前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

世界が尊敬した日本人(87)究極の個人サービス「クロネコヤマト」宅急便を創設 した小倉昌男(80) 

   

 世界が尊敬した日本人(87)   

 

究極の個人サービス「クロネコヤマト」宅急便を創設

した小倉昌男(80

<歴史読本(平成123月号)に掲載>

 

前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)         

小倉昌男はお馴染みの「クロネコヤマト」の生みの親である。旧体質のトラック業界と国の規制と正面から戦い物流革命を起こし、インターネット時代に不可欠なリアルな物流のネットワークを構築した。

小倉は大正13(1924)12,東京渋谷区生。父康臣は日本のトラック輸送の草分けの大和運輸(ヤマト運輸、現・ヤマトホールディングス)を創業し、その2代目である。昭和22年、東大経済学部卒業後、大和運輸に入り、昭和46{1971}に社長になった。

 

その頃、日本のトラック業界は,企業向けの大口大量長距離輸送が中心で、個人小口の輸送は無視していた。国鉄(旧JR)、郵政省(総務省)が小荷物も取り扱っていたが、サービスは悪く,1週間、10日も配達にかかった。

「宅急便」は小倉が489月、米国小荷物専門会社UPS社を視察し、荷物の機械自動仕分けなどのシステムをみて思いついた。マンハッタンの十字路にはUPS社の四台の集配車が止まっていた。


一ブロックに一台ずつを配属しており、東京中央区に置き換えると銀座、京橋、日本橋などの五地域に五台でブロック分けすればできる。一日当たりの人件費、燃料費、減価償却費のコストに対して、何個が集荷配達できるかがポイントで一日百個で儲かると計算した。

小倉は周囲の反対を押し切って商業貨物から宅急便に転換した。

初日はわずか11個、1カ月間でも8591個の集荷しかなかった。

小倉は「利用者の立場に徹したサービス」を基本方針に「サービスが先、利益は後」「車が先、荷物は後」「安全第一、品質第二、利益は第三」「ドライバーは運転手でなく、セールスマン」などをスローガンに、エリアを順次拡大していき4年後には主要取扱地域ネット(わが国人口の75%カバー)を達成。平成九年(1997)に全国集配ネットワークを完成、日本経済発展の大動脈を作った。

 

小倉はトヨタと組んで独自の車高の宅急便車「ウオークスルー車」(1981)を開発、自動仕分け機を導入、「NEKOシステム」などの情報システムの導入改良、新サービスのスキー宅急便(1983)ゴルフ宅急便(84)クール宅急便(88)、空港宅急便(89時間帯お届けサービス(98)と進め、国際宅急便、引越便にもさまざまな細かいサービスを加えて行った。

宅急便は爆発的に普及して198112月には月間1000万個を突破、1993年末にはついに月間1億個を突破した。

 

その小倉の「経営リーダーの10条件」


①経営者にとって一番必要な条件は、論理的に考える力をもつこと。経営は論理の積み重ねである。

②時代の風を読む

③戦術的嗜好ではなくマクロな戦略的思考をもつ

④攻めの経営をとる

⑨行政に頼らぬ自立の精神をもつ

⑥政治家に頼るな、自助努力あるのみ

⑦マスコミとの良い関係を保つこと

⑧明るい性格、ネタラからネアカになる

⑨身銭を切ること

⑩高い倫理観をもつーの10ヵ条である。

 

日本企業は歴史的に見ても、もの作り、製造業がいまだに中心で、サービス業の競争力は弱く、現在のグローバル化した情報社会に立ち遅れている。小倉は消費者の目線に立ち、企業益よりも公益、サービスに重点を置いた日本でも数少ない独創的な経営者であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%80%89%E6%98%8C%E7%94%B7

               

 - 人物研究 , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか、真の民主主義国家になれないのか>の講義③<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱るー『明治、大正、昭和史での敗戦の理由』は① 政治の貧困、立憲政治の運用失敗 ② 日清・日露戦争に勝って、急に世界の1等国の仲間入り果たしたとおごり昂った。 ③ 日本人の心の底にある封建思想と奴隷根性」 

2010/08/06  日本リーダーパワー史(82)記事再録 &nbs …

no image
日本リーダーパワー史(587)「 中国の沙漠をよみがえらせた奇跡の男・遠山正瑛」不毛の砂漠は約300万本のポプラの植栽並木と緑の農地によみがえった。

日本リーダーパワー史(587)  世界が尊敬した日本人(51)  中国の沙漠をよ …

『Z世代のための日本風狂人列伝③』★『 日本一の天才バカボン・宮武外骨伝々③』★『百年前にアナログメディアの創造力を最大限駆使して<封建日本>と正面から対峙した戦うジャーナリス、パロディストだよ』

(2009/07/12/日本風狂人伝⑰記事再録編集  「滑稽新聞」(明治三十六年 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(234)』-『今回のバイエルン会長の、W杯一次リーグ敗退に関する常軌を逸した個人攻撃。エジルの今までの多大な功績への慰労も全くない』★『エマニュエル・トッドが常に強調するドイツ人組織トップの突然変貌する、デモクラシーを忘れた不寛容でアブナイ言動が露出している』

  バイエルン会長、代表引退のエジルを酷評「クソみたいなプレーだった」 …

『Z世代のための百歳学入門』★『全財産をはたいて井戸塀となり日本一の大百科事典『群書索引』『広文庫』を出版した明治の大学者(東大教授)物集高見(80歳) と物集高量(朝日新聞記者、106歳)父子の「学者貧乏・ハチャメチャ・破天荒な物語」★『神経の細かい人は、自爆するんですね。あんまり太すぎると、世渡りに失敗する。最も良いのが「中間の神経」だね、ま、中間の神経でいながら、目標を何かにおいて、『こいつをものにしよう』『こいつを乗り越えてやろう』って人が生き残る」

2021/05/27   記事再録   前坂 俊之(ジャーナ …

no image
 日本リーダーパワー史(246)『山県有朋から廃藩置県の相談を受けた西郷隆盛は「結構」と一言の基に了承、断固実行した』

 日本リーダーパワー史(246)   <クイズ・日本で最高のリー …

『Z世代のための日中外交史講座③』★『日中外交を最初に切り開いた副島種臣外務卿(外相)のインテリジェンス③』★『日本で公法(国際法)を初めて読んだのは私』★『世界は『争奪の世界』で、兵力なければ独立は維持できぬ』★『政治家の任務は国益を追求。空論(平和)とは全く別なり』★『水掛論となりて始めて戦となる、戦となりて始めて日本の国基立つ  』

  2016/11/16日中,朝鮮,ロシア150年戦争史(52)記事再 …

『Z世代へのための<日本史最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法論>の講義⑲』★『山本七平は「日本人とユダヤ人」のなかで「勝海舟は世界史の中でも傑出した偉人だが、彼は西郷隆盛を自分以上の大人物だったと絶賛』★『尾崎行雄と並ぶ<憲政の神様>犬養毅は西郷隆盛とは面識がないが、弟の西郷従道はよく知っており、その犬養毅による西郷隆盛のどこが偉いのか』

    2010/08/08 日本リーダーパワー史 …

no image
日本リーダーパワー史(132)空前絶後の名将・川上操六(21)長崎事件の発端は何か

日本リーダーパワー史(132) 空前絶後の名将・川上操六(21)長崎事件の発端は …

日本世界史応用問題/日本リーダーパワー史『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐/水野広徳の思想的大転換②』-『軍服を脱ぎ捨てて軍事評論家、ジャーナリストに転身、反戦・平和主義者となり軍国主義と闘った』

  2018/08/19    …