日本リーダーパワー史(763)今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮独立党の金玉均ら」をバックアップして裏切られた結果、「脱亜論」へと一転した福沢諭吉の転換理由がよくわかる➀『金正男氏“暗殺”に「北偵察総局」関与浮上 次のターゲットに息子の名前も…』●『狂乱の正恩氏、「米中密約」でささやかれる米軍斬首作戦 正男氏毒殺の女工作員 すでに死亡情報も』
2019/08/09
日本リーダーパワー史(763)
今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮独立党の金玉均ら」
をバックアップして裏切られた結果、「脱亜論」へと一転した
福沢諭吉の転換理由がよくわかる➀
金正男氏“暗殺”に「北偵察総局」関与浮上 次のターゲットに息子の名前も… (1/2ペー
ジ)http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20170216/frn1702161530001-n1.htm
狂乱の正恩氏、「米中密約」でささやかれる米軍斬首作戦 正男氏毒殺の女工作員
すでに死亡情報も (1/3ページ)http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20170216/frn1702161130003-n1.htm
中国、金正男氏見捨てた? 護衛チーム機能しなかった謎…北朝鮮問題専門家が
「2つの障害」指摘 (1/2ページ)http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20170216/frn1702161700013-n1.htm
福沢諭吉はなぜ「日清朝の提携」から「脱亜論」に180度転換したのか。
福沢諭吉は明治18年に有名な「脱亜論」を自ら創刊した「時事新報」に発表した。
清国、朝鮮を名指しで非難しアジアの悪友とは絶交する、西欧の友人と付き合うと宣言した日本外交を先導する社説。もともと、福沢は西欧列強のアジア侵略を防ぐため「日清朝(日中韓の提携」を呼びかけて、朝鮮を支援したが、清国からそれを逆恨みされた結果、「脱亜論」に転換した。
その福沢の清国論は『一度は戦争をしてその尊大な中華思想の鼻をへし折らなければ、中国は自国の欠陥、亡国病に気づかない』というもの。福沢は当初、朝鮮の開国と教育を支援することを真剣に考えて、教え子の井上角五郎らを派遣して、韓国最初の新聞発行に努力させた。それが、裏切られた内幕を井上角五郎はこう証言している。
明治15年当時、福沢は朝鮮政策について「時事新報」で論陣をはっていた。征韓論で下野した後藤象二郎も朝鮮問題には深い関心を持っており、2人は互に意見を交換していた。たが、手紙ですると後日に残るので、すべて口上で行うことにして、その取次役は福沢の弟子・井上角五郎に命じており、時には一日に数回も両邸の間を伝令として行き来した。
李氏朝鮮の宮廷では大院君と閔妃の仲が悪く、殺し合いの権力闘争を繰り広げていた。閔妃と開化派は明治維新にならって近代化を推進するため、堀本礼造少尉を軍事顧問に迎えて新軍隊を作った。
ところが、守旧派と清国指導の旧軍隊はその差別待遇に怒って明治15年7月23日、「壬午事変」が起きた。大院君派が指図したもので堀本教官ら邦人数十人、閔妃一派多数も殺され、日本公使館を焼き討ちして王宮に乱入した。アジアで初の反日暴動となった。
一方、清国は、日本が明治9年、朝鮮を独立国と認めて修好條約を締結したのに強く反発し、報復の機会を狙っていたが、北洋水師提督・丁汝昌が軍艦数隻を率いて朝鮮に急行した。8月26日、500の兵士とともに大院君が丁汝昌に答礼に訪れると、ここで逮捕され駕籠に拉致して天津まで連行されて幽囚された。
この事変の談判の結果、済物浦条約が結ばれ
➀朝鮮から償金50万円を五年間に支払う。
②遭難者に弔慰金5万円をおさめる。
➂朝鮮宮廷は大臣を日本に派して謝罪する事などがきまった。
明治9年10月に朝鮮から修信使という名目で謝罪使が来た。一行は正使朴泳孝(ぼくえいこう),副使金晩植(きんばんしょく)、閔泳翊(ミン・ヨンイク)、金玉均(きんぎょくきん)が同行した。
日本政府は朝鮮を独立国と認めているから、使節の待遇も丁重をきわめて井上外務脚は一行のために朝鮮政府の借款を斡旋して、横浜正金銀行から17万円貸与させた。この金は日本へ支払うべき賠償の一部と謝罪使一行の帰国の費用とにあて、残余は朝鮮の教育事業に充てた。
朝鮮開国党(独立党)を物心両面で援助した福沢諭吉
