前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(68)大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」「東条首相、国民に殉国の覚悟を説くー」

      2015/05/03

 終戦70年・日本敗戦史(68) 

大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」

「 東条首相、国民に殉国の覚悟を説くー」

〔昭和16129日 大阪毎日新聞(第二夕刊)〕

「 大詔を拝し奉りて」(首相放送)

ただいま宣戦の御詔勅が換発せられた。精鋭なる帝国陸海軍はいまや決死の戦いを行いつつある。東亜全局の平和はこれを念願する帝国のあらゆる努力にも拘わらず、ついに決裂するのやむな気に至ったのである。

過般來、政府はあらゆる手段をつくし対米国交調整成立に努力して参ったが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かえって英、蘭(オランダ)、重慶(蒋介石政府)と連合して支那(中国)よりわが陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破毀を要求し、帝国の一方的譲歩を強要してきた。

それに対し帝国はあくまで平和的妥結の努力を続けて参ったが、米国はなんら反省の色を示さず今日に至った。殊に帝国にしてこれらの強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し、支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、ついには帝国の存立をも危殆に陥らしめる結果となるのである。事ここに至っては帝国は、現下の危局を打開し自存自衛を全ケするため、断乎として起ち上がるのやむなきに至ったのである。

今、宣戦の大詔を拝し恐おく、感激に湛えぬ。私、不肖なりといえども一身を捧げて滅私奉公ただただ宸襟を奉らんとの念願のみである。国民諸君もまた己れが身を顧みず、醜の御楯たる光栄を同じくせられるものと信ずる。

′およそ勝利の要訣は必勝の信念を堅持することである。建国2600年、われらはいまだかつて戦いに敗れたことを知らない。この史緒の回顧こそ、いかなる強敵をも破壊する確信を生ずるものである。

われらは光輝ある祖国の歴史を断じてけがさざるとともに、さらに栄えある帝国の明日を建設せんことを固く誓うものである。顧みればわれらは今日まで隠忍と自重との最大限を重ねたのであるが、断じて易きを求めたものでなく、また敵の強大を恐れたものでもない。ひたすら世界平和の維持と人類の参禍の防止とを顧念したのにほかならない。

しかも敵の挑戦を受け、祖国の生存と権威とが危うさにおよびては、決然起たざるを得ないのである。当面の敵は物資の豊富をほこり、これによって世界の制覇を目指しておるのである。

この教を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せんがためには、当然長期戦たることを予想せねばならない。これと同時に絶大の建設的努力を要することは言を要しない。

かくてわれらはあくまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、いかなる困難も障碍も克服して進まなければならない。これこそ昭和のみ民、われらに課せられたる天与の試練であり、この試練を突破してのちにこそ、大東亜建設者としての栄誉を後世に担うことが出来るのである。

この秋にあたり満洲国および中華民国との一徳一心の関係いよいよ敦く、独伊両国との盟約ますます国書を加えつつあることを満足とするものである。帝国の隆替、東亜の興廃、まさにこの一戦にあり。

一億国民がいっさいを挙げて国に報い、国に殉ずるのときは今である。八紘を宇(いえ)となし、皇ごのもと尽忠報国の精神ある限り、英米といえどもなんら恐るるに足りないのである。勝利は常に御稜威もとにありと確信いたすものである。私はここに謹んで匪躬の徴哀を披歴し、国民とともに大業翼賛の丹心を誓う次第である。

陸海両相に勅語を賜う(陸軍、海軍両省公表八日午後三時)本日、

陸海軍大臣を宮中に召させられ、左の勅語を賜わりたり。

勅 語

さきに支那事変の発生を見るや、朕が陸海軍は勇奮健闘、既に四年有半にわたり不逞を膺懲して、戦果日に揚がるも、禍乱今に至りなお収まらず。朕、禍因の深く米英の包蔵せる非望に在るに鑑み、朕が政府をして事態を平和の裡に解決せしめんとしたるも、米英は平和を顧念するの誠意を示さざるのみならず、かえって経済上、軍事上の脅威を増強し、以って帝国を屈服せしめんと図るに至れり。

ここに於いて朕は、帝国の自存自衛と東亜永遠の平和確立とのため、ついに米英両国に対し戦いを宣するに決せり。

朕は汝等軍人の忠誠勇武に信侍 信倚し、よく出師の目的を貫徹し、以って帝国の光栄を全くせんことを期す。

右勅語を拝受し、陸海軍大臣は左のごとく奉答せり。

 奉答文(臣英機、臣繁太郎)

