日本リーダーパワー史(281)社会貢献の偉大な父・大原孫三郎ー百年前に企業の社会的責任を見事に果たし希有の経営者②
2019/10/15
社会貢献の偉大な父・大原孫三郎を見習いたい。100年前に企業の
社会的責任をこれほど果たし経営者はいないね②
『黎明を駆け抜けた世界的なメッセ王』大原孫三郎の生涯②
社会的責任をこれほど果たし経営者はいない
米ロックフェラー病院などを見習い、倉敷市内に敷地三万五千平方メートル、建坪一万平方メートル、二百二十ベッドの最高レベルの病院を建設した。約二百万円(現在だと四百億円)の建設費その他はすべて大原が負担。大正十二年(一九二三)六月に開院式が行われた。倉紡中央病院(昭和二年に倉敷中央病院と改称)である。
時代を先取りした「シンクタンク」を創設
政府は「社会問題」は不穏当であるとして「生活問題研究所」に変更するよう圧力をかけたが、大原は屈しなかった。経済人としての大原の勇気と社会正義への信念は土性骨が入っていた。孫三郎は設立に当たって「この研究所を世界的に立派なものにしていきたい。自分はもうけた金は全部社会のために使い果たすつもりである」と述べている。
大正八年(一九一九)「大原社会問題研究所」が設立されたが、高野所長のもとに櫛田民蔵、・森戸辰男、久留間鮫造、大内兵衛、細川嘉六、笠信太郎、長谷川如是閑、河上肇らの当時の日本での最高の知識人、代表的な社会科学者そろってスタッフに加わった。
同研究所から、「大原」の名前をはずすように言われても、応じなかづた。今でいう「シンクタンク」や「企業研究所」の先駆的なケースだが、大原の構想は一実業象のワクをはるかに超えた国家的な事業を先取りしていた。世界的なレベルの社会問題研究所を一企業家がつくもので大原の世界を視野におさめたスケールの大きさと、哲学を感じる。
現在の日本とくらべて、これまで世界第2の経済大国になったといっても、天下り役人の受け皿の政府系や民間企業のシンクタンクはたくさんあるが、世界的に通用するシンクタンクは皆無であった。
大部分が企業発展、経営、利潤追求のための予想や研究などを主な業務としており、大原が今から100年前につくったこの研究所を上回るものはないと言って過言でない。いかに大原孫三郎が偉大であったかの証明である。
近藤万太郎博士のもとで、種芸、農芸、化学病理、昆虫の四部門を科学的に研究。岡山を代表する温室ブドウのマスカットや桃の「すいみつとう」、タタミ表の原料である「イグサ」も、品種改良によって生まれた。
大原は大正十年(一九二一)正月の倉紡幹部の集まりで所感を述べた。この時、大原は四十歳で事業面でも、精神的にも一番、脂がのり切っていた時であった。そこで、彼の思想哲学を吐露している。
「私の仕事の中では、自己本位のこともあり、間違ったやり方もあるであろうが、ただ自分の家とか、子孫のためとか、という考えは毛頭持ちたくないと思っています。家に子供のあることをむしろ不幸だと考えるくらい自分のことを全然客観的立場に立って一生を過してみたい。私の仕事が社会的に意義を持ち、多少社会のお役に立ち得るならば、それで私は満足であります」。
大原社会問題研究所とは、大正八年から昭和十二年まで大阪天王寺の裏門の前にあったわが国最初の、そしておそらくは当時もっとも有力な社会問題研究所のことであります。この研究所の跡はいまもなお天王寺の裏門のところにベルギーのソルベー研究所と全く同じ形をして残っております。
そしてその書庫には、世界にも少いぐらいりっぱな経済学の文庫があり、それを大阪の諸大学の先生が利用しております。これが全部、大原孫三郎の出資によってできたものである。その事業そのものは、今日法政大学によってうけつがれ、法政大学大原研究所となっています。
民間の研究所で、しかも、資本主義の世の中からややもすれば一白い眼で見られでいたこの研究所が、四十年もこの生命を保っている、そして少しもその目的を変えないということは、この学問、社会科学のために誇っていいと思います。
大原孫三郎は学問の偉大なパトロン
これは全くのウソであり、この事業によって、大原さんは一厘寸銭も儲けたことはあるまい、それどころか年々巨額の金、今でいえば二千万円にも当る金をこの研究所に投じておったのであります。
つづく
関連記事
-
◎『津上俊哉氏(津上工作室代表取締役)の「中国経済、政治、外交の今後の中国の展望」の日本記者クラブ会見動画(9/10)
◎『津上俊哉氏(津上工作室代表取締役)の「中国経済、 …
-
日本リーダーパワー史(271)鈴木大拙は1945年『日本亡国の3つの『日本病』を上げたが、これを克服できず日本は再び崩壊中!
