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日本リーダーパワー史(50)名将・川上操六の派閥バッコ退治と人材登用について⑥

      2015/02/16

 
<余話>名将・川上操六の派閥跋扈退治と人材登用について⑥
   前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
<川上操六余話>
 
21世紀の日本の国家戦略の基本
    現在の国家公務員採用試験制度の抜本的な改革、東大偏重の廃止、海外大学卒、留学組の重視
    派閥、閥族の廃止、優秀な人材を外国人にこだわらず世界中から集めて、能力を発揮させるシステムを再構築すること
政党の派閥弊害だけでなく、官僚閥、省閥、学閥、地域閥、会社閥、組織閥、利益閥・・・の非近代的な人間関係、利益追求、集団形成の弊害が日本では現在も延々と続いている。
人間2人上集まると、グループ、派閥が生じる。そこで公共の利益、公平・公正を無視した派閥優先や、行政改革を絶対阻止しようとする省閥が頭をもたげてくる。日本の軍人官僚の陸軍軍人が昭和戦前の日本をつぶしてしまったが、その大きな弊害が藩閥跋扈(ばっこ)であり、派閥優先で会った。川上これに対して断固として戦った。
陸軍は明治五年から昭和二〇年まで七三年間が続いた。松下芳男によると、その間に発生した派閥集団は、日本陸軍軍閥系譜によると薩派(薩摩)、長派[長州]、月曜会、佐賀派、福岡派、宇垣派、一夕会、皇道派、桜会、統制派、満州派、皇道派青年将校などである。

長派は山県を首領として佐久間左馬太、山口素臣、岡沢精、桂太郎、長谷川好道、児玉源太郎、乃木希典八人が第一グループの名があるが、このあと大島義昌、寺内正毅ら五人の第二グループが続き、さらに岡市之肋、田中義一、山梨半造らの第三グループにバトンが渡される。

ちなみに薩派は大山巌と西郷従道の二人、これに継ぎ川上操六、高島鞆之肋、野津道貫らのグループの名が挙がっている。
これらの分類、レッテルはりは外部の者がやるので判別は難しく、川上操六や児玉源太郎などは、派閥などに拘泥する小さな人物ではなかった。
派閥の弊害をもたらしたのは長州派を固めていった首領の山県有朋である。かれは「一介の武弁」を自称しており、人に接しては寡黙、態度は謹厳、容易にうちとけようとせず、陰険でとっつきにくかった。あけっぴろげな伊藤博文とは正反対であった。兵法をもって人に接したといわれ、まず最初に第一の門を開け、次に第二門を開くといった慎重な態度で、相手を峻別し、時間をかけて第三、第四の門を開いた。

山県の藩閥専横のやり方は旧薩、旧長藩出身者を中心として主要ポストで回りを強固にかため、旧土肥両藩出身者にはサブポストしかあたえず、藩閥政治、権力を維持した。インナーグループで対立・相争うことはあっても、外部に対しては一致結束してたたかい、寡頭・専制支配を長期間維持したのは山県の派閥・軍閥の強力な支配力、リーダーパワーであったが、それが明治陸軍の暴走、弊害を大きくしたことも間違いなかった。
鵜崎鷺城著「薩の海軍・長の陸軍」 (明治四四年刊)の日南学人の序文では、藩閥専横を痛烈に批判している。その内容はつぎのようなもの。
「この国の人口二、五〇〇余万人のうち、鹿児島県の男子は六四万余にして、山口県のそれは五四万に過ぎない。ともに国民男子の一〇〇人中にわずか二人強を占めるのみ。しかし、海軍の実権を握る者は依然、鹿児島人にして、陸軍のトップをつかさどる者は、今なお山口県人に限られている。これを日清、日露の両戦でみると、一道三府四二県から出た将校下士卒はみな〝ふぬけ〟にして、鹿児島・山口二県からのもののみが優秀で能力ある者と認められている。」

「日本男子100人中の九七・八人までは皆バカで、残る二、三人の鹿児島、山口の男子のみがひとり利口で勇気もあると信ぜられるか」と怒りの文章を書いている。三宅雪嶺もその序文で「かって議員にて陸軍を論ぜしあり、海軍を論ぜしあり、政党内閣における陸相、海相として自ら擬し、人に擬せられしあり。

ところが、今はこれ無く、軍事は門外漢の容喙を許さずと誇っている。何人がかく定めたるか、政府なるか、あらず、議会なるか、あらず、新開雑誌なるか、あらず。どこにても定めずして而も定まりたるは、果して世論なるか。かかる世論はことのよろしきを得るものなるか」と批判した。
鵜崎鷺城は大正の初めに「日本及日本人」に「陸軍の五大閥」長閥、学閥、兵科閥、門閥、閏閥について-を連載中、陸軍の一派はかれを仇敵のように憎み、脅迫状や斬奸状が家にまいこんできた。また一、二の師団長は部下に命じて「日本及日本人」の購読を禁止した。しかし、この妨害にも屈せず、この連載は大正4年12月に、まとめて本として出版したのはりっぱである。
明治21年五月六日「東京日日新聞」では「21年間の要路に立った人々-薩・長・断然優勢」という次の記事を掲げた。
 維新の初には総裁、輔相、議定、大臣、納言の重職には専ら皇族、公卿、諸侯を任じ玉ひたれは、其職に上りたる方々数多おはしけるが、皇族は良し申上るに及ばず、其他今日に至るまで重要の地位に立てる方々は旧公卿にては三条、東久邇、徳大寺、西園寺、旧諸侯にては鍋島、蜂須賀の繚公に過ぎざるが如し、然るに薩州、長州、土州、肥前出身の方々が明治元年より今日まで交るく重要の地位に上られたるを教ふれは随分の多人数なり、先づ顧問官、参与官、知事、参議、卿、大臣を一括して「大臣の部」とし、輔、副知事、大少輔、次官を一括して「次官の部」となして之れを左に拳示せん」として、

大臣の部では

薩州(11)  小松清廉、西郷隆盛、久保利通、寺島宋則、△伊知地正治、黒田清隆、西郷従道、川村純義、松方正義、
大山巌、森有礼
長州(8)木戸孝允、前原一誠、広沢眞臣、伊藤博文、山県有朋、井上馨、山尾庸三、山田顕義
土州(7)   後藤象二郎、佐々木木高行、河野敏鎌△斎藤利行、福岡孝弟、谷干城
肥前(5)  副島種臣、大隈重信、大木喬任、△江藤新平、佐野常民
この他は旧幕より勝安房、榎本武揚、尾州より田中不二麿の三君ありしのみ。
このように薩長藩閥の弊害が有能な人間を排除して、その登用を阻害して社会の発展を送らせてしまったことは、実に残念なことだ。

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