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『オンライン講座/日本戦争報道論①」★『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑫「森正蔵日記と毎日の竹ヤリ事件⑤まきぞえをくった二百五十名は硫黄島 で全員玉砕した』★『挙国の体当たり―戦時社説150本を書き通した新聞人の独白』森正蔵著、毎日ワンズ)は<戦時下日記の傑作>森桂氏に感謝します』

      2021/01/06

  2014/10/09 記事再録

120回長期連載中『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑫

『挙国の体当たり戦時社説150本を書き通した新聞人の独白』森正蔵著 毎日ワンズ』2014の出版。大東亜戦争下の毎日新聞の言論抵抗・竹ヤリ事件の真相⑤―新名懲罰事件でまきぞえをくった二百五十名は硫黄島 に送られ、全員玉砕したー

森正蔵

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%AD%A3%E8%94%B5

 

『挙国の体当たり戦時社説150本を書き通した新聞人の独白』森正蔵著 毎日ワンズ』2014)の出版された。

森正蔵

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%AD%A3%E8%94%B5

 

森正蔵の経歴は、
1900年、滋賀県生まれ。東京外国語学校(現東京外大)卒業後、毎日新聞社に入社。ハルビン、奉天、モスクワなどの特派員をつとめ、1940年、屈指のロシア通であることが買われ外信部ロシア課長となる。日米開戦時は論説委員。開戦後いち早く最前線に従軍し、帰還後はその体験を基に健筆を揮い、立て続けに社説で論陣を張った。社会部長で終戦を迎え、その後出版局長、論説委員長、取締役などの要職を歴任、その間に発表した『旋風二十年』(鱒書房)は空前のベストセラーとなった。

(昭和20年)終戦後に東京本社社会部長・出版局長等を歴任し、(昭和25年)取締役に就任し論説委員長となった。(昭和28年)1月11日52歳の若さで、過労がたたったのか病死した。

森氏はたくさんの記事、社説も精力的に書いている稀代の新聞人だが、モスクワ特派員時代から、亡くなる寸前までの17年間にわたって毎日克明に書きとめた四十二冊の日記を残している。

 

『挙国の体当たり』を出版された森の長男・桂氏のまえがきによると「日記は森がモスクワ特派員の二年目、昭11年12月29日からはじまっている。ドイツからわざわざ取り寄せた大学ノートの書きには、「日記は他人に見せるものではないようだが、誰に見られても恥ずかしくないような日記を書きたいものだ。つまりそういう生活がしたいものである」と記されている。

 それからというもの、亡くなる前年(昭和二十七年) の九月まで、仕事で遅くなったときも、酒を過ごしたときも、その後南方の戦線に従軍したときも、病に倒れ入院したときも、絶えず日記帳を携え毎日欠かさず書き続けたのである。さらに、生来の画才を活かして、余白に、折々の世相をイラストで描いている」

この日記現物を9月30日に日本記者クラブで桂氏から拝見したが、ペン書きの楷書で、誤字訂正、書き直しなどもほとんどなく、しかも従軍日記などのところどころに画家顔負けのイラスト、画が入っており、そのままコピーして出版しても読める素晴らしい日記である。感銘した。

昭和20年までのジャーナリストの日記はあるようであまりない。書くのが仕事、もともとのジャーナリズムの語源は日記であるのに、日々の取材、出来事、見聞、体験をきちんと書き残した記者があまりにも少ないことがないことが、日本のジャーナリストの意識低さを反映している。

100年続く記者クラブの大弊害、―同じネタを記者クラブにいて、各社記者がよってたかって、同じ中身の薄い役所発表の「フェークニュース」ままがいの広報文をヨコをタテにして書き写し、コピーペーストしただけで、『●×新聞記者でござい』『凸凹テレビ記者」でござーいと威張っているだけの、高給を食んで、政府、役所PR記者がほとんどであると、私の記者経験から言わせてもらう。

つまり、新聞、出版、テレビその他のジャーナリスト、記者は名刺の肩書き通りの会社、組織サラリーマン完全従属記者で、ジャーナリストとは何をなすべきかという問題意識や職業意識がまるでないのが大半なのである。

森の戦時下の日記は日本のジャーナリストの記念塔と思う。正木ひろし「近きより」桐生悠々の「他山の石」清沢洌(きよさわ きよし)の『暗黒日記』などはすでに、広く知られているが、森日記に緒ついては、来年戦後70年を前に全文を出版もしくは電子公開する価値があると思う。

特に、昨今の「朝日新聞の従軍慰安婦問題」をめぐる日本の大新聞(朝日、読売,産経、毎日、日経,共同、地方紙もすべての新聞、週刊誌(週刊文春,新潮、ポストなどなど)にみられる歴史健忘症、歴史認識の低レベル、木を見て森を見ない、視野狭窄症、空気に支配される、国際感覚、認識の恐ろしい欠如)は清沢洌が指摘している<ガラパゴス国家の死に至る日本病>の再発で「大東亜戦争当時」とあまり変わっていないと思う。

私は7年前に「太平洋戦争と新聞」(講談社学術文庫)なる本を書いたが、当時の新聞記者は新聞法、出版法で言論の自由はほぼ100%奪われていた中で、新聞でかけなければ日記に戦争の真実をかいて、発表できる時期が来れば発表する<真実追及、記録するジャーナリスト>がごく少数しかいなかったことが日本のジャーナリストの敗北であり、日本全体の課題でもあり、今にも引き継がれている課題である。

森はその中で、例外的なジャーナリストとして、「旋風20年」で昭和20年12月の敢然とそれを実行しているが、彼の残した日記には「勇敢なる、持続するジャーナリズム精神」が現れているとおもう。

