日本リーダーパワー史(500)近代日本興亡史は『外交連続失敗の歴史』-今こそ、勝海舟の外交突破力に学ぶ②
今年は第一次世界大戦(1914年)から100年目。来年は大東亜戦争
全面敗北(1945)から70年、あと4年後2018年は明治維新から150年、
2020年は東京オリンピック開催と―歴史的記念年が目白押しである。
150年の近代日本興亡史は『外交連続失敗の歴史』でもある。
いま米国の一国支配構造は崩れ、中国の躍進で国際秩序は大きく変化
している。そんな中で、憲法改正、集団的自衛権の論議、TPP加入問題、
尖閣問題などによる日中韓との対立の長期化懸念―など外交的懸案
が山積しているが、<外交力のある政治家>がいないのである。
明治維新の国難で幕府側の外務大臣(実質首相兼任)の、
勝海舟
前坂俊之(ジャーナリスト)
「海舟先生氷川清話」(吉本襄 撰著 大文館書店 1933)にみる勝海舟「外交談」
『明治維新前の欧米軍人との交渉は・・・』
維新前のある年に、幕府が海軍制度を定めるについて、制服をも定めるといふ議が出た。
おれは兵式さへ知らぬうちから、制服などは、まだ不要だとは思ったけれども、おれの上には上役もありて、さなきだにおれを嫌って居るところだから、おれも強ひて反対せず、ともかくも海軍総裁や軍艦奉行などと共に、その頃、来て居た英国のアドラル・キッぺルに、制服のことを相談に行った。
このキッぺルは、英国海軍の中でも、なかなか出来る男で、顔付きから、はなし工合まで、すこぶるやかましい男だったが、まづわれわれに向つて、日本海のことを種々聞き始めた。
しかし、こちらには、一人も完全に答への出来るものがなくて、上役の人も、すこぶる窮した様子だったから、おれも見かねて問に応じて進んで答をして、漸く日本人の顔を立てやった。
しかし、これがために彼らに軽侮せられて、
いよいよ制服のことを談(はな)すと、「内海のことさへ、知らぬ人の多き貴国の海軍に、制服を定めて何にするか」と、一本やられて、制服のことは、一まづ廃止になった。
その時にあれは、キッぺルらの高慢が気にくわなかつたから、一つ敵(かたき)を取ってくれうと思って、突然、彼に向ひ、『貴国の武鑑を見るに、アドミらる(将校)が八十人もあるが、あれは実際か』と尋ねたら、彼は得意になって、「実際だ」と、答へた。
そこで、おれは笑ひながら、『その八十人は、いづれも年功で昇進せられた御老人だちで、実地に軍艦を指揮し得られるのではあるまい。実地に軍艦を指揮し得られるのは、何人あるか』と推しかへして尋ねたら、彼もまさか八十人揃って指揮し得るともいひかねて、「いや、その段に至っては、拙者と今一人とあるばかりだ」と答へた。
厳しく威しっけられたり、馬鹿にせられたりなどする中に立って、時々力味を見せるのも、なかなか苦しかったヨ。
この制服のことを初めとして、海軍の事は、何もかも外国人が相手だから、おれもこの頃は、ずいぶん苦心したヨ。
何年だつたか、幕府に伊豆の下田と相模の観音崎と、そのほか二ヶ所ばかりへ、燈明台(灯台)を設けうという議があった。幕府は役人を英、米、仏三国の軍艦へ派遣して、この事に関する相談をさせうとしたけれども、役人共が、饗応の費用をおしんで、三国の軍人をうまく待過せぬから、彼らも不平で、キャップテン(船長)は一人も相談に来ない。
役人も余儀なく帰って来たが、また、他の一人を派遣しても同様であった。そこで、幕府にも協議の上、とうとうおれを出すことになって、夜中に使者を、おれの宿へよこして、この談判を命ぜられた。
おれは直ぐに出て行って、まづ費用を少しもおしまず、第一等の御馳走を出し、その上に、自分でわざわざ彼らの船へ挨拶に行ったものだから、彼らもすこぶる満足して、早速おれの船へ来て答礼をした。
それから、約束通り彼らとおれの船に会して、燈台設置の商議を遂げたが、さて、ここに困ったのは、彼らがその夜、おれの船へ泊るといふのに、三人のところへ、上等の寝室が、二つよりなかった1件だ。
当時英国のキャプテンは、テツピヨルドとかいって、年は若いが、セバストホールの戦に功があったから、この身分になったといふ人だ。
米国のはゴルドヅパラといって、六十あまりの老人で、仏国のもこれと同じ年輩の某だった。
下士官の寝るべき階下の室ばかりだから、おれがもし飽くまで威厳を保って、上等宝に寝るとすれば、三人の中
の一人は、是非とも下士の室に寝させねばならぬ。米国のと仏国のとは老人で、英国のが、若いからといっても、
彼も英国政府から、わざわざ東洋に派遣せられて、とにかくに英国を代表して居る人だから、