この一行の目的は福沢から朝鮮近代化の方法の指導を受けることにあった。一行中の金玉均、徐光範の2人は以前に来朝して福沢の意見を聞いた事があり、一行は到着早々、福沢邸を訪ねて、朝鮮の前途について意見を聞いた。十七万円の借款が成立したので、さらに福沢を訪れて朝鮮の教育事業について指導を依頼した。
福沢はかって金玉均らに世界の形勢を説き、新聞発行と教育の普及を勧めたが、今回も同じだった。
➀朝鮮から青年を多く日本に留学させる。
②、京城(ソウル)で新聞紙を発行する。
➂ 留学生は徐載粥(じょ さいひつ)ら数十名が来て慶底義塾や士官学校に入学した。
④新聞発行には牛場卓蔵、高橋正信、井上ら5人を、新聞印刷機、漢字活字等の準備で、一緒に送ることを約束した。
この年12月、朝鮮に出発前に福沢は井上にたいして、
『僕は朝鮮をして完全に独立させたいと思う。とにかく日本以外の国々をして断じて朝鮮に手を出させる訳には行かぬ。
清国は結局、欧米に分割されるか、四分五裂して、欧米の勢力範囲となるのは当然の成り行きと覚悟しておらねばならぬ。
日本は清国も朝鮮も共に協力一致して西欧の侵攻を防ぐべきである。
そのためには、武力が必要だがこれを当局に任せるとして、文力もまた大いに必要である。朝鮮人が文明の知識を養い、生活の安定を得るようにならない限りは、到底、完全な提携はできぬ。
その文力(文化力、民度)は、日本人が人道上やらねばならぬ義務であって、諭吉はこれを率先、主張するのが天職と信じる」と懇懇と訓戒した。
明治16年1月、24歳となった井上、牛場ら5人の一行は朝鮮に着いた。金玉均・朴泳孝の計らいで京城南部の苧洞(ちょどう)の邸宅(元王宮の御用邸)に泊まった。井上らはここを印刷工場にして、新聞発行の準備をした。その時すでに朝鮮の政情は一変していた。
朝鮮宮廷は、閔妃派の勢力が再び強大になり、支那の勢力の前にひれ伏して政治はことごとく清国北洋大臣李鴻章の命令に服従していた。金・朴らの親日派、開化派は手も足もでず、前国王・哲宗の三女の婿であった朴泳孝は慶州留守という地方長官に飛ばされた。
井上、牛場らの所へは、誰一人訪ねて来る者もなく、訪ねて行けば玄関払いをくうだけでことは全く進まない。4人の身迫に危険が迫ってきて、耐へ切れず、わずか四ヶ月後の明治十六年四月、井上以外の4人は帰国してしまった。
福沢先生の教えを守り、ひとり居残った井上角五郎はこの逆境を乗り越えよう必死になって朝鮮の政情調査、コネクションを探した。大院君の一派は攘夷主義で、閔族は事大主義で、両派とも保守的,退嬰的であった。ところが、国王・高宗は「開化主義」で、日本の近代化を評価していた。井上は高宗に何とか取り入り謁見を許され同年六月、井上は国王から外衛門顧問(外務省顧問)に任命された。
苦心惨憺、10ゕ月後に朝鮮で最初の新聞「漢城旬報」を発行
井上は外衛門の顧問に就任すると、執務のかたわら新聞発行の必要を力説して計画案を作って示した。
➀新聞は旬報とし、毎十日に一度発行する
②官報を第一とし、内外の時事、ニュースをあわせて掲載する。➂
人智を開発し、殖産を奨励し、風習、習慣を教化する論説を掲げるーなどの計画案を示した。
この新聞発行はすぐ取り上げられ、新たに「博文局」という官衛(官庁)を置き、井上はその主任となった。
1883年(明治16)11月、新聞「漢城旬報」(第一号)を発行した。体裁は四六倍大の美濃紙二十四頁の冊子で、全部4号組の漢文で、「朝鮮開国四百九十二年輿末十月初一日、総理衛門博文局発行」と署名があり、朝鮮においての最初の新聞発行であった。
記事は国内官報・国内私報・各国近事などに分け、世界各国の近状を述べて割合に多くの頁を費し、国内私報(ニュース)の欄には日常生活に必要な新知識をあたえていた。
井上はこの事を早速、福沢に報告し、真に血をもって刷り上げた「漢城旬報」を送った。すぐ福沢からも、満足と激励をこめた手紙がきた。
「海外の新聞紙購入すること、その英文翻訳のできる人物も入れる,おいおい紙面に絵をはさむ事で朝鮮人の目に新らしき工風をすること。仮名文、ハングルを早々に採用して、朝鮮の旧来主義を一転させること」。
ところが、「漢城旬報」が発行されると朝鮮人の中にも反対があったが、とくに清国側(中国側)は激怒した。当時、朝鮮は清国の属国なのに、こともあろうに日本人井上の手で新聞が発行されたことが屈辱的だったのだ。
市内の各所に「井上角五郎を誅戮(ちゅうさつ、罪を冒したので殺害)せよ」という貼はり紙が出され、井上は身の危険を感じた。
つづく
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