前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン/「百歳・生き方・死に方・臨終学入門(117)『 斎藤緑雨、司馬江漢、正岡子規、高村光太郎の死に方』

      2021/02/25

 

      2015/08/30

「百歳・生き方・死に方-臨終学入門(117)

 

明治の作家、斎藤緑雨(36)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E7%B7%91%E9%9B%A8

は、「万朝報」「読売新聞」などの記者で、幸徳秋水の友人。樋口一葉を評価し、明治29年)1月に手紙をやりとりし始め、緑雨は直截な批評を一葉に寄せるようになる。恋愛感情を持ったのでろう。樋口家を訪問しては一葉と江戸文学や当時の文壇について語り明かした。]、一葉没するまで2人の交流は続く。明治32年に、「一葉全集」の校訂を引き受け、遺族の生活を請け負っている。

奇行の多い人で、その性癖は、人生の最期においても発揮された。重病にかかったとき、友人が親切に、「東大病院に入れ。金のことは心配するな」と申し出たのに、「そんな道草をしないで、日暮里へ直行しようよ」とこの好意をことわった。当時、日暮里に、火葬場があったのだった。

いよいは臨終という時、病床から家人に命じて、東京の各新聞につぎの広告を出させた。

1904年(明治37)4月13日、馬場孤蝶に口述筆記させ「緑雨斎藤賢、本日目出度死去致候 此段謹告仕候也」、死亡広告を遺し、東京本所横網町の自宅で、36歳の若さで病死する。

緑雨はほんとうに死んだからよかった(?)が、死ぬ予定がないのに、死亡通知を出した変人がいる。

江戸時代後期の洋画家で、蘭学者で、自然科学者、〃万能の天才”型の人だった司馬江漢(71)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%B1%9F%E6%BC%A2

は、晩年のあるとき、何を思ってか、知人たちに自分の死亡通知を送り、以後、はほとんど家に閉じこもって暮らした。

たまたま外出したところ、その通知を送った知人の一人に出会ってしまった。知人が声をかけても、返事をしないで過ぎようとする。何度も声をかけてくるので、たまりかねて、

「死人がロをきくか!」。この江漢は無言道人″という号をもっていた人でもある。

 

明治の俳人で歌人の正岡子規(31)は

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F

半生を寝たきりで過どし、三十代半ばで亡くなった。死の前年に、かれはつぎのようなことを書いた。最後の著『墨汁一滴』にのっている、深刻にしてユーモラスな短文である。

1、人間一匹

右、返上申すべく侯。ただし、ときどき幽霊となって出られるよう、特別にお取りはからい下さるべく候なり。

明治三十四年 月 日  氏 名

地水火風御中

自分の死を他人のそれのように傍観し、客観視している、そこがス〈無心〉死生を超えた『達観』突き抜けた心境を感じさせる。

 

彫刻家で詩人の高村光太郎(73歳)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

は、戦争が敗戦に終わると、岩手県の片田舎に掘立小屋をたて、そに七年も独りで住んで、そこで死んだ。「自分を捨てた」というふうに、かたくなに自分を閉じこめ、ことさら無為に徹した。

そこは、五、六十センチも掘れば水がわくという湿地で、まわりにはマムシがウヨウヨとおり、村人さえもが住もうとはしない土地であった。雪がつもれば、道もなくなる。食生活も、飢えをしのぎうる最低のものであった。

この小屋で、『或る墓碑銘』と題する詩を書いた。1種の辞世というものであったろう。

 

一生を棒に振りし男 此処に眠る。
彼は無価値に生きたり。
彼は唯人生に遍満する不可見の理法に貫かれて動きたり。
彼は常に自己の形骸を放下せり。
彼は詩を作りたれど 詩歌の城を認めず
彼の造形美術は木材と岩石との構造にまで還元せり。
彼は人間の卑小性を怒り
その根源を価値感に帰せり。
かかるが故に彼は無価値に生きたり。
一生を棒に振りし男 此処に眠る。

 

戦争に協力する詩をつくった自分を攻めて、攻めて、地の果てに蟄居して自嘲、後悔、悔悟、責めさいなんだ末の魂からの叫びが聞こえてくる。

 

 

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『世界漫遊記/ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『ピカソ美術館編⑨」★『ピカソが愛した女たちー画家の精力絶倫振りは、超弩級、地球人とも思えません』

    「ラ・セレスティーナ」、1904年 ピカソ23才の作 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(121)/記事再録☆/『リーダーをどうやって子供の時から育てるかー福沢諭吉の教育論は『英才教育は必要なし』★『勉強、勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私は子供の読書、勉強は反対でこれをとめている。年齢以上に歩いたとか、柔道、体操がよくできたといえば、ホウビを与えてほめる』

      2012/10/2 …

no image
福沢諭吉の「韓国独立支援」はなぜ逆恨みされたのかー<井上角五郎は韓国王から信頼され外衛門 (外務省)顧問に任命された>④

   「日本開国の父」『アジア開国の父』の福沢諭吉 の義侠心 …

no image
  日本メルトダウン( 967)『東京五輪、反対してもいいですか?「やめる」を納得させる5つの理由』●『「悲惨なアメリカ」を証明した、二つの衝撃レポートの中身 大統領選の行方にも影響アリ?』●『ドゥテルテ大統領来日で再確認!アジア外交の主役はやはり日本だ 中国はこの接近に焦っている』●『  スマホが子どもにもたらす「隠された3つの弊害」』●『ウェブメディアの「検索回帰」が始まったワケーSNSのアルゴリズム変更に高まる不信感』●『ネットニュースの虚実に迫れるか 「Google News」に「ファクトチェック」タグ導入』

  日本メルトダウン( 967)   東京五輪、反対してもいいですか? …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(23)南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展するのか。 『中国の夢』(中華思想)対『国際法秩序』(欧米思想)との衝突の行方は!(上)

  日中北朝鮮150年戦争史(23) 南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展する …

百歳学入門(152)元祖ス-ローライフの達人/「超俗の画家」熊谷守一(97歳)② ひどい窮乏生活の中で、3人のわが子を次々に失う。 しかし、病児を医者にかけるために絵を描き、 絵を売ることはできなかったのです。

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/03am930)  &nb …

no image
片野勧の衝撃レポート(65)戦後70年-原発と国家<1955~56> 封印された核の真実「平和利用で世論を変えよ」(下)

片野勧の衝撃レポート(65) 戦後70年-原発と国家<1955~56> 封印され …

no image
日本最高の弁護士正木ひろし②―ジャーナリストとしての正木ひろしー戦時下の言論抵抗―

―ジャーナリストとしての正木ひろしー戦時下の言論抵抗―   -Hiro …

『リーダーシップの日本近現代史』(190)記事再録/『忘れられたユーモアある哲人政治家・田淵豊吉―太平洋戦争中に東條英機首相を批判した反骨でならし『世間では仙人と呼んでいるが、わしはカスミの代りに飯を食い酒も飲む、だから半仙人とでもしておこうか、と大笑い』  2019/12/09  

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/31am1100) 2010年9月7 …

百歳学入門(27)お笑い・ジョークこそ長寿の秘訣・内田百閒の『一笑一若、一怒一老』は超おもろいよ

百歳学入門(27) お笑い・ジョークこそ長寿の秘訣・内田百閒の 『一笑一若、一怒 …