誠恐誠おく、謹みて奏す。帝国未曽有の難局に方り優渥なる勅語を賜う。臣等感激の至りに堪えず。臣等協力壷、死力を尽くし、誓って聖旨に応え奉らんことを期す。臣英機、臣繁太郎、誠恐誠億、陸海軍を代表し、謹みて奉答す。

 

昭和16年12月8日

陸軍大臣 東条英機

海軍大臣 嶋田繁太郎

 - 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

「終戦70 年」ージャーナリスト高杉晋吾氏が「植民地満州国」での少年体験を語るー防空壕に退避の母、姉、自分など7人が爆弾直撃で、ただ1人生き残る。

「終戦70 年」歴史ジャーナリズムージャーナリスト高杉晋吾氏が 「植民地満州国」 …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉗「長崎事件に対しての英側の見解」(英「ノース・チャイナ・ヘラルド」)

     『中国紙『申報』からみた『日中韓150年 …

「Z世代のための日本宰相論」★「桂太郎首相の日露戦争、外交論の研究①」★『孫文の秘書通訳・戴李陶の『日本論』(1928年)を読む』★『桂太郎と孫文は秘密会談で、日清外交、日英同盟、日露協商ついて本音で協議した①』

2011/08/29 日本リーダーパワー史(187)記事再編集 以下に紹介するの …

★『明治維新から154年目、日本で最も独創的,戦闘的,国際的な経営者とは一体誰でしょうか(❓) <答え>『出光興産創業者・出光佐三』でしょうね。 かれのインテリジェンス、国難逆転突破力、晩年長寿力 に及ぶ大経営者は他には見当たらない』★『「海賊とよばれた男」出光佐三は石油メジャーと1人で戦った』

    2016/08/20  日本リー …

『Z世代のためのオープン自由講座』★『ドイツ人医師ベルツによる日中韓500年東アジア史講義➂』★『伊藤博文の個人的な思い出④ー日本人の中で伊藤は韓国の一番の味方で、日本人は韓国で学校を建て、鉄道や道路や港を建設した』

2010/12/05 の 日本リーダーパワー史(107)記事再録 伊藤博文④-日 …

『オンライン/明治外交軍事史/講座』★『森部真由美・同顕彰会著「威風凛々烈士鐘崎三郎」(花乱社』 の背景を読む➄』日中友好の創始者・岸田吟香伝②『 楽善堂(上海)にアジア解放の志士が集結』★『漢口楽善堂の二階の一室の壁に「我堂の目的は、東洋永遠の平和を確立し、世界人類を救済するにあり、その第一着手として支那(中国)改造を期す」と大書』

     2013/02/19『リーダーシップの日 …

no image
日本リーダーパワー史(678)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(57) 『福島安正大佐のインテリジェンスが10年後に『日英同盟』(核心は軍事協定)締結へつながった。

日本リーダーパワー史(678) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(57) 『福 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(248)/『1894年(明治26)単騎シベリア横断をした福島安正大佐のインテリジェンス』「シベリアには英仏独のスパイが50年前から活動、日露戦争では英、仏、独のいずれかを味方とし援助を受けるべし』

 2016/02/26日本リーダーパワー史(674)/『戦略思考の欠落 …

日本リーダーパワー史(648) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(41)国難『三国干渉』(1895年(明治28)に碩学はどう対応したか、三宅雪嶺、福沢諭吉、林ただすの論説、インテリジェンスから学ぶ』(2)『ただ堪忍すべし』福沢諭吉(明治28年6月1日 時事新報〕

  日本リーダーパワー史(648) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(41)  …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(119)/記事再録☆<日本は21世紀の新アジア・グローバル主義のリーダーをめざせ>★『 アジアが世界の中心となる今こそ,100年前に <アジア諸民族の師父と尊敬された大アジア主義者・犬養毅(木堂)から学ぼう』★『亡命イスラム教徒を全面的に支援した唯一の政治家』★『藩閥、軍閥と戦い終始一貫して『産業立国論』を唱えた政治家』★『最大の功績は中国革命の父・孫文を宮崎滔天を中国に派遣して日本に亡命させ匿い全面支援した、いわば中国革命を実現したゴッドファーザーこそ犬養木堂なのだ』

     2015/01/21日本リーダーパワー史 …