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日中北朝鮮150年戦争史(1)『金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ』朝鮮政府は日本亡命中の金玉均の暗殺指令を出していた①<金大中拉致事件(1973年)と全く同じ手口>

   

 日中北朝鮮150年戦争史(1)

『金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ』

朝鮮政府は日本亡命中の金玉均の暗殺指令を出していた①

      『金大中拉致事件(1973年)の前例』

 

日清戦争前夜の日本と朝鮮(20)

http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi056.html

①  国際ニュースで、中国、北朝鮮の国際法、世界ルールを無視した独善的で目に余る軍事行動が連日のように報じられている。

●『焦点:高度1000キロ超えた北朝鮮ミサイル、「発射成功」の見方強まる』

http://jp.reuters.com/article/missile-idJPKCN0Z80PY

●『中国、南沙諸島へクルーズ船の定期便を計画 国営紙』『http://www.afpbb.com/articles/-/3091358

●『南沙諸島で中国が巨大施設 ベトナム紙、動画で撮影』<http://www.asahi.com/articles/ASJ5V6DRZJ5VUHBI03H.html

②  人間にも組織にも国家にも性格、行動形式の(DNA)があり、それは容易にかえることはできない。歴史的にも同じ行動パターンを繰り返す。中国、北朝鮮の行動原理は150年前の日本が明治維新に開国して、修好条約を求めた段階の対応とあまり変わっていない。パーセプションギャップ、コミュニケーションギャップ、外交ギャップ、すれ違いが戦争へとエスカレートする。

③  各国との関係史、外交史を振り返る場合も、現在の思想、価値観という一方的、単眼的な視点で見ると間違う。多くの日清戦争についての本をみると、日本の侵略戦争だった、中国、北朝鮮は被害者だったという善悪、単純2分法による視座だけで書いているものが多いが、現在の北朝鮮、中国との外交交渉でみるごとく、『話し合いによって平和的に解決せよ』という日本側の意思があっても、相手国の言動にふりまわされて、外交ギャップが広がり、軍事的な行動に発火する。こうした苦い長い対立、すれ違いの歴史からの『日清戦争』が起こる経緯をふりかえってみたい。

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<以下の原稿は『金玉均事件『日本外交史」3巻,鹿島守之助著、鹿島出版会(1970)『朝鮮独立運動暗殺史』(森川哲郎著、三一書房、64-80P),『 日清戦争前夜の日本と朝鮮(20)』http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi056.html

などを参考にして書いた>

<金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ>

『明治27年(1894 )3月28日、日本に政治亡命中の金玉均

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%8E%89%E5%9D%87

が清国の北洋大臣・李鴻章らの謀略によって上海へと誘い出され、同行した朝鮮人洪鐘字により暗殺された。

金玉均は明治17年12月の甲申事変の失敗で、日本へ亡命、福沢宅に身を寄せ玄洋社の頭山満総帥らのメンバーや朝鮮独立支持派、犬養毅らアジア主義者の庇護をうけて再起を期していた。

このため、朝鮮事大党が後楯となった朝鮮国王、閔一族一派にとって、独立党の幹部が日本に亡命しているのは、まさに猛虎を野に放っているのと等しく、これ以上の不安と危険はない。

そのため、翌明治18年1月10日、事変後の日本との条約商議に際し、朝鮮国全権金宏集は井上馨特派大使に対して、金玉均、朴泳孝らは逆賊なので引渡しを要請した。これに対し、井上大使は日韓両国間は犯罪人引渡条約の締結がなく、金玉均、朴泳孝らは政治犯であるので、国際法、人道上の観点から拒絶した。その後、甲申事変の謝罪使兼全権大使・徐相雨が日本を訪れた際にも、再度、金らの引き渡し要求を繰り返したが、井上外務卿は同じ理由で拒絶した。

 

このため、閔妃一派が、金玉均らの逮捕、引渡しを要求は絶望的としみて、朝鮮国王の従兄李載元を囮にして金玉均を本国へおびき寄せようとの謀略をめぐらせた。18年の春から夏にかけて宋乗畯ら二人を日本に潜入させた。しかし、この計画も失敗すると、今度は日本で金玉均を暗殺しょうとし、翌明治19年5月、刺客・池蓮永を日本へ密行させたが、これは金玉均に見破られてまた失敗する。

