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昭和史の謎に迫る①永田鉄山暗殺事件(相沢事件)の真相

      2025/10/03

昭和史の謎に迫る①

2・26事件の引き金となった永田鉄山暗殺事件

(相沢事件)の真相

前坂 俊之(ジャーナリスト)

一九三五(昭和十)年八月十二日朝。陸軍省二階の軍務局長室に将校マントをつけた相沢三郎中佐が無言のまま押し入った。軍刀を抜き、ちょうど椅子に座って対談中の永田鉄山局長、新見英夫東京憲兵隊長に近づき、永田が気づき難を避けようとするところを右肩から背部を斬りつけた。

永田は隣室に逃れようと、軍事課長室のドアに身体をあてたが、相沢は体当たりするように背中から突き刺し、刃先は永田の体を突き抜け、ドアまで達した。倒れた永田に向かって相沢はトドメを刺した。軍の総本山、陸軍省での白昼の恐るべき惨劇となった。

『東京朝日』の十三日夕刊は一面で「永田陸軍々務局長、省内で兇刃に倒る(危篤)、犯人は某隊付中佐」「不統制の責を負ひ陸相進退を考慮」と全面をつぶして報道した。

十四日夕刊でも一面で「永田局長襲撃の犯人は相沢(三郎)中佐、巷説妄信の兇行」と見出し四段で報じた。

『東京日日新聞』(現・毎日)は同じく十三日夕刊一面で「現役の中佐、軍刀で永田軍務局長を斬る けさ陸軍省で執務中」「陸軍部内に衝撃」。十三日朝刊では「不祥事件=陸相の態度、此の際一層統制強化、然る後に進退を考慮、部内でも慎重を要望」の見出しが並んだ。」

なぜ、軍の中枢部でテロが起きたのか。ちょうど、このころ、嵐のように吹き荒れた軍部主導による天皇機関説排撃の国体明微運動は、合法的な無血クーデターの色彩が強かった。近代合理主義的な考え方は一切排撃され個人主義、自由主義はもちろん、自由思想や言論はきびしく統制され、時代精神は一挙に逆戻りした。

こうして戦時体制へ向けて軍部独裁が着々と築かれていく過程で、陸軍内での派閥抗争は一段と激化、皇道派と統制派の対立は抜きさしならぬ状態となった。

もともと、「陸軍パンフレット」(国防の本義と其の強化の提唱)は統制派の国防国家建設の青写真であり、皇道派に対する批判であり、これに対して、国体明徴運動は皇道派の猛烈な巻き返しであった。

皇道派の領袖とあがめられていた荒木貞夫陸相当時の皇道派の青年将校の無軌道ぶりは、目にあまるものがあった。

「彼らにおそろしいものはなかった。軍の首脳はその同志であったし、憲兵さえ皇道派に奉仕していた。彼らは有頂天になって国家の志士を気取り、真面目に隊務にいそしむ勤勉な将校を職業軍人とけなし、著しい独善に陥っていた」(1)

各連隊長も青年将校の統制に苦しみ、青年将校はますます手がつけられなくなった。元凶の荒木陸相は、1934(昭和9)年2月23日に病気により辞任、皇道派は真崎甚三郎教育総監をかつぎ出そうとしたが、林銑十郎陸相に決まった。林陸相は粛軍に乗り出し、陸軍内随一の切れ者といわれた永田鉄山軍務局長が中心となり、取り組んだ。

荒木陸相時代の乱れた統制回復、下剋上の風潮の是正に乗り出したが、皇道派の激しい抵抗を受け、粛軍は難航した。一九三四年十月、陸軍パンフレットを発行、軍による統制強化を打ち出す一方、陸軍中央部幕僚は青年将校と大同団結しようと懇談会を開催した。国家改造運動をすすめる皇道派青年将校に対して、政治運動を禁じ、軍が国家革新をすすめる方針を示したが、結局、もの別れに終わり、対立はいっそうエスカレートした。

元々、皇道派と統制派は昭和七年頃に誕生して、その対立が激化してきた。皇道派は荒木陸相、真崎参謀次長、柳川陸軍次官を最高峰として、山田軍務局長、山下軍事課長、小畑参謀本部第三部長、香椎教育総監本部長、秦憲兵司令官といった面々で軍中央の要職は、皇道派で固められていた。そうして北一輝、西田税らの影響下にある一部の青年将校たちは皇道派の行動部隊といわれていた。

一方、統制派は永田鉄山少将、東候英機少将、今村均大佐、武藤章中佐、影佐禎昭少佐と言った面々で、皇道派と統制派の対立の原因は小畑、永田両少将の意見の対立が主たる原因であったという説が、世間に流れていた。

同年十一月二十日にいわゆる十一月事件(士官学校事件)が発覚。この事件は5・15事件と似たような元老、重臣の襲撃計画で皇道派の村中孝次大尉、磯部浅二等主計らが逮捕された。軍法会議で取り調べた結果、証拠不十分として翌一九三五年四月に村中、磯部らは停職処分となった。

このため村中らは、十一月事件は皇道派を弾圧するためのデツチ上げだとしてパンフレット「粛軍に関する意見書」を軍部内にばらまき反撃に出た。皇道派は永田を統制派の中心として憎悪し、怪文書を出して激しく攻撃した。

一方、林陸相らの統制派は皇道派のメンバーを人事異動で一掃するため、巨頭の其崎教育総監を七月十六日に更迭、八月二日には村中、磯部を免官した。両派の対立は頂点に達した。

「血をみなければおさまるまい」との予想どおり、真崎追放一カ月後に皇道派による永田鉄山暗殺事件となって爆発したのである。

相沢は福山歩兵第四十一連隊付であったが、八月一日付で台湾歩兵第一連隊付の配属が命ぜられていた。剣道四段で、尊皇の念が強く、性格は直情径行であった。陸軍士官学校で真崎の絶対的信奉者となり、皇道派のメンバーとして、西田税、村中、磯部ら青年将校とも親交を重ねていた。

真崎が更迭された直後に上京して永田軍務局長に会い辞職を勧告した。その後、村中らから送られてきた「真崎教育総監更迭事情要点」「軍閥、重臣の大逆不遥」「粛軍に関する意見書」などの怪文書を読み、皇軍を私兵化する統制派の元凶として永田に一層激しい憎悪をもやし、殺害を決意した。犯行当日、陸軍省を訪れた相沢はすぐ旧知の山岡重厚整備局長に会い、台湾行きのあいさつをし、永田局長の在室を給仕に確認させ、山岡局長が止めるのきかず軍務局長室に向かった。

つづく

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