『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか、真の民主主義国家になれないのか>の講義⑤『憲政の神様/尾崎行雄の遺言/今の政治家にも遺伝の日本病(死にいたる病)『世界に例のない無責任政治を繰り返している』尾崎行雄③
日本リーダーパワー史(238)記事再録
★『世界に例のない無責任政治、命がけで職務に当たらず辞任しても平気で再び顔をだす3代目政治家』③
前坂俊之(ジャーナリスト)
1942年(昭和17)10月26日、尾崎の不敬罪事件の東京地裁での第一回公判で、尾崎は次のように証言、日本政治の病根を鋭く告発した。
大東亜戦争という第2の敗戦となった「日本病」(死に至る病)も、自らの伝染病を克服して、免疫をつくる自己改革とそれによる国の改革、革命を成し遂げられなかったために、70年後に現在の三度目の日本病が再発したのである。
尾崎は昭和6年からの、いわゆる15年戦争を総括して、その中での日本政治が崩壊、政治家の中で国難、亡国に敢然と立ち向かった者が誰もいなかったことを痛烈に批判している。これを読むと、まさしく今の亡国の政治家と恐ろしいほどにダブって映って来る。
① 中米英を敵に回して大戦争を行い、国務大臣(総理大臣、各大臣)は命のあらん限り、国家のために尽くさなければならぬのに、内閣がコロコロ変わる。これでは本当の仕事が出きぬ。
② 負けている蒋介石は一向に変わらないのに、日本の内閣がぐらぐら変わって軽蔑されて、敵を助けた結果になった。
③ 近衛文麿をはじめ歴代宰相の無責任はけしからん。
④ 政治家の責任として、再び公人としては世の中に顔を出さぬという程の決心を以て辞職し、その後は死人同様に余生を送らなければならぬ。
⑤ 昔流にいうならば、その責任が果たせなければ、割腹してお詫びをしなければならぬのが、封建時代の思想である。
⑥ 全世界いずれの所にもこんな無責任な政治事例はない。
⑦ 『ヨーロッパ」では、総理大臣級が責任の尽くせぬために2人が自殺者がした。
以下は『尾崎咢堂全集第9巻―不敬罪事件の真相』(昭和30年、公論社)より
尾崎行雄(おざきゆきお)は安政5年(1858年12月生れ)で、明治7年に慶応義塾に入り、福沢諭吉の教えをうけて、政治家の道を志した。
70年前の太平洋戦争中の1942年(昭和17)の尾崎の証言は
『現在の政治とピッタリと重なる』
『現在の政治とピッタリと重なる』
<米英と開戦の時は血祭になる覚悟だった>と証言した
このような老朽(この時、尾崎は86歳)の身としては、ろくな働きは出きませんから、唯一死以て自分の目的を達する、というより外には有効な働きはないと考へておる。その死に方次第に依っては、私が生きて十年や二十年働くよりか、天下後世のために効力があろうと思って色々と考へておるのです
その事について昨年の如きはいよいよ自分の命を捨て、国家に尽くす時が来たと思って、これも法廷に提出してあると思いまするが、近衛内閣に対する質問書をたずさえました。それを弁ずれば、多分私は反対者のために殺されるであらうということでありまする故に、辞世まで詠んで、議院に行ったのであります。
一番、その時に心配したのは内政―国内の政治と外交と両方であります。内政においては、私は、今でもまだ心配して居りまするが、日中戦争というが如きー今日ではそれが転じて、米英までも敵として戦っておりますがー大事件のある場合においては、いやしくも、国務大臣たる者は命のあらん限り、国家のために尽くさなければならぬ筈のものであるのに、その国務大臣が、日中戦争が起った頃から、何故か四、五回かわって居ります、
総理大臣―がこれでは本当の仕事が出きるとは私の良心では考へられぬのであります。
負けた方の蒋介石ですらも、ちゃんと、ああしておるのに、勝ちながらも、この方は内閣がぐらぐら変わるということでは、どう考へても敵が容易に降参する気遣いはなく、敵を助くると同じ結果になる。
それゆえに政治家たる者が内閣大臣となって、国家に勤務する以上は命の績く限り、陛下の思召にかのう限りは、どうしても死ぬまで働かなければならぬ。まことに戦争中の如きは、どうしても途中で辞するなどということのあるべきはずのものではない。
然るに、何だか出たり入ったり勝手にやっておって、少しもその責任を感じないように私には見えるのであります。各大臣の辞職のやり方も出方もー近衛などは二度も出たり入ったりしたと思います、けしからことだ。命の績く限りは続けなければならぬ。
もしどうしても出来ぬというならば、政治家の責任として、再び公人としては
世の中に顔を出さぬという程の決心を以て辞職し、その後は死人同様に余生を送らなければならぬ。
しかるに、辞職した後も平気で世間に顔出しをしており、矢張り公人として立って居るというが如きは、如何にも、無責任のことである、全世界いずれの所にもこんな事例はないかと思います。
今度の戦争の起った日中戦争の後に起った『ヨーロッパ」では、わずかまだ二年余りでありまするが、それでも、一もう総理大臣級の人が責任の尽くせぬために、自殺した者が確か二人ほどあると思います。
それから、死ぬまで働いた者のイギリスの「チェンバレン」である、彼は死ぬまで働いて辞職すると間もなく病気で死んだ。代って出た「チャーチル」は七十有余の老人であるが、あれだけの激務に当たってーこれも一身上の都合からいったら辞したいでありませしょうけれどもー矢張り命がけで死ぬまで働いておる。
どこの総理大臣でも皆、命賭けで働いてるのに、日本だけはぐらぐら変るのはどう云いうわけかー私には分かりませぬ。それが決して陛下の思し召でないということだけは、私は確信しております。
