催された(23年3月31日に撮影)★『後楽園・旭川・岡山城』の三拍子そろった『歴史文化景観スペース』は世界の都市の美的景観に引けを取らない』

 岡山プラザホテル8階から撮影、後楽園上に岡山城がそびえる。 日本の三名園「岡山 …

no image
 ★『2018年は明治150年』- (記事再録)明治偉人の研究』『西郷どん』の『読める化』チャンネル ④』 ◎『金も名誉も命もいらぬ人でなければ天下の偉業は達成できぬ』●『坂本龍馬は「西郷は馬鹿である。大馬鹿である。 小さくたたけば小さく鳴り、大きくたたけば大きく鳴る]と。』●『一個の野人・西郷吉之助を中心とし、一万五千の子弟が身命を賭して 蹶起し、そのうち9千人までも枕を並べて討死するとは、じつに 天下の壮観であります。』 『情においては女みたいな人ですからね』(大久保の西郷評)』★『江戸城無血開城を実現した西郷 隆盛、勝海舟のウルトラリーダーシップ(大度量)』

   ★『2018年は明治150年。明治偉人の研究』- 『西郷どん』の …

「Z世代のための台湾有事の歴史研究」②★『2023年台湾有事はあるのか、台湾海峡をめぐる中国対米日台の緊張関係はエスカレートしている』★『1894年(明治27)の日清戦争前夜の雰囲気に似てきた歴史の復習問題

前坂俊之(ジャーナリスト) 、徳川時代の鎖国政策で、小さな木造船さえ持つことを自 …

no image
世界が尊敬した日本人②ハリウッドでトップに立った国際スター・早川雪洲

1 2004、12,1 世界が尊敬した日本人②ハリウッドでトップに立った国際スタ …

no image
知的巨人の百歳学(121)-「真珠王・御木本幸吉(96歳)の長寿、健康訓」★『エジソンは人工真珠の発明を世界一と高く評価した』★『70歳のころの生活からたとえば九十歳頃の朝食は・・』

日本リーダーパワー史(714) <記事再録>百歳学入門(69)2013年3 …

no image
トランプ大統領は全く知らない/『世界の人になぜ日中韓/北朝鮮は150年前から戦争、対立の歴史を繰り返しているかがよくわかる連載⑵』ー(まとめ記事再録)『日中韓150年戦争史の連載70回中、21-35回までを再掲載)

  日中韓異文化理解の歴史学(2)(まとめ記事再録) 『日中韓150年 …

『Z世代のための日本世界史講座』★『MLBを制した大谷翔平選手以上にもてもてで全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライの立石斧次郎(16歳)とは何者か?』 ★ 『トミ-、日本使節の陽気な男』★『大切なのは英語力よりも、ジェスチャー、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインド 』

  2019/12/10 リーダーシップの日本近現代史』(194)記事 …

no image
『オンライン鈴木大拙講話』★「東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95歳)―『『長寿の口癖は「わしは死神と競走で仕事をする」★『死を恐れるのは仕事を持たないからだ。ライフワークに没頭し続ければ死など考えるヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続ければよいのじゃ』』★『禅は「不立文字」(文字では伝えることができない)心的現象』★『「切腹、自刃、自殺、特攻精神は、単なる感傷性の行動に過ぎない。もつと合理的に物事を考へなければならぬ」

  前坂俊之×「鈴木大拙」の検索結果 28 件 http://www. …

百歳生涯現役入門(178)-『晩年の達人の渋沢栄一(91歳)③』★『別に特種の健康法はないが、いかなる不幸に会おうともそれが人生なのだと達観し、決して物事に屈托せざるが(くよくよしない)私の健康法です』★『いつまでも「若々しい」人はドコが違うのか 中曽根元首相に茂木健一郎氏が聞いた秘訣』

 百歳生涯現役入門(178)ー 『生涯現役/晩年の達人の渋沢栄一③』 筆者は現在 …

『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑬『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『Severe winter in KAMAKURA SEA』『老人の海』=『ラッキー!大カサゴのお出ましじゃ』

2011-02-17 記事再録 =『Severe winter in KAMAK …