『Z世代のための日中韓外交史講座』⑨『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉔ 西欧列強下の『中国,日本,朝鮮の対立と戦争』(下)(英タイムズ)
2014/07/21 2015/01/01
『中国,日本,朝鮮(中国の属国)の対立と戦争』(下)
そしてついに,伊藤伯爵を団長とする日本使節と李鴻章との間のさまざまな会議を経て,この問題は解決したのだ。暴動の最中に日本人を殺害した者を罰するという条項以外に.公表された取決めの中で唯一重要な項目は,将来類似の衝突を起こさないために,両国の軍隊は朝鮮から引き揚げ,朝鮮に軍隊を送り込むときには,まず相手国に連絡をしなければならないという項目だ。
トンキンに関する討議の最終日に起きた事件が,このエピソードをきわだったものにしたため,ここでそれについて語っておこう。もしグラングィル卿の14か月前のフランスと中国の間の仲裁の失敗について書くことのできるときが来るとしたら,おそらくビスマルク公の,フェリー氏に対する並々ならぬ友好的態度についても説明できるようになるだろう。グラングィル卿の失敗と,ビスマルク公の彼の友人であるフランス首相が喜ぶようなことをしたいとい
うあふれんばかりの願望との間には.一見したところではわからない,深いっながりがありそうだ。
そして,フェリー氏の大臣としての最後の6か月は,2脚のいすに休むことの危なさを説く古いことわざの真実をまたもや証明してくれたようだ。
こうして話は,メーレンドルフ氏の末成立に終わったロシアとの条約と彼の没落にたどりついた。彼は,中国の影響のとりでとして期待されて,朝鮮に送り込まれた。
中国と日本は,かろうじて惨事を免れたところで,将来このような危険が生じるのをどうして避けるかが今や問題となっていた。朝鮮の国王が1人で事を行えないのははっきりしていた。李鴻章は自分の私設秘書を見誤ってしまっていた。では中国は,国王に助言を与えると同時に朝鮮を中国につなぎとめておくような人間をどこに求めるべきだったのだろう?
国王の父で,李鴻章の治める地方に2年間追放きれていた大院君が,この任に選ばれ,9月に出された皇帝の勅書で彼の釈放が命令された。
勅書は,彼が捕らえられた状況と追放中に彼が不自由しないためにとられた手段を説明した後で,このたび大院君は息子の孝心による嘆願の結果,釈放されるものであり,両名は過去の誤りを反省し.「有徳の人たちと交わり.近隣諸国に親切にし,常に国を正しく治めることを念頭に置けば」(次のように勅令は締めくくられている)「国内の問題も消滅し,国外との戦争も起こらないだろう。こうして.彼らは,朕の深い保護的な配慮に値しないようには見えなくなるだろう」と述べている。
10月の終り,華やかな儀式の中で,大院君は中国人に送られて天津から祖国に戻った。だが,最近の報告が信頼できるとすれば,彼は祖国では息子からほんのわずかな歓迎しか受けなかった。
おそらく息子は,父の支配的な力を再び身近にすることを喜ばなかったのだろう。また最近朝鮮政府の仕事に就いた外国人役人たちも,中国政府から直接任命を受けている。
ということは,中国の朝鮮に対する政策は属国の政策に対して責任を負うのを恐れたため.滑り落ちるに任せていた朝鮮における支配権を再び取り戻そうとする方向に向けられているのだ。
今年までは,外国が,それは日本でも大英帝国でもアメリカ合衆国でもかまわないのだが,朝鮮で起きた不当行為に対する補償を要求するため,あるいは朝鮮と条約を結ぶために中国に話を持ちかけた場合.「朝鮮は,確かにわが属国だが,われわれは決して朝鮮の問題には介入しないし,朝鮮の行為に対する責任は一切否認する。したがって,直接朝鮮に赴いて.補償なり条約なりを朝鮮から獲得した方がいい」と答えるのが常だった。
朝鮮は,こうして.李鴻章の言葉を真に受けた国々によって一独立国として扱われるようになっていた。ところが.ロシアとの条約は中国を荒っぽく目覚めさせ,中国はさらに悪い事態がふりかかってこないように,朝鮮における宗主国としての義務と責任を果たすことを決意したのだ。
中国は.これを日本政府の賛同と支持の下に行っている。日本は朝鮮では先駆者的存在だったために.いっも戦闘の矢面に立たされ,はかのどの国よりも中国のどっちっかずの政策に悩まされてきた。
殺されたのは日本の臣民であり,襲撃に通ったのは日本公使館だった。日本はすべてのつらい仕事を背負わなければならなかったのだ。ここ数年,日本が朝鮮に対してどのような領土的野心を持っていたかはわからないが,そんなものを持っていたにしても,その野心は今や完全に捨て去られた。そして朝鮮に対する宗主権を真の効力のあるものにするために,中国は確かな筋によると,「日本が推奨・支持し、中国の朝鮮半島で支配権を事実上認めたことで容易になった政策を実際に追求している」という。
したがって,この2回は,朝鮮情勢から生じる両国に対する危険を回避するための政策をとるということでは一致している。その政策
とは,中国の宗主権を強化し有効にすることだ。この2国間の最近の条約や協約の条文中に,この目的を妨げる箇所がある場合は,日本側はこれを無視するだろう。
こうして.極東の2つの帝国の間の困難と不信の元になっていた朝鮮問題は,東洋の政治から姿を消すのだ。
最後に,朝鮮問題に関するイギリスの立場に触れてみたい。イギリスの最大の関心は平和にあると言われてきたが,東洋に関して言えば,これ以上適切に力強くあてはまるものはない。なぜなら,
東洋の交易の大半は,われわれが行っているからだ。東京と北京で公使を務めた故サー・ハリー・バークスは,晩年,朝鮮を巡って,日本と中国との間に戦争が起きるのではないかと恐れていた。彼はこういう紛争は簡単に起こすことができると感じていた。どちらの
国もそれができたのだ。だが,それがどういう結果をもたらすかはだれにも予想がつかない.と彼ならこう言っただろう。その戦争が両国の一時的利益に与える災いは,その害悪の中のほんの小さな一部に過ぎないだろう。だが永久的な取返しのつかない災いのほうは,はるかに大きなものとなるだろう。
このような戦争は,他の国々が自らの利益のために終わらせるだろうし,そうなれば,両国は領土を大幅に失い,将来的な防衛力さえ弱体化する可能性がある.と彼は思い込んでいた。彼が悲惨で自殺的だと考えていた紛争を防ぐために,一時期軍事力の使用を進言する気になっていたことは,あり得なくはない。
日本と中国が平和を保つだけでなく,国内の秩序を保つと同時に,外からの攻撃をはねのけるだけの強さと結束を持っていることは,イギリスの利益になることなのだ。われわれはグレート・ブリテンあるいはグレーター・
ブリテンとして,東洋の2つの大国が,仲よく,はかの国々から等敬されて,力強く,妨げられることなく自らの運命を進み,進歩と交易の道を歩むのを見守ることに至上の満足を感じるものだ。
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