内閣がかわる度毎に、相手に、多少軽蔑の念を起させることはもう申すまでもない。負ける方で変わらぬのに、勝つ方が変わるというような、無責任なことではいけないから、何とかしてこれを直さなければならぬ。
昔流にいうならば、一旦大任を受けて、その責任が果たせなければ、割腹してお詫びをしなければならぬのが、封建時代の思想である。今は割腹などはすべきではあるまいが、再び世間に顔出しはしない、という位の責任心がなければならぬと私はつねに主張しておるのである。
この説は、今日公に、主張させないのであります。新聞にも書かせない、演説もさせない、これをはっきりいい得るのは、議院だけであるから、私は議院でいおうと思って、そのために書類を作製しましたけれども、議員等が妨害し
てー 演壇に登るには相普頭数が賛成しなければ登ることは出来ませぬーその賛成者すら容易に得られぬのである。
かくて国家の安危休戚に関係する大問題についても、世間は平気でこれを看過しし、たまたま、これを憂慮する者があっても、これを警告することすら出来ないのです。
私はこの事態を大いに心配しておる。どうか今後の国務大臣たる者は、もう少し責任観念―政治上の責任、道徳上の責任-を起し、命の限り、国家のために尽くす位の考へは持たせたいと思っておるのであります。
関連記事
-
-
<F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(206)> 『7年ぶりに、懐かしのアメリカを再訪,ニューヨークめぐり(5月GW)④』2階建バスツアーでマンハッタンを一周(1)(タイムズスクエアから乗車し、ロウアーマンハッタンへ向かう)★★『まさしくルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」(What a Wonderful World)だね!』
<F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(206)> 『7年 …
-
-
日本リーダーパワー史(684) まとめ『日本最初の民主主義者・中江兆民』 『東洋のルソー』『自由民権運動の元祖』の奇行とそのハチャメチャ人生』ー
日本リーダーパワー史(684) まとめ『日本最初の民主主義者・中江兆民』 『東洋 …
-
-
日本リーダーパワー史(308)『日本大使公用車襲撃事件を考える』 『戦わずして勝つ』剣道奥義・塚原卜伝の無手勝流の4戦法
日本リーダーパワー史(308) 『日本大使公用車襲撃事件を考える』 …
-
-
日本リーダーパワー史(199)『100年前の日本―「ニューヨーク・タイムズ」が報道した大正天皇―神にして人間、神格化』(上)
日本リーダーパワー史(199) 『100年前の日本―「ニューヨーク …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』 (24)『大日本帝国最後の日(8月15日)「阿南陸相自決とその日の陸軍省・参謀本部」②
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』 (24) 『大日本帝国最後の日― (1945 …
-
-
『元団塊記者/山チャンの海外カメラ紀行③』★『オーストラリア・シドニー編②」★『シティ地区の19世紀末のビザンチン様式「クイーン・ヴィクトリア・ビルディング」(QVB)』はゴージャスな雰囲気、ショッピングを楽しむ』
「2017年12月20日の美しきシドニー旅行記」③ シドニー市内へ移動は電車を利 …
-
-
<裁判員研修ノート④>『明日はわが身か、冤罪事件』ー取調べの可視化(取調べの全過程録画)はなぜ必要か
<裁判員研修ノート④>『明日はわが身か、冤罪事件』 取調べの可視化(取調べの全過 …
-
-
日本風狂人伝① 1人3役のモンスター作家・長谷川海太郎
日本風狂人伝 08,1 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊻』余りにスローモーで、真実にたいする不誠実な態度こそ「死に至る日本病」
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊻』 …
-
-
野口恒のインターネット江戸学講義(19) 『エピロ-グ 江戸のネットワ-ク社会に学ぶ 日本のノマド学』(終)
日本再生への独創的視点<インターネット江戸学講義(19) ●『エピ …
- PREV
- 『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか、真の民主主義国家になれないのか>の講義④『憲政の神様/尾崎行雄の遺言/『太平洋戦争敗戦で政治家は何をすべきなのか』<1946年(昭和21)8月24日の尾崎愕堂(96歳)の議会演説ー新憲法、民主主義についてのすばらしいスピーチ>』
- NEXT
- 『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか、真の民主主義国家になれないのか>の講義⑥『憲政の神様/尾崎行雄の遺言』★『先進国の政治と比べると、日本は非常識な「世襲議員政治』★『頭にチョンマゲをつければ江戸時代を思わせる御殿様議員、若様議員、お姫さま議員のバカの壁』★『総理大臣8割、各大臣では4割、自民党世襲率は30%。米国連邦議会の世襲率は約5%、英国の世襲議員は9%』★『封建時代の竹刀腰抜けの田舎芝居政治を今だに続けている』