日本リーダーパワー史(271) 『日本沈没・崩壊は不可避なのか』- …
-
日本リーダーパワー史(682)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(61) 『世界史の中の『日露戦争』ー (英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は「日露戦争をどう報道したか」を読む(20回連載の11回~20回)
日本リーダーパワー史(682) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(61) 『世 …
-
日中北朝鮮150年戦争史(4)日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』で、中国との交渉は『無底の釣瓶(つるべ)を以て井水をくむが如く、何時もその効なく』(パークス英公使)ー『話せばわかる』ではなく「話してもわからない」清国とついに武力衝突へ
日中北朝鮮150年戦争史(4) 日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』で、中国との …
-
『オンライン/憲法改正講座』★『マッカーサーは 憲法は自由に変えてくださいといっている。 それを70年後の現在まで延々と「押し付け憲法」×「憲法改正反対」の壊れたレコードの『日本ゾンビ政治』★『1週間で戦後憲法を作った米国の超スピード主義』×『その憲法改正を70年間議論している『日本のバカの壁』★『憲法問題の核心解説動画【永久保存】 2013.02.12 衆議院予算委員会 石原慎太郎 日本維新の会』
2016/03/10 日本リーダー …
-
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉘『開戦1ゕ月前の「独フランクフルター・ツワイトゥング」の報道』ー「ドイツの日露戦争の見方』●『露日間の朝鮮をめぐる争いがさらに大きな火をおこしてはいけない』●『ヨーロッパ列強のダブルスタンダードー自国のアジアでの利権(植民地の権益)に関係なければ、他国の戦争には関与せず』★『フランスは80年代の中東に,中国に対する軍事行動を公式の宣戦布告なしで行ったし,ヨーロッパのすべての列強は,3年前,中国の首都北京を占領したとき(北支事変)に,一緒に同じことをしてきた』
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉘『開戦1ゕ月前の …
-
池田龍夫のマスコミ時評(56)『電力9社の株主総会「物言う株主」』●『原発再稼動反対の市民デモが拡大』
池田龍夫のマスコミ時評(56) ●『電力9社の株主総会「物言う株 …
-
『オンライン日本経済人講義/最高の経済人は誰か』★『日本資本主義の父は渋沢栄一とすれば、「昭和戦後の高度経済成長の立役者・世界第2の経済大国の基盤を作ったのは『電力の鬼』・松永安左エ門(95歳)です』 ★『その『電力の鬼の長寿10ヵ条』とは!何事にも『出たとこ勝負』が一番」 「80歳の青年もおれば、20歳の老人もおる、年齢など気にするな」
2019/03/27日知的巨人の百歳学(1 …
-
日本リーダーパワー史(364)山県有朋、児玉源太郎の原典伝記を読んで『日露戦争』を当事者の苦悩とともに学ぶ
日本リーダーパワー史(364) 明治のトップリーダーは国難とどう戦ったのかー 山 …
-
日本リーダーパワー史(183)『大アジア時代の先駆者・犬養木堂③』亡命イスラム教徒を全面的に支援した政治家
日本リーダーパワー史(183) <百年前にアジア諸民族の師父と尊 …