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      2021/05/26

   リーダーパワー史(337)記事再録

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

以下は具島兼三郎「幕末外交史余談」評論社(昭和49年)を参照した。

「上海には下関から輸出される品物がたくさんあり、下関の港には外国品があふれていた。下関は実質上は開港されたも同然の状態となり、かつては外国船の間に魔の海と恐れられた下関海峡も、いまではかれらに巨利を約束する希望の海に変わった。摸夷の拠点が自由貿易の拠点に一変したわけです。

このような下関の変貌が自由貿易の発展をめざしていたイギリスにとって、好ましいものにみえた。昨日まで自由貿易の敵であった長州藩はいまでは自由貿易の味方にかわった。これは自由貿易を約束しながら、その約束を忠実に守らないばかりか、それをホゴにしようとしていた幕府よりも、よほど頼もしくみえた。

「下関戦争で長州人を破ってからは、われわれは長州人が好きになっていた。また、長州人を尊敬する念も起ってきていたが、大君(将軍)の家臣たちは弱い上に、行為に表裏があるので、われわれの心に嫌悪の情が起きはじめていた。それ以来、私はますます大名の党派に同情を寄せるようになったが、大君の政府(幕府側)は、われわれを大名たちから引き離そうと、躍気になっていた」とアーネスト・サトウは書いている。

英公使の更迭

イギリスにとって好ましい大きな変化を、長州藩の上にひきおこした当の立役者、イギリス公使オールコックは、馬関砲撃が当時のイギリス外相ジョン・ラッセル卿の訓令に反したかどで遥責され、その地位を罷免された。

この訓令というのは、イギリスはイギリス臣民の生命財産の保護のため止むを得ない場所を除き、日本の政府ないし大名に対し軍事力を行使してはならないとした一八六四年七月二六日付けの本国からの訓令のこと。当時セイロン(スリランカ)以東にはまだ電信が通じていなかったので、オールコック公使が四国連合艦隊を動かして、長州藩に対し軍事行動にでた時には、この訓令はまだかれの手許に届いてはいなかった。それが届いたのは、彼により軍事行動が予期以上の成果を収めて終了した後であった。

かれの行動の正しさは、その後ラッセル卿宛かき送ったかれの報告によって全面的にみとめられ、ラッセル卿は直ちにこの出先使臣に対して

「女王がその行為を全幅の満足をもって承認された」

旨か送られたが、その書信が横浜についたのは、オールコックが帰国の途についた後であった。

このようにしてイギリス公使は更迭された。オールコックの後任には、アロゴー事件に際し中国で快腕を振ったパークスが、新たに着任した。かれが長崎に着くと、この地にあった大名の代理人たちは争って会見を求めたが、パークス自身はこの藩よりも長州藩に一番大きな興味をもっていた。

彼が海路、横浜に向かう途中下関に立寄ることにしたのは、そのためであった。長州藩では桂小五郎、井上馨、伊藤博文らが、かれを下関の応接館に迎えて大いに歓待した。

このときの長州側の好待遇がパークスにはよほど嬉しかったとみえて、その翌年、藩主の毛利敬親としてもこの機会に下関に出て、公使に会見したいのは山々であったが、当時は幕府との関係が悪化して、いつ戦争になるかわからないという状態であったので、連日、御前会議が閲かれ、敬親は片時も山口を離れることができなかった。そこで藩当局としては、高杉、伊藤に命じて、公使を艦上に訪問させた。

パークス公使はサトウを通じて高杉や伊藤についてはよく知っており、長州側の前年の好意にに対して謝意をのべるとともに、かれらを大いに歓待した。かれらを招きいれた艦内の貴賓室ではいろいろな御馳走が出され、歓迎の宴が開かれた。慶応元年九月のパークスの主唱でおこなわれた英仏米蘭四カ国連合隊の大阪に対する示威のことや、同年10月、長い間の懸案であった通商条約の勅許がおこなわれたことなど話題は尽きるところがなかった。長州藩・英国間の交歓は、高杉らの訪問によって充分にその目的を達したかに思われた。そのときのことであった。

高杉がテーブルにおいてあったガラスの大カビンをよほど珍しかったとみえて、しげしげと眺めていると、パークス公使がそれに気がついて、「その花カビンが珍しいですか? お気に入りましたらさしあげますよ。」という。天衣無縫の高杉が、

「ありがとうございます。それじゃ御遠慮なしに頂きます。」と答える.考公使はすかさず、

「このカビンはさしあげますが、その代りひとつ外国にないものを、友好の印にわたしにお頂きしたいものです。」といい出した。ちょっと考えていた高杉はやがて大きくうなずくと

 「よろしい。日本にだけあって、外国にないものをさしあげましょう。」

といったかと思うと、やおら自分の袴をぬぎ、帯をとき、締めていた越中フンドシ(昔の男のパンツのこと)を外すと、

  「失礼ですが、これをさし上げます。これは日本にだけあって、外国にはないものです。日本ではこれを越中褌(フンドシ)と申しまして、油断をすると外れてしまうものです。日本人はともすると、この越中フンドシのように、外れたがる……特に幕府の連中ときたら、よく外れますから、閣下としてもよほど御注意なさる必要があるかと存じます。アッバッハハハ……」

 

と、大笑しながら、件のものをさし出した。高杉の放胆ぶりは天下無類であったが、この自由奔放、天衣無縫の奇行ぶりに、さすがのパークスもあ然とした。

これが日本人なら

「なんたる無礼なことを!」

と怒り心頭で立腹するところであったが、そこは外交のべテランの、パークスのことであった。高杉の行動のジョークの意味をすると、かれは高杉の手をとって

「気に入りました。御好意ありがとう。」

といって、高杉に対し謝意を表し、一層の好意をもった。

このようにして長州藩とイギリスとの連携は、一段と強化されたのであった。

  

 

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