前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(51)名将・川上操六―陸軍のローマ法皇・山県有朋との死闘⑦

      2015/02/16

名将・川上操六―陸軍のローマ法皇・山県有朋との死闘
      
 前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
陸軍における川上操六の存在感がいかに大きかったかー鵜崎鷺城「薩の海軍・長の陸軍」(政教社 明治44年刊 )は次のように書いているので、紹介する。
「生前、立見尚文(大将)は山県を評していわく、政治家としての山県は伊藤の向ふを張るを得んも、軍人として半文の価値なしと。日清戦争の際、山県は第一軍司令官たりしが、大失敗を演じ、中途で病に托して帰朝させられた。しかし、彼は初めより軍政家を以て自ら任ずるも、戦略戦術を説き、あるいは攻城野戦の将帥として功効を奏するが如きは、別にその人ありとするが如し。これは要するに彼は陸軍のローマ法皇にして、また最も執拗頑迷なる長州閥維持者である。過去の勲功は何人も認めるところなれども、憲政発達の上において誰かこの老人を有害無用の長物にあらずとせんや。
薩摩陸軍の末路
 長の陸軍を評するにあたりて、勢い薩摩陸軍の現状に触れざるを得ない。かつて薩摩は海軍のみならず陸軍に対しても侮るべからざる勢力を有し、長を凌駕した時代もあった。しかも薩の陸軍なるものは、今日、辛うじて余命を保つのみにして、事実上すでに滅亡せりと云つてもよい。
しかし、西郷南洲の征韓論に関して、廟堂と議あわず陸軍大将の冠を投げすてて、故山に帰臥するに際し、薩州出身の武人の多くが袂を列ねて西郷と進退を共にしたり。
将来、薩摩が陸軍において勢を失ふべき運命はこの時をもって決まった。しかれども大山巌、野津道貫、高島鞆之助、黒田清隆、川上操六らがありて、しばらく長に対抗し、明治十八年内閣制実施より、日清戦争後三四年間に至るまで陸軍大臣の椅子は薩人によって独占せられ、山県といえどもこれを如何ともすることはできなかった。
しかるにこれを前にしては則ち黒田、川上及び大安寺安純らが相次いで逝き、これを後にしては野津を失ひ、高島は失脚して枢密院に葬られると共に、陸軍より全然その存在を忘れられてしまった。
薩摩の陸軍に於ける勢力は年と共に衰微し、山県の第二次内閣より陸軍の実権は全然、長に帰して薩人はただ長人の成功を仰ぐに至れり。
薩の陸軍の最大打撃は川上操六の死
薩の陸軍に取って最大の打撃は黒田、野津、高島よりも川上操六の死であった。川上は背に薩摩陸軍の重鎮たるのみならず、帝国陸軍の最も大なる立役者なりき。参謀本部の設置に関しては山県の力は確かに大きいものがあったが、これを今日の如く完全なる作戦計画の府にした者は川上にして、日清戦争の如き、その根本計画はほとんど彼の頭脳より出でたものであった。
川上は当時すでに日露戦争の必ず近き将来においてに避く可らざるを予測して、自ら満洲、西シベリアを視察し、病気となって帰れり。ああ『川上あらしめば』とは天下、彼を知ると知らざるとを問はず、均しく発するところの嘆声にして、天のこの偉材を日露戦争戦前に奪ひ、彼の知能を傾倒することを不可能にしたのは、決してり彼のために不幸なるのみならず、また、実に帝国陸軍のために惜しむべしとなす。
当時さすがの伊藤も嘆声を発していわく、「天下のことほとんど自分の意のままにならぬものはないが、隅田川の水と川上とは自分の自由にはならず」と。
しかして山県及びその一党は川上が薩閥の一後進を以てして陸軍の首脳たる参謀本部により、あたかも長のために隠然一敵国をなすの感あるを見て、これをを喜ばず。
しかし、山県は陸軍大輔だったころより薩の勢力を殺ぎて、陸軍の長の権下に置く意図をもって、その徴兵制実施に際しても、薩摩排除の密計をめぐらせるは蔽ふべからざる事実とす。
川上を憎んだ山県
これによって参謀本部をのっとり長の勢力を擁護せんと機会の至るを待ちにき。ちょうど参謀総長小松宮殿下の薨去に際して、山県自ら総長たらんと欲せしも、事成らずして川上は次長より総長に進み、そ後も自ら川上と代わる計画を廻らしたるが如し。
明敏なる川上は山県一派の密謀を観破せしも、来るべき第二の戦争(日露戦争)を自ら計出するの考へなりしを以て、山県の如き老物にこの重要なる椅子を渡すすべきにあらずと頑然としてその位置をを固守しき。
ああ一葉落ちて天下の秋を知る。川上の死は陸軍における地図の彩りを一変したり。
しかし山県一派の畏怖したるは川上一人にして、他は自家薬籠に収むる易々たればなり。薩長互角の勢ひを有する時に方り、大山厳は薩の陸軍を代表して、あたかも山県の長におけるとその位置を同うしたれど、被は過去の陸軍を飾る一骨董品にして現実に活動すべき人物にあらず。
その茫洋として捕捉すべからざる人格、大量にして清濁併せ呑むの概ある、その円満にして福福しき形貌、これらは確かに将に将たるの器を共ふるに似たるも、軍事的才覚は川上の万分の一をも持ち合わせていない。また、山県の如くあくまでを権勢して保持して爪牙を養ふの執着心なく、いわば悪気のなき好々爺のみ。
日露戦事前、一たび参謀総長となり更に山でて満洲軍総司令官の大任を帯びたれど、その実権は山県及び児玉源太郎に在りて、彼は長派の傀儡に過ぎざりしなり。
かれは我軍の如何なる作戦計出によってロシア軍と戦い、またその日の戦争の如何なる地点において開かるゝやを知らず、砲撃の突如として起るを聴くや幕僚を顧みて何のための砲声なるやを問うこと一再ならざりき。かかるはその人物の大なるを示すとせんも、到底、彼の力をもって薩の陸軍を提げて長に対抗する能はず。
山県は元帥府に隠るるも依然として陸軍のローマ法王たるに反して、彼はご相伴的にその列に加はり黙々として長派の驕りをほしいままにするのをを傍観するのみ。

