「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙は「日韓併合への道』をどう報道したか⑦「仏ル・タン」<明治40年7月21日付> 論評「韓国皇帝の退位」
2015/09/02
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など
外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実⑦
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など
外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実⑦
「仏ル・タン」(1907(明治40)年7月21日付>
の論評「韓国皇帝の退位」
韓国皇帝がこのほど退位した後を継ぐのはその息子だ。実際にはこれで日本の保護統治が確固たるものになった。天皇の政府はすぐにも純然たる併合にまで突き進むのだろうか。それについてはなんとも言えない。
ただ確かなことは,併合にまで至らなくとも,日本がこの「静かな朝」の国の絶対的かつ独占的な支配者となったことだ。
危機打開がこのような結果になったのは,もともと朝鮮の使節団がハーグに赴き,ここでの会議に出席を要請したことにある。この使節団が朝鮮皇帝李熙の親書を携えて行ったことは十分にあり得ることだ。だが,ここでの李熙はユーゴーやヴィニーの小説に描かれたルイ13世を彷彿とさせる。彼は陰謀をたくらんだことがあった。
ところが陰謀が発覚すると,気絶したふりをし,共謀者を密告することで難局を乗り切るのだ。まさしく韓国皇帝も,日本のソゥル統監伊藤侯爵に,ハーグに使節を送ったのはさしたる目的があったわけではないと答えた。
だがこれで抗議の矛先を収めるような伊藤侯爵ではない。
これは反逆行為に相当する陰謀であり・断じてけりをつけるべきだと言った。水曜日には,日本の外務大臣である林子爵が朝鮮に赴いた。木曜には,日本の言いなりに動く朝鮮の大臣たちが辞職した。
これと同じ日,首相が皇帝に対して.取返しのつかない不幸な事態を回避する唯一の手段は皇帝自ら退位して天皇に謝罪することだと奏上した李熙はまるまる1日抵抗を見せた後で譲歩しあえて言うなら,その権力を息子に譲った。
これまでの情報によると,混乱は一切起こっていない。朝鮮はこの事件をいつものように受身の姿勢で受け止めている。
1903年の危機以来.朝鮮人は無関心の伝統を墨守してか,何事もなされるがままにやり過ごしてきた。ここで思い出されるのは,1904年末に朝鮮のパリ公使との間で行われた会談である。
この不運な外交官の楽観的態度は,1か月もたたないうちに不安の
色がありありと浮かんでくるわけだが,それをあえて次のように言うところがいたたまれなかった。
「日本人との関係にしろ,ロシア人との関係にしろ,わが国の独立を脅かすようなものではありません。この独立は20年以上も前に列強がわが国との間で条約を結んで認めたものです。わが国のかつての宗主国である中国にしても,1895年にこの独立を認めたのです。
これが脅かされているというのですか。違うでしょう。併合や保護統治など問題になりません。わが国の政府の自治権は尊重されています」。
そしてその数週間後,日本の大砲が済物浦にとどろいた。ソウルは占領された。韓国皇帝は日本の役人が操る傀儡に過ぎなくなった。
そしてポーツマス条約が締結され,名目的には朝鮮の独立は保証されたが,実際は日本の手にゆだねられてしまった。
これは日本人にとって今回の戦争の最も貴重な成果の1つだった。この成果を活用することを日本人が他国に妨げさせるわけがなかろう。
カリフォルニアでの事件が事態を一層加速させたということはあり得る。日本にとって.はけ口はなくてはならないものだ。
日本の民衆は移住の地を必要としている。ハワイやフィリピン,そして合衆国本土でこの移民の動きが勢いを増しているのは当然のことだ。
アメリカでこの動きを抑制する法律が支配的になっていることが,日本政府に人口増大のはけ口を朝鮮や満州に向けさせる決断を促したことは確実だろう。
すでに戦前から,朝鮮の対日貿易は全貿易量の4分の3を占めていた。当時,ソウルのフランス公使コラン・ド・プランシー氏は次のように語っていた。「日本人は,皇帝の寵愛を求めて宮廷に群がる大臣や高官を少しずつ取り込んでいった。このような取巻きを支持したり,そそのかしたり,また守ってやったりしたことはたいそう見事だった。日本人は彼らに一目置いたばかりでなく,彼らに期待もかけたのだ」
現在,朝鮮に入植した日本人の数は40万以上と推定されている。そして毎日のように数多くの新たな入植者が生まれている。日本がこのような動きの妨げになるような抵抗運動や画策をなくしてしまおうとするのには十分な理由があるのだ。