 

明治19年4月、日清両国間で天津条約が締結されると、日本政府は朝鮮に対する積極政策を断念したため、独立党が日本政府の援助を得ての再起も絶望視された。このため、同5月、朴泳孝、徐光範、徐載弼らはアメリカへ渡航し、金玉均だけが日本に残留することになった。

金の日本亡命については、日朝関係ののどに刺さった大きなとげと化して、その後の日朝交渉の障害となり、日本政府、井上外務卿も金玉均の存在が邪魔となったため、日本政府は金玉均を拘留して小笠原島や北海道に流罪人扱いで島流しにした。

約七年の歳月ののち金玉均は明治24年に日本政府から、正式に拘束をとかれて、東京に舞い戻ってきた。

1892年(明治25)5月、朝鮮国王は再び暗殺指令を出して刺客・李逸植を日本に送りこみ、金玉均と朴泳孝を暗殺する機会を窺った。朴泳孝は拉致して大きな袋詰めにして、朝鮮に持ち帰る『金大中拉致事件」と同じ手口だが、朴に見破られて失敗する。

https://books.google.co.jp/books?id=C4_YKRPHfYkC&pg=PA65&lpg=PA65&dq=%E5%88%BA%E5%AE%A2%E3%83%BB%E6%9D%8E%E9%80%B8%E6%A4%8D&source=bl&ots=ALoz2TYpNt&sig=LqW708maiyNsGvjG4A_9s-v8KIo&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj7_-Cslb7NAhVGjJQKHXLDCzUQ6AEIHDAA#v=onepage&q=%E5%88%BA%E5%AE%A2%E3%83%BB%E6%9D%8E%E9%80%B8%E6%A4%8D&f=false

李逸植は金玉均へ接近したが、金玉均は初めは警戒したが、そのうち付き合うよになった。李逸植はあの手この手の陰謀をめぐらして金玉均に陰謀仲間の日本駐劉清国公使・李経芳(李鴻章の息子)に紹介し、両者の付き合いがはじまった。さらに後任公使の江鳳藻とも親しくなり、明治26年9月ごろから、しばしば清国公使館を訪れるまでになる。

明治26年になると、朝鮮国王は第2の刺客としてパリ帰りの、洪鐘宇http://nekonote.jp/korea/hito/hndng.html

を送り込んできた。洪鐘字は神田の下宿に居を構えて、金玉均に接近した。洪は、朝鮮国王から直接、金玉均殺害の命令をうけ、首尾よく目的をとげた時は、外務大臣の椅子を与えるという交換条件を出していた。金玉均が経済的に窮迫していたのにつけいって洪鐘宇は多額の金を金玉均に貢いで信用させていった。

清国公使・汪鳳藻もこの謀略の仲間だった。公使館の1人の男にその意を含めて、金玉均に接近させ李径芳と金玉均との間に、密書のやりとりをさせていた。

明治27年初め、李径芳から、金玉均へ「父李鴻章の力を借りて、あなたを再び朝鮮政府の要路に就かせようと思う。必ず内政改革の志を達成させるから、一度上海まで出かけてきてほしい」との誘いの手紙を送られてきた。

金は早速、玄洋社総帥の頭山満に相談した。頭山は、言下に「そんな誘いは全く信用できない、絶対に止めろ」と制止したた。犬養毅も岡本柳之助、金玉均を知る人たちのほとんどは「これは敵のわなだ」といってみな上海行に反対した。

ところが、金玉均の意志は固く、「虎穴にいらずんば虎児を得ず。私は、決してあの刺客の連中に殺されるような男ではないから心配するな。」と書生の日本人和田延次郎と洪鐘宇を護衛にして、清国公使館通訳呉保仁を連れて、明治27年3月23日、神戸出帆の郵船会社の西京丸に乗り込み、上海に向かった。27日、上海に到着し租界内にある宿泊先『東和洋行』に一行は投宿した。その翌日、洪鐘宇によってピストル3発を受けて金玉均は暗殺されたのである。

つづく

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