他の老人たちと優劣をつけるわけにはいかない。
かつは不公平な事で与ると、彼らの感情を害して、この商議が破れるかも知れないものだから、おれも断然決心して、三人の者に向ひ、
『拙者は腹蔵なく申し上るが、実はこの船の寝室、かくかくの次第なれども、君らのうち一人を下士の室に導くといふことも出来ぬにより、主人たる拙者は、下士官室に寝るゆえ、賓客たる君らは、上室の中に寝られよ』
といつたら、彼らもおれに腹蔵のないのを感心して、その御心配には及ばぬものといつて、おれの厚意を謝した。
これで灯台に関する商議も済んだが、当時の英国公使パークスも、この始末を聞いて、極めて満足に思つたか、その後は、何事もおれを指名して、談判するやうになった。
この時分の外交についての苦心は、平生とはずいぶん違ったものサ。
つづく
日本リーダーパワー史(68)
勝海舟の外交コミュニケーション術・至誠と断固たる気骨で当たる
関連記事
-
日本リーダーパワー史(650) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(43)『三国干渉』に日清戦争の立役者・川上大本営上席参謀はどう対応したか①『余の眼晴(がんせい)が黒いうちは、臥薪嘗胆10年じゃ』と
日本リーダーパワー史(650) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(43) …
-
終戦70年・日本敗戦史(91)「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』 の内幕<ガラパゴス日本『死に至る病』は続くのか>➂近衛、東條、海軍、天皇の思惑が違った東條開戦内閣の誕生
2015年6月3日終戦70年・日本敗戦史(91) 戦後70年を考える …
-
『オンライン/ウクライナ戦争講座』★『日本興亡史サイクルは77年間.明治維新(1868)から77年目の太平洋戦争敗戦(1945 )が第一回目の敗戦。それから77年目の今年(2021、2年)が2回目の経済敗戦』★『この国難を突破するためには明治のトップリーダ―たちのインテリジェンスとAIデジタルZ世代のタッグ「チームジャパン結成しかない』
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』(前坂俊之著、新人物 …
-
日本リーダーパワー史(565)明治維新のトリガー/民主主義と開国論を唱えた草莽崛起(くっき)の人 ・吉田松陰こそ真の革命家②
日本リーダーパワー史(565) 明治維新のトリガー・山口県萩市の吉田松陰生誕地 …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(5)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑤ 『1888年(明治21)、優勝劣敗の世界に立って、日本は独立を 遂げることが出来るか』―末広鉄腸の『インテリジェンス』① < 各国の興亡は第1は金力の競争、第2は兵力の競争、 第3は勉強力の競争、第4は智識の競争であります>
2015/11/23 日本リーダー …
-
日本リーダーパワー史(591) 『世界が尊敬したグレート・マン』現代日本の指針となる2人― イチローと孫正義(下)「人生50年計画を着実に実行する「インターネットの帝王」孫正義」の世界制覇の野望は実現するか
日本リーダーパワー史(591) 『世界が尊敬したグレート・マン』現代日本の …
-
世界が尊敬した日本人『アジアの共存共栄を目指した犬養毅』―パールバックはガンジーらとともに高く評価した。
世界が尊敬した日本人 アジアの共存共栄を目指した犬養毅 …
-
百歳学入門(188)★『日野原重明先生(105歳)』★『92歳の時の毎日の生活ぶりだが、そのエネルギーと分刻みの緻密なスケジュールと仕事ぶりはまさに超人的!』
百歳学入門(188) 日野原重明(1911-2017、105歳) https:/ …
-
『日中韓500年/オンライン世界史講義②』★『世界的権威ベルツの日韓衝突の背景、歴史が一番よくわかる教科書』★『明治天皇のドイツ人主治医・ベルツ(滞日30年)の『朝鮮が日本に併合されるまでの最後の五十年間の経緯』
2019/08/15   …
-
『新しい女・青鞜』百年-日本女性はどこまで変わったのか①ー100年前の女性、結婚事情
『新しい女・青鞜』百年-日本女性は変わったのか① …