敗者に鞭打つようなことはしたくはないが,皇帝李熙が姿を消した今.44年間に及ぶその無気力な,朝鮮にとっては災厄とも言える無能な治世を思うと口をつぐんではいられなくなる。
このお粗末な皇帝は何も理解せず,何も学ばず,何もしなかった。彼は,中国,日本,ロシアへと次々に仕え次々に裏切っていっただけだ。自発性も力も意欲もなく,自分の国を外国に明け渡した。彼が調印したさまざまな条約はその従属の軌跡を物語っている。
貪しくも優しい朝鮮よ。この国をよく知っているある旅行者はこう言った。だが,こんな君主を頂けば,その運命はあらかじめ定まっていたようなものだ。
フランス人の目から見れば、ここ一連のできごとは驚くべきことでも不安にかられるべきことでもない。日本が最終的かつ完全に朝鮮を掌握することは,先の戦争以来,目に見えていた。
フランスは.1907年の条約締結以来,それを明白に受け入れてきたのだ。皇帝が別の皇帝に譲位しようと,保護統治が別のものに変わろうと,あるいは併合がなされようと,われわれの知ったことではない。
わが国の商社や企業に自由が与えられることを除けば,朝鮮に期待することは何もない。ところでこの通商の自由は,わが国と日本との間で結ばれた先の協定によって保証されたのだ。したがって李熙の災難についてはなんら関心が持てないのだ。
関連記事
-
-
「われわれは第3次世界大戦のさなかにある(NATO元最高司令官)」のに「75年たって憲法改正できない<極東のウクライナ日本>」★『よく分かる憲法改正論議』★『マッカーサーは 憲法は自由に変えてくださいといっている。 それを70年以上たった現在まで延々と 論争するほど無意味なことはない』
2019/11/03 『リーダーシップの日本 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(140』VW不正事件―4兆円どころか、もっと天文学的数字になるのではない でしょうか?何にしても、一人のリーダーの狂気が悲劇的な結末を招いたのです。
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(140』 VW不正事件―4兆 …
-
-
『なぜ日中韓150年の戦争・対立は起きたのか』/『原因」の再勉強ー<ロシアの侵略防止のために、山県有朋首相は『国家独立の道は、一つは主権線(日本領土)を守ること、もう一つは利益線(朝鮮半島)を防護すること」と第一回議会で演説した。これは当時の国際法で認められていた国防概念でオーストリアの国家学者・シュタインの「軍事意見書」のコピーであった。
記事再録/日本リーダーパワー史(701) 日中韓150年史の真実(7) 「福沢諭 …
-
-
『オンライン講座』★『最強の英語交渉力を持った日本人とは一体誰か!』◎『日本最強の外交官・金子堅太郎①>『日露戦争開戦と同時に伊藤博文の命令で米国に派遣され、ハーバード大の同窓生のルーズベルト大統領をいかに説得したかー その驚異のディベート・テクニック』
「金子堅太郎」の検索結果 75件 http://www.maesa …
-
-
人気リクエスト再録『百歳学入門』(233) -『昭和の傑僧、山本玄峰(95歳)の一喝!➀」★『法に深切、人に親切、自身には辛節であれ』★『「正法(しょうほう)興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ」「葬儀は絶対に行なわざること」(遺書)
2012/06/01 記事再録 百歳学入 …
-
-
日本メルダウン脱出法(649)●「マスコミは、なぜ本田の批判をできないのか、セルジオ越後に聞く」「◎「さようなら中国、こんにちは東アジア」欧州のAIIBの参加は脅威にあらず」
日本メルダウン脱出法(649) ●「マスコミは …
-
-
日本リーダーパワー史(328)『30分でわかる日中尖閣百年戦争の謎①歴史認識ギャップ、核心的利益とは(動画座談会)
日本リーダーパワー史(328) よくわかる「尖閣問題の歴史基礎知識 …
-
-
片野勧の衝撃レポート⑰『太平洋戦争<戦災>と<3・11>ー震災特別攻撃隊(特攻)とフクシマ(下)』
片野勧の衝撃レポート 太平洋戦争<戦災>と<3・11> …
-
-
速報(21)『日本のメルトダウン』33日目ー10年後から今の混乱をフィードバックする時間思考力を持て●
速報(21)『日本のメルトダウン』33日目 ◎5、10年後から今の混乱をフィード …
-
-
トランプ大統領の「学問・研究の弾圧で、若手科学者、研究者の75%が米国離れを検討」★『研究者が国外に流出すれば米経済への大きな打撃となる」★『トランプ政権の愚策がもたらす「産業大国の緩やかな死」』(下)
ブルームバーグ(2025年4月30日 )によると、米国で頭脳流出が進 …
