前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

 『オンライン講座/独学/独創力/創造力の研究⑦』★『エジソンの発明精神を学ぶ』➂『エジソンの人種偏見のない、リベラルな性格で、日本人を愛した』★『私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの全知全能力を傾けた努力の結果であるならば』★『「未来へのビジョンを持つ、将来に信仰を持ちなさい、前進しなさい」 』

   

 百歳学入門(96)再録

「史上最高の天才老人<エジソン(84)の秘密>

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

⑧発明家の生涯には助産婦がいなくてはならない。よきライバルを持て。

⑨エジソンの人種偏見のない、リベラルな性格で、日本人を愛した。

➉「私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの
全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」

⑪「未来へのビジョンを持つ、将来に信仰を持ちなさい、前進しなさい」 

臨終の言葉――「将来に信仰を持ちなさい。前進しなさい。私は人々のためにするだけのことはした。もう思い残すことはない。ブルーに輝いた美しい国の人々が待っている。さようなら」

 

第8条 発明家の生涯には助産婦がいなくてはならない

敵も味方も多かったエジソンだが、最大の味方は自動車王・ヘンリー・フォードだった。フォードは21歳でエジソン照明会社の主任技師になり、50歳のエジソンに出会った。

フォードがガソリン自動車を製作したのを知ったエジソンは、フォードにしつこく説明を求め、自動車開発の可能性について議論した。最後にエジソンは

「君の勝ちだ。根気よくやりなさい。電気自動車は発電所の側に置かねばならないし、蓄電池は重すぎる。蒸気自動車もうまくいかない。君の自動車は完備している。」と折り紙を付けた。

この日以来、ふたりの友情は30年以上、エジソンの死ぬ日まで続く。フォードは自分の本社のあるディア・ポーンにエジソンの記念館を建てたほどである。 

一方、エジソンのライバルの筆頭といえば、グラハム・ベルだろう。

電話を先に発明したのはベルだったが、彼の電話は話すのと開くのが同じ口からなっていた。

そして人の声に必ず弱い電流が流れ、聞き取りにくかった。しかし、エジソンの電話では開くのと話すのが別々の口で、電流の弱点もなく、長距離にも耐え

られる長所を備えていた。

エジソンとベルの電話の競争はヨーロッパでも展開されたが、エジソンの圧倒

的勝利に終わっている。

第9条 エジソンの人種偏見のない、きわめてリベラルな人間。許可された日本人

1905年から6年間、エジソン研究所に勤務した日本人技術者に岡部芳郎がいた。当時のアメリカの有色人種に対する偏見には根強いものがあったが、エジソンは、

「彼は私の秘密の研究所にも出入りを許している唯一の研究員と、岡部の才能を高く買っていた。そこにエジソンの人種偏見のない、きわめてリベラルな一面が見える。

松下幸之助はそんなエジソンを一番尊敬し、大きなエジソンの銅像を、本社内に建立、周囲より一段と高くそびえている。

エジソンは独学で6か国語を話した。研究のために外国の文献を読むには、他国の言語に習熟する必要があったのだ。

「エジソンは一度読んだら、まるで写真に撮ったようにその文を覚えてしまった」との証言がある。

第10条「私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの
全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」

エジソンはアインシュタインとも親しかった。研究に失敗した時も彼らは落胆せず、「私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」という前向きの考え方を共有していたからである。

しかしエジソンは、一方でアインシュタインに対してライバル意識も持っていた。当時、物理学界で議論の的だったエーテルの研究に着手し、このように語っている。「空間、時間、幾何学についての発見は出来ても、彼はエーテルについての権威ある見解は未だ発表していないさ」

第11条―未来へのビジョンを持つ、将来に信仰を持ちなさい、前進しなさい

60才になったエジソンにある記者が質問した。

「いつになったら研究をやめるんですか」

『70歳にでもなれば、ハイカラなボタンのついたチョッキでもきてみよう。75歳になったら、トランプを覚えて、80歳になると女性と馬鹿話でもしてみようか』

「85歳を超えたら、朝晩、きちんと礼服を着て食堂に出る。それで90歳になったなら…いや、待て待て、私は30年以上先のことは考えないようにしているんだ」とエジソンはジョークを交えて答えた。

