前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

 日本リーダーパワー史(795)ー「日清、日露戦争に勝利』 した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス』⑫『日露開戦7ゕ月前、ロシアは武断派が極東総督府を設置、新たに満州返還撤兵の五条件を要求した』★『日本が支援した清国はこの要求を拒否』

      2017/04/28

 

 日本リーダーパワー史(795)ー

「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、

インテリジェンス』⑫

ロシア大兵の南下急

明治36年6月のロシア側の『旅順会議』後、ロシアの満州における軍事行動は、急に一段の活気を帯びた。ロシアはハルビン方面に向かって、新たに本国とシベリア方面から陸続として大兵を送りこみ、満州各地で撤兵をしないばかりでなく、かえって兵力を増加した。

さらに、鴨縁江方面に対する活動は、いよいよ急ピッチで進められ、鳳凰城、安東県一帯の要地は、全くロシアの支配地域となり、旅順ではその要塞を固め、兵糧を集積して戦争の準備をはじめ、極東艦隊を増強した。

ロシア極東総督府の設置

 八月に入ると、ロシアは勅命によって、旅順に極東総督府が設置し、アレキシェフ大将を極東総督に任命した。この極東総督府設置と、新総督にアレキシェフの任命された件は、陸相クロバトキン、外相ラムスドルフ、蔵相ウイッテ、その他いわゆる文治派の人々に知らされなかった。クロバトキンはこの発表を見て驚き、抗議の意味をかねて八月十五日に辞表を提出した。しかし、ロシア皇帝から慰留されて、思い止まる一幕もあった。

 

 この極東総督府の設置は、ロシア宮廷内における武断派(日露戦強硬派)対文治派(日露和平派)の権力闘争に武断派が、勝利したことを意味した。これはロシアの極東経営史上における画期的の出来事で、以後、ロシアの極東政策は、武断派が握ることになり、軍事行動は一段とエスカレートしていった。

九月から十月にかけて、これまでの増兵に加えて、さらにヨーロッパロシアから二個師団が動員されて満州に派遣された。シベリア鉄道は、線路破損の名目で、普通貨物の取り扱いを中止し、増員兵力と軍需品の輸送に全力をあげ、十数両の病院列車を露都から極東に回送した。海軍でも、すでに回航した有力艦艇に数隻の戦艦を加えて極東に回した。

 

 清国、ロシアの新要求を拒否

 

一方、九月六日に、在北京ロシア公使は、清国政府に対し、先に提案してあった七ヵ条を撤回して、新たに満州返還撤兵の条件として五項目を要求した。

➀清国は満州三省をいずれの外国にも譲与しないこと。また、該三省の地域はその大小を問わず、租与、抵当、その他何らの方法においても、これを処分しないことを保証すること。

②ロシアは松花江の沿岸各地に埠頭を建設し、同江を航行する船舶並びに沿岸の電信繰保護のため、必要の軍隊を駐屯させるため、チチハル、プラゴヴェスチュンスク間の沿道各地に、停車場を設置すること。

③鉄道により輸送する貨物に対しては、特別の重税を課すべからず。また同貨物にして甲停車場から乙停車場に転送されるものに対しては、陸路または水路により輸送する貨物に対して課するより多額の税を課さないこと。

④撤兵後、満州各地における露清銀行の支店は、満州将軍部下の軍隊にてこれを保護すべく、その費用は同銀行において支出すること。

⑤清国官憲は、牛荘において、伝染病輸入予防のため、上海天津等の地に行なわれる方法により必要なる措置を執るロシアもまた東清鉄道所属の各地において、必要の施設を為すべきこと。防疫事務を掌理する道台駐在地に、ロシア医師を招致すべきこと。

 ロシア公使は、右の条件を清国政府に提示して

 「清国政府が右の条件を承諾するならば、盛京省の露軍は即時、吉林省中の吉林城、伊通州、寛城子などのものは四カ月以内、吉林省の中寧古塔、阿什阿並びに黒竜江省中のチチハル、ハイラルのものは一年以内に全部撤退する。但し満州に外国居留地を設置することには反対である」