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(715)★『財政破綻必死の消費増税再延期」「アベノミクス大失敗」 「安倍政権終わりの始まり」を議論する<君よ、国をつぶすことなかれ、子供たちに大借金を残すことなかれ>これを破ればレッドカードだ。

  日本リーダーパワー史(715) <『財政破綻必死の消費増税再 …

no image
日本リーダーパワー史(419)まとめ 『「海賊とよばれた男」のモデル・出光佐三-石油メジャーと1人で戦った男』

  日本リーダーパワー史(419) 『百田尚樹の「海賊とよば …

no image
近現代史の重要復習問題/記事再録/『大日本帝国最後の日ー(1945年8月15日)をめぐる攻防・死闘/終戦和平か、徹底抗戦か?⑥』<8月14日の最後の御前会議―昭和天皇の言葉とは!>『御前会議が終ったのは正午,ついに終戦の聖断は下った。』

  2014/11/01 『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉑ …

no image
世界/日本リーダーパワー史(904)『日本企業の男性中心の風土は変わらず、セクハラ被害を訴える女性は全体で43%に上る』

世界/日本リーダーパワー史(904) 日米セクハラ騒動とメディアの戦い &nbs …

『Z世代のための次期トランプ米大統領講座⑳』★『忠誠心、身内で固めた第2期トランプ政権』★『米政府再編構想「プロジェクト2025」(政府関係者、官僚トップ、民主党支持者ら約6万人を削減)で対立激化!』

  イーロン・マスク氏はトランプ政権で「政府効率化省」のトップに座り、 …

『夏の終わりの湘南海山ぶらぶら動画日記』★『カラスと一緒に台風11号接近中の鎌倉稲村が崎サーフィンを観戦(2022/8/31/am7/40分)』

カラスと一緒に台風11号接近中の鎌倉稲村が崎サーフィンを観戦(2022年8月31 …

no image
日本リーダーパワー史(449)「明治の国父・伊藤博文が明治維新を語る①」明治時代は<伊藤時代>といって過言ではない。

      日本リーダーパワー …

★『オンライン動画/<鎌倉カヤック釣りバカ日記( 2013/01/31)ーついにやったぜ、巨大ホウボウ50㎝をゲットー海上座禅の無念夢想で1時間。

    2013/01/31 &nbsp …

「Z世代のための生成AIをはるかに超えた『世界の知の極限値』・南方熊楠先生の書斎訪問記(酒井潔著)は目からウロコ②』★『大英博物館をわが書庫にして8年間、研究三昧して世界一の読書家に』★『東大あたりの官学者が、わしをアマチュアだ言うが馬鹿な連中だ。アマチュアではなくて、英国でいうリテラート(独学で叩き上げた学者)で英国では大いにもてたよ』

2015年4月29日の記事再録、編集 酒井潔著の個人雑誌「談奇」(1930年(昭 …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(47)』★『日露戦争に勝利した伊藤博文の知恵袋・金子堅太郎(農商務相)とルーズヴェルト米大統領の「友情外交インテリジェンス」★『日本海海戦勝利に狂喜した大統領は「万才!」と 漢字でかいた祝賀文を金子に送った』

    2023/06/22 &nbsp …