歳とることにはまったく無頓着に、若い時の全身発明家の情熱を持続した。

70歳代になったエジソンには、周囲から研究の時間を16時間に減らすようにと何度も勧められたが、仮眠をとっては、起きていおる間は働くというやり方は生涯変わらなかった。

多くの逸話を残したエジソンだが、未来予測としてこんな言葉を残している。

「これから先の科学文明において、人類最大の友は太陽で育った植物である」。未来戦争は兵士が登場しない科学兵器によって取り行なわれるであろうと言った彼の、自然と調和して生きろという勧めだ。

100年後の現在、広がりつつある「植物工場」「ロボット兵器」「無人飛行機」をすでに先取りしていたのである。

彼は死者からの使いを伝える占い板に注目し、科学的な心霊研究に着手している。晩年には経営から身を引くが、研究所にこもり死者との交信の実験(霊界との通信機の研究)を続けた。1931年(昭和6年)10月18日、84歳8ヵ月でその偉大な生涯を終えた。

彼の臨終の言葉は

第12条 「将来に信仰を持ちなさい。前進しなさい。私は人々のためにするだけのことはした。もう思い残すことはない。ブルーに輝いた美しい国の人々が待っている。さようなら」

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集②>「発明は技術者の命である」日立製作所創業者 小平浪平ほか10本

    <名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集②>   …

no image
日本リーダーパワー史(49)名将・川上操六のモルトケ戦略の応用とは・・ロジスティックの重視⑤

日本リーダーパワー史(49)名将・川上操六のモルトケ戦略の応用⑤ <クイズ『坂の …

no image
『リモート京都観光動画』/(Kyoto Sightseeing)外国人観光客のための京都古寺ガイド(9/1)千躰の仏像が拝観できる日本一の仏像寺院「三十三間堂」』★『宮本武蔵と吉岡伝七郎の決闘の場面となった京都『三十三間堂』の廊下(吉川英治の創作で事実ではない)』

(Kyoto Sightseeing)外国人観光客のための京都古寺ガイド(9/1 …

日本リーダーパワー史(719) 来年は大政奉還150年 ー明治最大の奇人、超人とは『西郷隆盛の弟・西郷従道です』日本海軍の父・山本権兵衛を縦横無尽に 活躍させた大度量、抱腹絶倒の大巨人で超面白い!①

  日本リーダーパワー史(719) 来年(2017)は大政奉還から150年 わが …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争カウントダウン』㉛『開戦32日前の「英タイムズ」の報道―『日英同盟から英国は日本が抹殺されるのを座視しない』●『『極東の支配がロシアに奪われるなら、日英同盟から英国は 日本が抹殺されたり,永久に二流国の地位に下げられる のを座視しない』』

  『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争カウントダウン』㉛ …

no image
日本リーダーパワー史(501)勝海舟の外交突破力を見習え③各国の貧富強弱により判断せず、公平無私の眼でみよ③

 日本リーダーパワー史(501)     いま米国 …

no image
八海事件の真相 (下)  

1 八海事件の真相 (下)           サンデー毎日1977 年9 月1 …

知的巨人たちの百歳学(124)「東洋のビール王」「大日本麦酒創業者」・馬越恭平【88歳) 「健康10ヵ条」「四気の保持を忘れぬこと―元気、勇気、長生き(気長の意味) 、腹の落付き(沈静)の四つ」

知的巨人たちの百歳学(124) 「東洋のビール王」「大日本麦酒創業者」・馬越恭平 …

no image
『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊶★『明治37(1904)/2/4日、日露開戦を決定する御前会議が開催』●『明治天皇は苦悩のあまり、10日ほど前から食事の量が三分の一に減り、眠れぬ日が続いた。』★『国難がいよいよ切迫してまいりました。万一わが軍に利あらざれば、畏れながら陛下におかれましても、重大なるご覚悟が必要のときです。このままロシアの侵圧を許せば、わが国の存立も重大な危機に陥る(伊藤博文奏上)』

  『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 …

湘南海山ぶらぶら日記 この夏の鎌倉マリンスポーツ/ベストショット選③★5稲村が崎サーフィン(8/26am5,20-6,30)全中継ー 台風10号のいい波きているよ』★『見ているだけでエキサイティング!サーフィンスリップだよ』

湘南海山ぶらぶら日記 この夏の鎌倉マリンスポーツ/ベストショット選③   ★5稲 …