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『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑲ 』★『戦略情報の開祖・福島安正大佐ー 明石元二郎の指導する「明石工作」は日英同盟を結んだ英国諜報局とは極秘の「日英軍事協商」を結び諜報の全面協力体制を築いた。福島安正、宇都宮太郎(英国駐在武官、宇都宮徳馬の父)がバックアップして成功する』

      2021/09/09

 

  2016/03/01   日本リーダーパワー史(679)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(58)記事再録

前坂俊之(ジャーナリスト)

日英軍事協商と諜報の全面協力体制

日英同盟成立から約4ヵ月たった5月14日、海軍横須賀鎮守府内で英国側からブリッジ東洋艦隊司令長官、日本側から山本権兵衛海相、陸軍からは田村恰与造参謀本部次長、福島安正同第二部次長らが出席して、日英軍事協商の秘密会議が開かれた。

続いて7月7日にはイギリス陸軍省で、伊集院五郎海軍軍令部次長、福島らが出席して日英軍事協商に合意。おもに海軍の協力が中心の、次の「陸海軍協約」八項目を締結した。

(一)共同信号法を定めること。

(二)電信用共同暗号を定めること。

(三)情報を交換すること。

(四)戦時における石炭(日本炭、カーディフ炭)の供給方法を定めること。

(五)戦時陸軍輸送におけるイギリス船の雇用をはかること

(六)艦船に対する入渠(にゆうきょ)修繕の便宜供与をはかること。

(七)戦時両国の官報をイギリスの電信で送付すること。

(八)イギリス側は予備海底ケーブルの敷設につとめること。

協定の過半が通信関連の問題であった、日英の参謀本部のトップは、きたるべき日露戦争は「情報戦争」「インテリジェンス戦争」であるという共通認識を持っていた。

戦争にあたって一番重要なことは、兵力や武器とともに情報とその分析である。情報収集のためには、情報通信のインフラ(海底ケーブル、有線、無線通信)を整備し、通信のプロトコル(通信規約)を決め、暗号を共同化して、諜報した内容(コンテンツ)を通信して送受信する。このインフラとソフト(暗号、諜報)は、インテリジェンスの両面である。

どんな秘密情報をスパイしたとしても、それを速報する通信手段がなくては何の役にも立たない。戦争の歴史は、通信、コミュニケーションの歴史でもある。ノロシ、タイコ、ホラガイ、早馬、伝書ハトなどがいち早く敵情報を知らせる通信手段に使われてきたが、日露戦争を目前にして電気、有線通信、無線通信、電報、電話、写真などの近代電気通信技術が一挙に発達し、通信スピードは飛躍的に向上した。

児玉源太郎の葬儀の際に後藤新平が 「百年に一人の知将だった」と述べた児玉総参謀長は、この情報通信の重要性をいち早く認識していた稀有のインテリジェンスの持ち主だった。

「日本参謀本部の父」川上操六も、日清戦争直前に東京・下関間の直通電信線、朝鮮半島では釜山・京城問の電信線を最初に提案し、児玉が先頭に立って敷いた九州-台湾問海底ケーブルも川上が深く関与していた。

 日英軍事協商でもう一つのポイントは、諜報の交換である。

「情報を制する者が世界を支配する」 のセオリー通り、次の三点の密約が交わされた。

(一)両国は、ロンドン、東京の日英公使館付海陸軍武官を通して、すべての諜報を相互に自由に交換する。

(二)両国の公使館付武官は、いずれの任地でも自由に情報を交換する。

(三) 両国海軍連絡将校の各艦隊付と、両国陸軍連絡将校のインドと日本間の交換派遣。戦時における陸海軍従軍武官を各司令部に配属する。

この結果、50年かかって世界中にはりめぐらせた英国の世界通信ネットワークに、ロシア側への情報漏れを防ぐために児玉が陣頭指揮で敷設した海底ケーブルをドッキングすることに成功した。東京からの電報の場合は、東京―九州(大隅半島)―台湾(基隆)―台湾(淡水)―福建省(福州)と伝達され、イギリスの植民地の香港を介して、南シナ海からボルネオを経由し、マラッカ海峡を通り、インド洋を横断して紅海から地中海に抜け、そしてロンドンへという経路で伝達された(石原藤夫著『国際通信の日本史-植民地化解消への苦闘九九年』 (東海大学出版会、1999年)。

この軍事協商締結で、日本陸軍は、ロンドン駐在陸軍武官の対ロシア戦略情報とインド方面のロシア陸軍の情報が入手できるようになった。一方、ロンドンでもスピーディーに日露戦争の全情報を収集できる体制が整った。日露戦争が始まると、英国は22人の観戦武官を戦場に送り込んで情報を収集し、両国に伝えた。

もちろん、「明石工作」の暗号電報も、この回線を経由して東京に速報された。

「この合意によって、日露戦争中、おもに恩恵を受けたのは日本であった。というのも、大英帝国が、他の列強と対抗し、植民地を巧みに支配するため、世界中に築き上げてきた諜報網を、さしたる労力もなしに利用できたからである。その窓口となったのが、宇都宮と在英公使館付海軍武官の鏑木(かぶらぎ)誠大佐。

とくに、宇都宮は、戦争中、英陸軍参謀本部作戦部のエドワード・エドモンズ少佐と親交を重ねていた。このエドモンズこそが、当時世界中からロンドンに集まってくる各国の陸軍情報を英参謀本部内で掌握できる立場にあった。

