前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代のための昭和100年、戦後80 年の戦争史』★『元寇の役とヨーロッパ史の類似性⑥』●『元寇の役では西国だけでなく東国からも武士たちが加わって、日本全体が一致協力して戦い、初めて国家意識が生れた』

   

   日本の「戦略思想不在の歴史⑯」再編集

 元寇の役(1254年)では2度にわたり、元軍の大軍団による侵略を防いだ。ユーラシア大陸のほとんどが蹂躙された中で、唯一守った。それから約600年後も19世紀にイギリス、フランス、ロシアなどの西欧列強がアジア侵略の手を伸ばす中で、これまた日本だけが独立を守り抜いた。

 この元寇の役に匹敵する例は、ヨーロッパ史ではワールシュタットの戦い(ドイツ語)レグニツァの戦い(モンゴル語)がある。1241年4月9日にモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍がポーランド・ドイツ軍とポーランド西部のレグニッァで撃破した戦争である。

 ワールシュタットとはドイツ語で「死体の山」を意味するほどの壮絶な戦いとなった。文禄の役(1254年)では「骸骨、野を覆う」というほどの『むごい』(蒙古)戦争になったのと同じ殺戮戦であった。

 モンゴル帝国の第2代皇帝オゴデイはすでに占領していた中央アジアのホラズム帝国、黒海沿岸のグルジアから西方遠征軍(5万のモンゴル戦闘兵と2万人の徴用兵、漢族、ペルシャ人兵士を動員)従えて、キエフ大公国、ルーシー諸国(ルーシ人、キエフの人民。11世紀から20世紀半ばにかけてウクライナとベラルーシュ人の自称。ラテン語では「ルテニア人」と呼ばれる)をまず滅ぼした。

1241年3月12日に同遠征軍はハンガリー王国に侵攻した。各地で勝利をおさめた後、モンゴル軍は部隊をふたつに分け、北上させてポーランド中部へ進撃、3月中旬、クにクラクフ公国のボレスワフ5世はポーランド軍が敗れたため、モラヴィアまで避難、モンゴル軍はクラクフに到着したが、ほぼ無人となっており火を放って、ポーランドの大部分を制圧した。その後。各地の軍勢が集結してきたドイツ・ポーランド連合軍との間で、ワールシュタットの大会戦となった。

ポーランドのヘンリク二世率いるドイツ・ポーランド連合軍は封建騎士、民兵や徴用された歩兵、ドイツ騎士団、各地の騎士団ら総勢2万5千。一方、モンゴル軍は2万。

モンゴル軍の騎兵戦術の常道作戦によって攻撃と偽装撤退を繰り返し相手を混乱させ、煙幕を焚き敵軍を分断して、挟み撃ちにするもので、逃げるドイツ・ポーランド連合軍を追撃して皆殺しにした。これら三つの戦闘で15万人もの戦士を殺戮したといわれる。

ポーランドを席捲したモンゴル軍は一時オーストリアのウイーン近辺まで進撃したが、モンゴル皇帝・オゴディーが急死したために、撤退した。

ワールシュタットの戦いはモンゴルの侵攻に対して、東ヨーロッパの命運を決した、悲劇の戦いとなったが、モンゴル軍の撤退によって、これ以上の「西ヨーロッパ」の侵攻はやっと中止された。

ドイツ・ポーランド連合軍は敗れたとはいえ、モンゴル軍を撤退させたためその奮戦,健闘は大きなものがあった。

●元寇の役もこの「ヨーロッパ侵攻史」とか類似している。

二度にわたる蒙古来襲を阻止できたのは、日本の武士の勇敢な防衛戦というよりもというよりも、台風襲来で蒙古軍の艦船がことごとく沈没したことが大きかった。

日本のモンゴル襲来は2度とも台風によって阻まれた。実際の戦闘は日本側の敗北が濃厚だったが、大草原や陸上での騎馬戦闘にたけていたモンゴル軍も、海上の戦闘は未経験で始めてだったので台風、低気圧による暴風で、夜間に戦闘から引き上げた軍船が互いに衝突、破壊されて沈没したために、モンゴル軍が一斉に引き上げたのである。翌日、「博多湾から一斉にモンゴル軍船団は消えていた」と文献には記録されている。日本側の辛勝であり、ラッキーだった。そのため、この強風、台風を「神風」として、祭り上げたのである。

だが、武士たちが死力を尽くして戦ったことには議論の余地はない。

『仮にも、武士たちに取りたてていうほどの功績がなかったと考えるならば、わが祖先の栄誉ある武勲に泥を塗ることになろう。いずれにせよ、日本が蒙古艦隊を壊滅させたことは、三〇〇年後にイギリス人がアルマダの無敵艦隊