と声明した。

この新要求に関して、小村外相は内田公使に訓令し、慶親王に厳重な警戒を与えた。親王はわが警告を容れて、九月十五日、ロシアの新要求を拒絶し、「……何らかの要求があるならば、まず撤兵を実行して、その後で商議しよう」との主旨を伝達したので、ロシアの要求はここに再び頓挫した。

清国政府は小村の勧告を容れて、再度の要求を拒絶すると共に、第三期撤兵期の近づくにつれて、還付地受領の命を三省の将軍に伝えると共に、これをロシア公使に通達した。

しかしロシア公使は、「満州のことは、今や全くアレキシェフ総督の管理下にあるので、自分は干与できぬ」と逃げ口で対応し、駐露清国公使は、このことをロシア政府に訴えたが、ロシア外相は「アレキシェフの行動は、すべて皇帝の直裁下にある」とのみ答えて、責任ある処置をしようとはしなかった。

 - 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(42)』★『金子サムライ外交官は刀を持たず『舌先3寸のスピーチ、リベート決戦」に単身、米国に乗り込んだ』

  『金子サムライ外交官は『スピーチ、リベート決戦」に単身、渡米す。 …

no image
日本リーダーパワー史(644) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(37) <戦争で最も重要なことは「インテリジェンス」第2は『ロジスティックス』である>(モルトケ戦略) ▶ 川上参謀次長は日清戦争2ヵ月前に「日本郵船」(近藤廉平)に極秘裏に用船を手配し、大兵をスピーディーに送り込んだ。

日本リーダーパワー史(644) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(37)   …

『Z世代への遺言』★『今、日本が最も必要とする人物史研究①」★『日本の007は一体だれか→福島安正中佐』★『ウクライナ戦争と比べればロシアの侵略体質は変わらない』★ 「福島はポーランドの情報機関と協力しシベリア単騎横断でシベリ鉄道の建設状況を偵察した』★「福島をポーランド紙は「日本のモルトケ」と絶賛した』

  2016/04/06 日本リーダーパワー史(556)「知らぬは「自 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(180)記事再録/★「生保の父」第一生命創業者・矢野恒太(84歳)ー「年を忘れることは年をとらない一番の法である」★『「事業から退いたあとは「国民統計」の作成に熱中して老衰を忘れ去っている」』

 2015/09/14  知的巨人たちの百歳学(1 …

『Z世代のための百歳女性学入門②」★『日本の女性百寿者(センテナリアン)リスト①』加藤シヅエ(104歳)、木村霊山尼(104歳)、嘉納愛子、蔦清小松朝じら

2011/06/26  百歳学入門(25)記事再録再編集 以下は201 …

no image
  ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本側の日英同盟成立までのプロセス」⑦『伊藤博文が露都で日露協商の交渉中に、元老会議は日英同盟 の締結に賛成した。伊藤は日英同盟に反対し、その条約案 の修正を求めた。』

  ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本側の日英同盟成立までのプロセ …

★10・世界一人気の世界文化遺産『マチュピチュ』旅行記(2015 /10/10-18>「インカ帝国神秘の魔宮『マチュピチュ』の全記録、一挙公開!」陸野国男(カメラマン)④

◎< 世界一人気の世界文化遺産『マチュピチュ』旅行記 (2015 /10/10- …

no image
世界/日本リーダーパワー史(893)米朝会談前に米国大波乱、トランプ乱心でティラーソン国務長官、マクマスター大統領補佐官らを「お前はクビだ」と解任、そしてベテラン外交官はだれもいなくなった!

 世界/日本リーダーパワー史(893)   「アメリカは民主主義国でル …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉛』◎「BBCのネルソンマンデラの弔文記事“武闘派から一転、聖人君子の道へ”を読む①」

『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉛』   ◎「BBCのネルソン …

no image
速報(292)『日本のメルトダウン』『王になるべき男橋下大阪市長』◎『泊原発が5月5日停止し稼働ゼロ』●『ドイツZDF「放射能ハンター』

速報(292)『日本のメルトダウン』   ◎『王になるべき男橋下大阪市 …