『昭和史キーワード』『昭和天皇史』ー群馬県内陸軍特別大演習の天皇行幸でおきた 天皇誤導事件<1934年(昭和9)>
2016/01/12
『昭和史キーワード』
『昭和天皇史』ー群馬県内陸軍特別大演習の天皇行幸でおきた
天皇誤導事件<1934年(昭和9)>
戦前の日本では、天皇行幸は最大のイベントであり、行幸が決まってからのその県の準備は大変をきわめ、人々の緊張は最高度に達した。1934年(昭和9)に群馬県内で陸軍特別大演習と行幸が行われた。
1年前に開催がきまると、大演習と行幸にかかわる施設や関連道路、橋脚などの土木整備工事が進められ、行幸のルートにあたる道路、町並みも舗装、一新された。半年に迫ってくると、群馬県は「お迎えの県民の心がけ」を一斉に示達した。「県民伝統の精神を盛んにすべし、益々忠誠の実をあげるべし、保健衛生に注意し、伝染病の予防に努めるべし。貴顕(身分の高い人)の応接と、軍隊への接遇は特に懇切丁寧に行うべし」という注意が出された。
こうして一大行事が近づくにつれて、準備万端急ピッチに進められ、人々は奉迎に落ち度、失敗は絶体に許されないという緊張した雰囲気に包まれていった。
大演習直前の新聞では「大演習景気」の大見出しで「前橋はカーキ色一色、福井の二倍以上、向ふ鉢巻で忙しい畳屋さん」とあり、「前橋市では市内を在郷軍人分会域ごとに、8出張所を設け、宿泊誘導班を組織、万全を期している。全市一万六千戸中、将兵を宿泊出来る一般民家の畳数は二万二千五百畳、一万五千人は楽に収容できるとの見込、……前年の福井市に比較すると二倍以上で、従来にない大規模のものであるかがわかる」(上毛新聞10月15日付)と報じた。
群馬陸軍特別演習は11月11日より13日まで大元帥である昭和天皇が大本営に陣取って統監する中で行われた。演習は栃木県、群馬県にまたがっての地域で参加部隊は近衛・第二第二各師団、機械化兵団などの一大兵団で、両軍に分かれて大兵団の機動作戦の演習、夜間行動などに重点がおかれて実施された。
大演習は予定どおり無事に終了し、十五日から十八日まで前橋行幸となった。事件は16日に起きた。天皇のお召し自動車の警察の先導車が道を間違えたのである。
十六日午前9時四41分、お召し車は桐生駅を出発、西小学校から桐生高等工業学校に到着の予定だった。先導車には群馬県警察部衛生課・本多重平警部と3人が乗り込んでいたが、最初の予定地である桐生西小学校に向かう際に、曲がり角を間違えて、2番目に訪問の桐生高等工業に先に25分も早く着いてしまったのである。
当時、行幸の場合は沿道で歓迎する者は土下座をすることになっており,屋内はもとより2階,屋上などから見下ろした累、のぞき見は禁止,扉はすべて閉鎖,看板類は取り除かれ,沿道の家並みは紅白の幕で覆われていた。このため、普段見慣れた町並みが一変しており、それに過度の緊張の中で、間違えてしまったのである。
視察の順序が狂ったため、関係者は慌てふためいた。最初の西小学校では予定の時間に天皇の一行が到着しないため,天皇が行方不明となったのでは、と一時大騒ぎになった。しかし、桐生高等工業学校ではなんとか無事に行幸をすませ、そこから西小学校に向かい、新川グランドの御親閲式場に臨んで、その日のスケジュールは終了した。
ところが、天皇が18日午前9時8分発の「お召列車」でお帰りになるのと同じころ、前橋市内の自宅で誤導の責任者として謹慎していた本多警部が帯剣でノドを切り自殺して重態となった。
天皇の出発の時間にあわせて本多警部は覚悟の上、見張りの警察官、家族の全部を外出させて、奥八畳間に入り制服姿で端座して、御警衛用の日本刀仕込みの備剣をもってノド部を一突きに突き刺して自殺をはかつたのであった。本多警部の妻むめ(37)は妊娠中で実母宅に身を寄せていたが、『官服をつけたまま落ちついて謹慎していました。恐がくくのあまり思いつめてしまったのでしょう』と(上毛)と語っている。
群馬県としては誤導というミスを犯した上、自殺未遂事件まで起したので、県議会でも重大問題化した。金沢正雄知事は、19日に上京して内務省に出頭し、「責任は知事にあり、ほかにはない」と諒解を求めたが、政府は12月10日に金沢知事、唐沢俊樹内務省警保局長らを譴責処分にした。また、群馬県では懲戒委員会を開いて本多警部に減俸(3ヵ月月俸10分の1減ず)を決定して、一件落着した。当時の天皇絶対主義社会での悲喜劇であった。
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