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%80%E3%81%AE%E7%84%A1%E6%95%B5%E8%89%A6%E9%9A%8A&rlz=1C1CHVZ_jaJP525JP525&oq=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%80%E3%81%AE%E7%84%A1%E6%95%B5%E8%89%A6%E9%9A%8A&aqs=chrome..69i57.604j0j8&sourceid=chrome&ie=UTF-8

を破ったことと同列に考えてもよい歴史的な偉業である。

この日英両国の記念すべき勝利は、参戦した武士や兵士たちの恐れを知らない勇気と、当時の国家指導者の不退転の決意によるものだった。」と原勝郎博士の『日本通史』祥伝社(2014年)で述べている。

同書は「元寇の役」のその後の日本史への影響としてーー

  • この外圧によって日本の国家意思が統一されたこと。
  • 鎌倉幕府が誕生した時点では、まだ国家の統一が本州の北端にまで及んでいなかった。
  • 元寇の役では西国だけでなく東国からも召集した武士たちが加わって、日本全体が一致協力して外国の侵略者と戦った。
  • 日本全国から集まって来た人々が国を守るために協働したのは、武家政権の樹立以前では見られない光景であった。
  • 元寇の役で初めて国家が団結する必要性を感じるようになった。

泣く子には「蒙古が攻めてくるぞ」と脅して黙らせる習慣は、全国すみずみまででほんの70年前まで続いていたが、蒙古の恐怖がいかに全国民を骨の髄までしみ込んでいたかを示すものであろう。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(108)伊藤博文⑤『観光立国論』―美しい日本の風景・文化遺産こそ宝<百年前の驚くべき先駆性>

日本リーダーパワー史(108) 伊藤博文⑤『観光立国論』―美しい日本の風景・文化 …

no image
エピソードにみる明治のリーダーの面影 (下)  

1 03,8月 前 坂 俊 之 (静岡県立大学国際関係学部教授) 7・西郷隆盛  …

no image
『オンライン講座/太平洋戦争の研究』★「生きて虜囚になることなかれ」の戦陣訓こそ日本軍の本質』★『「戦陣訓」をたてに、脱走事件を起こした「カウラ事件」もあまり知られていない。』

    2015/06/01 &nbsp …

no image
終戦70年・日本敗戦史(143)陸軍参謀総長の栄光と悲惨ー日清戦争の川上操六、日露戦争の児玉源太郎と比べて東条英機のインテリ ジェンスは10分の1ー辻政信参謀の「無謀・横暴・乱暴」

終戦70年・日本敗戦史(143) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

『Z世代のための日中韓外交史講座』 ㉗」『現在の米中・米朝・日韓の対立のルーツ』★『よくわかる日中韓150年戦争史ー「約120年前の日清戦争の原因の1つとなった東学党の乱についての現地レポート』(イザベラ・バード著「朝鮮紀行」)★『北朝鮮の人権弾圧腐敗、ならずもの国家はかわらず』

2018/02/05  /記事再編集 まとめ「東学党の乱について」各新 …

no image
 日中,朝鮮,ロシア150年戦争史(52)『副島種臣・初代外相の目からウロコの外交論④』●『日本で公法(国際法)をはじめて読んだのは自分』★『世界は『争奪の世界』、兵力なければ独立は維持できぬ』★『書生の空理空論(平和)を排す』★『政治家の任務は国益を追求。空論とは全く別なり』★『水掛論となりて始めて戦となる、戦となりて始めて日本の国基立つ  』

   日中朝鮮,ロシア150年戦争史(52) 副島種臣外務卿 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(131)/記事再録★『陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均(陸軍大将)の 『大東亜戦争敗戦の大原因』を反省する①パリ講和会議で、日本は有色人種への 「人種差別撤廃提案」を主張、米、英、仏3国の反対で 拒否され、日本人移民の排斥につながる。

  2016/05/26日本リーダーパワー史(711)記事再録 Wik …

no image
『オンライン/世界戦争講座①』★ 『なぜ広島に原爆は落とされたのか』★『空爆は戦略爆撃→無差別爆撃→原爆投下→劣化ウラン弾→クラスター爆弾へと発展する』

●『空爆→戦略爆撃→無差別爆撃→原爆投下→劣化ウラン弾、クラスター爆弾へと発展す …

『Z世代のための新日本・世界史クイズ?『「歴史の研究」(12巻)などの世界的歴史学者アーノルド・トインビーは「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をしのぐ業績を上げた」と最大評価した日本史上の偉人とは一体誰でしょうか?③」★『答えは「電力の鬼」・松永安左ェ門で昭和敗戦のどん底ゼロからわずか20年で世界第2の経済大国にのし上げた奇跡の名プロデユーサー兼監督です』

『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力③』が世界第2の経 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(145)再録★『日本世界史(グローバル異文化外交コミュ二ケーション』ー生麦事件、薩英戦争は英国議会でどう論議された③英「タイムズ」

    2013/06/24 &nbsp …