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日本の「戦略思想不在の歴史」⑵(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか②『「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日本を攻めようにも風涛艱険で、 モンゴル軍が安全に進攻できるところではない』

      2019/09/30

「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、

属国化を迫ってきた』『日本を攻めようにも風涛艱険で、

モンゴル軍が安全に進攻できるところではない。』

「モンゴル(蒙古、後に元と改称)帝国」の国王フビライは、従属国、高麗(朝鮮)の高官を、蒙古帝国の使者として、フビライの国書を持たせて日本に計6回も派遣してきた。

最初は 1266年11月(文永3年、モンゴル帝国至元3年)のことである。国書をもってたヒズル(黒的)を正使として高麗を経由して、高麗人に案内させて日本に行く予定だったが、高麗で日本遠征の難しさを説かれて、引き返した。

以後、続けざまに

第2回は1268年1月

第3回は1269年3月(文永6年、至元6年)

第4回は1269年9月、

第5回は1271年9月、

第6回は1273年3月(文永10年至元10年)

と1,2年ごとに1度の使者を送りこんできた。

第一回目の国書の1267年(文永4年)というと鎌倉時代は執権・北條政村の時代であり、その一年後に、政村が引退したため、26歳の若さで時宗が執権となった。

この時のフビライからの国書は次のような内容である。

「朕がつらつら考えてみるに、古より小国が大国と国境を接している場合には、大国に対して親交を求めてくるものである。

まして、わが祖先は天命をうけて天下を支配しており、いかなる遠方の国々でも、わが蒙古の威光を畏れ、徳をしたって来朝するものが非常に多い。

高麗(朝鮮)は朕の東方の属国である。日本は高麗に接近しており、また、日本は開国以来 時折、中国と通じてきたにもかかわらず、朕の時代になって、いまだ一度もわが国に使節を派遣してこない。

朕は日本が蒙古帝国の勢力を十分に知らぬためであろうと考え、特に今回使者をつかわして、朕の考えを貴国に知らせ、そしてわが国と誼(よし)みを結びたいと考えている。

このような事柄で、兵をおこすようなことになるのは、誰も好まないところである」【小澤四郎『日本人の失敗』(リヨン社 1990年刊)

これを見ると、文面は丁重そのものだが、最後に「あいさつに来なければ兵を起こすことはだれものぞまない」ーと逆説的に、もしよこさなけれは攻めるぞと威嚇している。

高麗国王からの親書も同時に届いた。

「私の国は蒙古大朝に臣事して年久しくなる。皇帝は仁明で天下を一家のように考えている。日本は前から中国と通好していたので、皇帝の希望されるようになさるが最も賢明であろう。」(塚本政登士『日本防衛史」原書房 1976年、39P)

これを元と高麗の関係史の視点から眺めると、外交巧者の高麗(朝鮮)の仲介役の果たした役割が見えてくる。

以上は日本側から見た元軍が攻めてくるまでの経過である。

これを元と高麗の関係史の視点から眺めると、外交巧者の高麗(朝鮮)

の仲介役の果たした役割が見えてくる。

この時の高麗と蒙古の関係はというと、1219年(健保7、承久元)-1221年ごろから高麗への蒙古の侵略が始まり1254年(建長6)には、高麗の被害は、男女捕えられたもの20万6千人、死傷者は膨大な数にのぼり、蒙古軍の侵入した州都はすべて灰燼に帰していた。

このため高麗は国都を開京(開城、現在の北朝鮮の開城市)から漢江下流の江華島に移し、抗争を続けたが、ついに敗北し1259年(正元元)に蒙古の属国となったのである。

1271年、蒙古帝国が「元」と国名を改称した後も、このパターンで中国の近隣諸国に対して国書をもった使者を派遣し「あいさつにこい。来なければ戦争を起こす」と脅し、ほとんどの国から朝貢させて属国化してきた。

これに従わなかったのは中国大陸内部の宋と、東の小島国日本だけだった。1267年当時、元は宋を攻めて南方に追いつめていた時期で、残る唯一の日本に朝貢を促してきたのである。

当時の「宗主国元」と「属国高麗」の関係は強圧的な元と高麗の現在の韓国・北朝鮮流の『ノラリクラリ、コロコロ態度を変える』外交詐術巧者の駆け引きが続いたのである。元は高麗に対して

➀人質をよこすこと。②駅站(駅舎)を設け、高麗の負担においてモンゴル使者の交通宿泊の便宜を提供すること③モンゴル軍隊が出動するときは、兵器兵糧を納入することーなどを強く要求した。

高麗は国内が困窮しているとして、人質は差し出したものの履行の延期を哀訴哀願した。これに対して、フビライ汗はおどしたり、すかしたり、なだめたり、互いに勝手放題なことを言いあう外交関係が展開されっていた。

今の中韓・北朝鮮外交はこの延長線にあって、まるでこの繰り返しなのである。

1266年(至元三年、文永3)フビライ汗の使者としてヘイドら2人が汗の詔書をもって高麗へ来た。

「最近お前のところの使者がきてこうを言った。『日本は高麗に近く、典章や政治は立派なものです。それに以前から中国と使者をやりとりしています』と。

それで朕はへイドらを日本へ遣わして、日本へ行って和を通じさせたいと思う。おまえの国の者が案内して日本へ行き、モンゴルの風に向かい義を慕うようにせよ。

風波が荒いなどと言い訳けするな。日本が命に従わず、使者を阻止するてとが心配だなどと逃げ口上を言うな」と命令した。

1266年11月28日、モンゴルの使者が高麗の役人を従えて

日本に向かい巨済島まで来て、そこから対馬へも渡らず、引き揚げた。

 

高麗国王は同行した役人を元に遣わして説明した。

「巨済島へ行き、対馬島を望みますと、大洋は万里、風涛は天を蹴るほどでありました。これは大変危険で、モンゴルの使者と無理に進むべきでない。対馬島へ着いても、そこの住民は野蛮で礼儀を知りません。もし騒動が起こっては大変だと思い引き返しました」と。

また高麗王は「わが国は日本とあまり交際がなく、対馬の島民がたまに貿易のため金州(釜山の近く)に来るだけです」と付け加えた。

さらに、高麗の重臣の李蔵用が、日本遠征の無意味さを忠告し、中止となったという。

李蔵用はこう述べた。

「日本は海をへだたること万里のところにある。中国と交際してきたとはいえ、毎年の貢物を奉ったことがない。だから中国もあまり重視していない。来れば撫す、去れば絶つという状態である。日本を征服しても役に立たないし、棄てても損にならないのである。

小国を征服するのはいいが、かえって毒をもつこともある。力ずくで攻めようにも風涛艱険(ふうとうかんけん、風と波が強く激しい荒海で航海が難しい)で、モンゴル軍が安全に進攻できるところではない。

(原文は「これを取らんと欲すれば、則ち風涛難険にして、王師万全の地にあらず」)急に攻めないで、長い間かかって服属をすすめ、内付すればよし、内付しなければ野蛮なままではっておいた方がいい」

李蔵用はズバリと、日本遠征をムダと指摘して『朝鮮本土から目と鼻のところにある江華島の占領さえできなかったモソゴル軍に一体何ができるか』のとべたのである。

以上は勝藤 猛著「忽必烈汗」人物往来社 1966年刊)

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

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