これから、森日記を引用しながら、シリーズ『15年戦争の真実』に迫りたいとおもう

 

 大東亜戦争下の毎日新聞の言論抵抗・竹ヤリ事件④

 

以下は新名記者が自ら語る『竹槍事件』(「沈黙の提督、井上成美
真実を語る」新名丈夫著 新人物文庫(
2009年)によると、新名の独白である。

 まきぞえの二百五十名は硫黄島に送られ、全員玉砕した。

 入隊してまもなく、未知の人から一通のハガキがきた。それには、こう書かれていた。「私は貴連隊に先日まで勤務していた大尉です。ご苦労ですが、しばらくつとめて下さい。なお連隊本部の香川進中尉に連絡して下さい」

 この一枚のハガキが何を意味するか、私にはわからなかった。やがて、香川中尉から呼び出しがきた。連隊の報道部の士官だった。中尉は私を将校酒保につれて行って、茶菓を馳走し、タバコをくれたうえ、毎日新聞社の丸亀通信部主任を呼んで、連絡をつけた。

 香川中尉は何べんも私を呼び出した。そして、「君はやがて帰るよ」と、いった。

 三カ月で、私は他の戦友といっしょに除隊になった。その夜、香川中尉が1杯やろう」といって、丸亀市内の料理屋で杯をくみかわしたとき、中尉はおどろくべき話をした。「丸亀連隊は明治以来の古い歴史を持つ部隊です。だが、その丸亀連隊の歴史あってこのかた、空前の大騒動だったのです。

 海軍は強硬で、大正の召集免除の者を二人だけ取るとはどういうことか、とねじこんできた。そこで辻つまをあわせるために、同じように大正の召集免除の者を二百五十名、大いそぎで取ったのです。

 君に対しては、中央からは、沖縄、硫黄島方面の球部隊に転属させるという厳命がきていた。だが、いま君を召集解除にする。 君の兵籍簿は、二度と召集令状が来ないよう、ブランクにしてある。しかし、それでも大丈夫とはいえない。必ず再召集が来る。内地にいない方がよい。

 陸軍には、支那事変以来、中央に対して批判派がいる。それと海軍が実に強硬であったということ、これを忘れないでほしい。しかし、新聞記者としてこれだけの大騒動をひきおこせば、もって瞑すべきですよ」

森日記の「六月二日」には、こう書かれている。

 新名が帰ってきた。今朝九時六分に東京に着いて、いったん家に落ち着いたことを出社して聞いたが、午後、社に現われる早々会って、あらましの模様を親しく聞き取った。彼の入隊から三ヵ月経ったのである。最初は彼があんな具合で引っ張られていったとき、いったいこんなことで、この大切な時期を乗りきってゆけるものかと、当局のやり口を極度に憤るばかりであった。

その心持ちは今でも変わらない。しかし今日、新名自身から入営から釈放まで隊内で受けた上官や戦友の兵たちの、彼に対する心やりの温かさを聞くに及んで、軍人政治屋の馬鹿者どもが何もかもを打ち壊そうとしている一方、こうした純な人間味が、皇国のこの厳しい時代を温めていてくれるかと思い、感激の深いものがあった。

続いては新名の記述である。

 除隊になるや、海軍は私を報道班員にしてフィリピンへ派遣した。サイパン、テニアン落ち、フィリピンの決戦となった。私は、第一、第二航空艦隊(基地航空部隊)に従軍した。神風特別攻撃隊の出撃となった。そして飛行機がなくなり、司令部が台湾へさがるとき、司令部は私に「内地出張」の命令を出した。内地で戦争の真相を講演してほしい、というのであった。

 戦争がすんでまもなく、私は同じ丸亀連隊にいた朝日新聞の井沢淳君(映画評論家)から聞かされた。私といっしょにいた丸亀連隊の戦友には、あれからまもなく再召集令がきて、全員硫黄島へ送られて死んだと。いまも、その人たちのことを思うたびにたおれそうな気持ちだ。-と新名は述懐した。

つまり、海軍は直ちに新名を報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだが、新名記者がフィリピンに出発した直後、新名のとばつちりをくって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのである。

 「毎日新聞百年史」(1972年刊)はこう書いている。

「この竹ヤリ事件の記事の主張するように、陸海軍航空機の生産力を海軍一本にしぼったなら、あるいはフィリピンの決戦に勝機をつんみ得たかも知れないともいわれる。竹ヤリは、事実、何の役にもたたなかった。六月十五日サイパンに米軍が上陸、七月十八日東条内閣は総辞職し、七月二十二日小磯国昭内閣となる。吉岡編集局長は八月七日復職した。加茂次長は五月に西部編集局次長となっていたが、十月十三日東京に復活した」

 新名記者と同じような懲罰召集は松前重義(現東海大学学長)が東条反対派の東久邇宮に接近したというので、四十五歳で第二国民兵なのに召集され南方に送って、電柱かつぎに使役されたという懲兵ケースがある。

大量の科学兵器に対して、女子供まで竹ヤリを持って対抗するというアナクロニズム、精神主義の無知蒙さ、思考形式は60年前の戦争という異常時の単なるレアケースしてかたづけられるのだろうか。その後の日本人から真に克服されたのだろうか、気になる。

 引用資料・参考文献注記

(23)『毎日新聞販売史-戦前・大阪編』 川上富蔵 毎日新聞大阪開発一九七九年六月 559P

(24)『昭和快人録』 戸川幸夫 秋田書店 一九六四年十月  109-110P

(25) 『毎日新聞百年史』 毎日新聞社百年史刊行委員会編 一九七二年二月 200P

(26) 『同上』 200P

(27) 『同上』 200P

(28) 『昭和快人録』 一135P

 

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