前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本の「戦略思想不在の歴史⑻」「高杉晋作のインテリジェンスと突破力がなければ、明治維新も起きなかった。

      2017/12/01

●「高杉晋作のインテリジェンスがなければ、

明治維新も起きなかった。

古来密接な関係にあった日本と中国(支那)の国交は、中世の末期、戦国時代に至り、ほとんど杜絶した。江戸時代に入っても、わずかに民間の貿易のみが継続し、幕府は長崎に唐館を設けて、中国人との通商を許していた。

 1854年(安政元)、幕府は祖宗の遺法(鎖国)を破棄して、欧米諸国と条約を締結したので、清国とも通信、通商の条約を結ぼうとした。1862年(文久2)主として勘定奉行・小栗忠順が、上海で海外貿易を行うことを計画した。

 当時、清国の上海は、日本と西洋との仲介地として最も重要な基地であり、大部分は上海で取引することができた。

西洋以外に、清国自体が日本の諸産物の大得意先であり、その取引が上海で行なわれその重要性は増す一方だった。

小栗らはまず、条約の下交渉をさせ、あわせて上海貿易の実情を視察するための要員を上海へ派遣することになった。しかし地位の高い役人を派遣せず、長崎奉行支配調役並・沼間平六郎

http://blog.livedoor.jp/bakumatusaga/archives/51857868.html

を団長とし、勘定役・根立助七郎、徒目付・鍋田三郎右衛門らが参加した。さらに諸藩の士も藩命によってこれに随行したが、そのなかには長州藩の高杉晋作、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%89%E6%99%8B%E4%BD%9C

佐賀藩の中牟田倉之助https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%80%89%E4%B9%8B%E5%8A%A9

らがおり、また薩摩藩の五代才助https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BB%A3%E5%8F%8B%E5%8E%9A

も水手として加わった。

幕府は一行を上海へ派遣するため、イギリス商船を買揚げて「千歳丸」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%AD%B3%E4%B8%B8_(%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B9%95%E5%BA%9C)

と改号し、これに貨物を積載して上海で売りさばき、時の道台呉照と交渉させることにした。

なおこの間の斡旋は、長崎に駐在していたオランダ領事ポートインが世話してくれた。

千歳丸は、1862年(文久2)4月29日長崎を出帆し、5月6日上海に到着した。

ところが肝心の上海道台との交渉は、道台が条約を締結する必要はないとして、どうしてもわが国の要求に応じなかった。

千歳丸は7月四4日まで停泊し、5日上海を出発、14日に長崎に帰着したのである。

高杉晋作はこの「千歳丸」に乗り、植民地の上海に到着したのである。

そこで目にしたのは西欧人から奴隷扱いの中国植民地の惨状で「シナ人はほとんど外国人の使用人。日本もこんな運命に見舞われてはならない」(上海日記)と危機感を募らせた。この時、中国での太平天国の乱で身分や職業に関係ない国民軍が活躍していたことに奇兵隊創設のヒントをつかんだのだ。

これは幕府の上海調査団というべきもので各藩から参加し、長州藩は高杉、鍋島藩は中牟田倉之助(後の海軍軍令部長)らが200年以上の鎖国が解けて、初めて外国旅行であった。

この連中が明治維新の突破者になるのである。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(854)ー『2018年には米朝開戦か、北朝鮮を核保有国と認めて 「核シェアリング」で核抑止するかーギリギリの選択を迫られる 』(下)『北朝鮮は「核保有国」を宣言。核開発と経済発展の『並進路線』を推進 』

  北朝鮮は「核保有国」を宣言。核開発と経済発展の『並進路線』を推進  …

no image
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』ー『「withコロナ宣言」でポストコロナの世界はどうなるか』★『GAFAを生み出した「デジタル・ネーティブ/パソコン第一世代」(ミレ二アル(Y)世代(25ー40歳))とすれば,「スマホ第2世代」(Z世代)がwithコロナ社会の未来を拓く』(5月27日)

「withコロナ宣言」―Z世代が未来を拓く          前坂 俊之(ジャー …

no image
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集②>「発明は技術者の命である」日立製作所創業者 小平浪平ほか10本

    <名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集②>   …

no image
『国葬でおくられた人びと』・・元老たちの葬儀」★『伊藤博文、大山巌、山県有朋、東郷平八郎、山本五十六、吉田茂まで

  『国葬にされた人びと』・・元老たちの葬儀    …

「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『幕末、明治維新から約170年、日本を近代国家に発展させる基礎を築いたのは誰か?』★『勝海舟(76歳)であり、その大国難(徳川滅亡→明治維新を平和裏に遂行)突破力を学ぶ』『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』★『1千兆円(2012の時点)を越える債務をふくらませた政治を一喝、直ぐ取り組めと厳命)

2012/12/04 /日本リーダーパワー史(350)記事再録 「国家興亡史の第 …

日本リーダーパワー史(386)児玉源太郎伝(8)川上、田村、児玉と歴代参謀総長はそろって日本救国のために殉職した。

 日本リーダーパワー史(386) 児玉源太郎伝(8) ① & …

no image
日本メルトダウン脱出法(572)☆「なぜ香川真司はドルトムントで復活したのか」◎「2戦連続弾の本田に高評価

     日本メルトダウン脱出法(572) 本日の …

no image
日本リーダーパワー史(680) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(59)「日露戦争・日本海海戦の勝因は日英軍事協商(日英謀略作戦)ーバルチック艦隊は「ドッガーバンク事件」を起こし、日本に向けて大遠征する各港々で徹底した妨害にあい、 艦隊内の士気は最低、燃料のカーディフ炭不足で 決戦前にすでに勝敗は決まった。

  日本リーダーパワー史(681) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(59) …

「司法の正義と人権擁護に 生涯をかけた<史上最高の>正木ひろし弁護士をしのんで』★『日本の国民は戦前・戦後を通じて一度もルネッサンス(文芸復興)を経験していない。僕はこの暗黒の社会を照らす〝残置灯″を自負しているのだ。将来の日本人の一つのモデルになればと思っている。』

『リーダーシップの日本近現代史』(54)2013-11-11 記事再録 <月刊「 …

no image
日本リーダーパワー史(681) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(60) 『世界史の中の『日露戦争』 (英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は 「日露戦争をどう報道したか」を読む (20回連載の1~10回まで)

日本リーダーパワー史(681) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(60) 『ま …