ロシア陸軍部隊の動員状況について、宇都宮が逐次、東京に報告し、それに基づき満州の露軍兵力が算定されるなど、イギリス陸軍情報は、参謀本部の作戦計画策定に寄与していた」 (佐藤同) のである。

宇都宮太郎

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E

「軍事協定に関する秘密防止の手段

島貫前掲載論文によると、

「軍事協定に関する秘密防止の手段として、東京とロンドン間の通信連絡法についてである。当時英国は自国専用の電信線を持っており、また暗号にも自信を持っていたので、東京駐在英大使館付武官を窓口として一切は英国側に委せるべきことが要請された。

日本の幼稚な暗号では外国から盗聴され、迷惑するのは英国側であり、最も英国が恐れていたのは英国の暗号がこの機会に外国から解読されることの配慮を、同盟そのものよりも最優先させていたに違いないからである。

欧米列強は同盟等の有無に関係なく平素から相手の暗号解読に努力し、これによって自国の暗号が盗聴され、解説されているかどうかをもチェックするスパイ防止の役目も行っており、近代戦争では最高に難しい問題がこの通信秘密をめぐる戦いということになる。

また、明石元二郎大佐によるロシア本国の革命運動支援工作(略称して明石謀略)について英国側から絶大な協力を得たのである。ロシア側は日露戦争中にすでに偵知して、この謀略の主役は表面的には明石大佐だが、裏面で極秘裏に指導していたのは英国諜報局であり、当時の日本にこれだけの能力がないことをと見破っていた。

明石大佐はフランス駐在の日本武官から、この日英軍事協定が結ばれた直後の明治35年8月に駐ロシア武官に転勤させられ、開戦までの準備は一年半しかなく、終戦まで約二年弱の活躍である。

明石工作資金の100万円は当時の日本にとっては莫大な予算を注ぎ込んだが、ついに27万円は使い切れなかったというから、金の問題よりも人と時間と能力の問題であったに違いなく、急に思いついた程度でやれる代物ではないことが判る。

しかしこの明石工作がロシアにとって致命的な打撃となったことは事実であるが、英国の蔭の支援なくしては成功しなかったことも忘れてはならない。

機密協定の英国側代表は英陸軍諜報局長ニコルソン中将であり、日本側代表の福島安正少将は当時駐英武官の宇都宮太郎中佐だけを連れてこの機密協定に臨み、宇都宮を英国側とのその後の実施監督責任者の役目につけており、「明石工作」は福島主導の基に明石、宇都宮とニコルソンの共同作業だったのである。

『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』⑦終『ロシア革命影の参謀、レーニンとの関係、ロシアの国情分析

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/5277.html

日露終戦の戦略開始

「勝兵は先に勝って、而して後に戦を求め、敗兵は先に戦って、而して後に勝を求める」とは孫子兵法の有名な原則である。この教訓によれば「日露戦争は外交戦略で英国の支援をとつけた戦略で先に勝ってから開戦したので勝兵(戦争に勝つ)となった」典型的な勝ちパターンである。

清洲軍総司令官大山厳元帥と総参謀長児玉源太郎大将の出征記念の壮行会は明治37年7月6日に開催され、その席上、両将軍は伊藤博文、山県有朋、山本権兵衛、松方正義たち元老に対して「終戦の時期の軍配を適当な時期に頼む」と告げていたことは有名である。

児玉は常々「開戦の責任者は終戦の責任者でなければならぬ」と言明しており、奉天会戦後に極秘裏に帰国し、講和の準備を根回しする早業である。日中戦争、太平洋戦争での無目的な計算していない開戦、終戦時期も想定していない出たとこ勝負の開戦とは全く違うのである。

明治のトップリーダーと昭和のリーダーとはインテリジェンスでは天地の差があった。問題は、いまのトップリーダー(政府、自民党、外交官、官僚、メディア)との比較でも、これまた月とスッポンである。

余談はさておき、児玉源太郎が日露戦争終結後の明治39年(1906)4月、参謀総長に任命の内報を受けるや、参謀次長に情報部長の福島少将をそのまま進級させる処置をとった。

福島は情報工作のため講和後に明石大佐をいったん帰国させた後、明治39年2月、ふたたび欧州に派適して後始末に当たらせた。これは情報の下働きをした現地の情報員の十分な謝礼と返礼、救済措置やパイプの維持、継続を手厚くすることで今後の日本に対す信用性を確保し、こうした措置が長期戦略情報の入手の死命を制するためであった。

同年9月に日野強少佐を中央アジアとインド北境正面の奥地に派遣し、日露戦争後の英露関係、ロシア中国関係の変化についても調査させた。

ところが多大な戦債を使った日本は満州に新な地歩を獲得したものの、予想以上の戦費を費やしたので、戦後は軍事予算の大幅削減が避けられなくなった。その上に、同年9月には児玉大将が急死したため、福島参謀次長担当の戦略情報関係予算も急に大幅カットのうき目となる。ここに福島が20年かけて営々と築き上げてきたシベリヤ関係情報や日英同盟関連情報の主力部分は断絶と撤廃の悲運に陥った。川上操六、児玉源太郎、福島らによってかろうじて勝利した日露インテリジェンス戦争は、一転して『徳川鎖国時代』に逆戻りして『日英同盟」は破棄され、「情報音痴・敗戦国」となって「日中戦争」「太平洋戦争」の無謀な軍国主義に転落していった。

 

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