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『リーダーシップの日本近現代史』(49)記事再録/『明治天皇のリーダーシップ』(2) 大津事件で対ロシアとの重大危機・国難(日露戦争)を未然に防いだ 明治天皇のスピーディーな決断、実行力に学ぶ(下)

   

 

  日本リーダーパワー史(197)

前坂 俊之(ジャーナリスト)

  渡辺幾治郎著「明治天皇(上)」(1958年刊)の『明治天皇と大津事件』

 
 
「私は御国に到着以来、御国人民の丁重な歓迎に感激していました、図らずも一狂人のために軽傷を受けましたが、私が陛下を始め御国人民一般の厚誼に感激していることには変りがありません」と厚く卸見舞の行幸を感謝した。
この日皇太子は本国の皇后の命令で、神戸に入り、軍艦アゾヴアにおいて療養することになって、京都旅館を発した。明治天皇は、同車して皇太子を神戸に見送った。
ロシアでは兇徒が日本警官であると聞いて大いに憤慨した。日本は暴国である、警官も軍隊も頼むに当たらない。保護を託しがたい。皇太子も随行の人も日本人を疑い、天皇から差し遣わされた池田侍医局長らが旅館にいき診察しょうとしたときも、一切の診察を許さなかった。こうして、母皇后の命令と称して神戸の軍艦に帰った。
 
この時、皇太子はじめロシア国民の日本人への恐怖は最大限に達した。天皇は皇太子一行がロシア艦に全員乗艦されるのを見送った。
 明治天皇は、ロシア皇太子の遭難をいたみ、ロシア皇帝、皇后の心情を察して、特使を同国に派遣してこれを慰問しょうと、十三日神戸に行幸中の威仁親王にその旨を告げた。親王がロシアの事情に通じているばかりでなく、皇太子の来朝以来、接伴委員長として各地に同行していたので、適任者であると正式に勅命された。また枢密顧問官榎本武揚がロシアに信用あるのを思い出し随行に加えた。
 
 明治天皇は誠意の限りを尽し、露国皇帝の心をやわらげ、皇太子の負傷の治るのを待って東京に来遊せんことをのぞみ、皇太子や随行員及びロシア公使等にその旨を告げ、ロシア駐剖特命全権公使西徳二郎から同国外務大臣ギールスに請うた。
しかし、皇太子は父帝の命により、日本を辞去し、ウラヂオストックにおいて療養することに決定して、皇太子は親電を以て、その旨を明治天皇に伝えてきた。
 
 政府、国民はこの事件が日露友好、親善を破る一大事件として朝野を上げて、皇太子を慰問した。官公街・貴衆両議院・府県市町村会・各所商工業組合・会議所・政治団体・公私立学校から電信や書簡、慰問状、見舞品が山のごとく届いた。十四日これを軍艦に運搬したが、大きな箱に16個にもなり甲板上にうづ高くなった。
 
皇太子も、これをみて、大いに日本国民の誠意を喜んだ。
 このように誠意を尽し、皇太子を慰めたが、遂に日本を辞去すると聞いた時、国民の失望した。この時、千葉県の畠山勇子はこの報を聞き、皇太子が、日本を去るのを悲しんで京都に赴き、20日京都府庁門前で自殺した。その携帯品の中には、皇太子に奉る書があった。勇子は27歳であったが、当時の日本国民の感情を代表したものであった。
 
 明治天皇の行動で、最も皇太子を歓ばせ、また国民を感動させたのは5月19日、皇太子の招請に応じ、ロシア軍艦に臨場、送別の宴に臨んだことであった。
 はじめ天皇は、皇太子が帰国するということになったのを遺憾とし、神戸御用邸に皇太子を招いて送別の宴を張ろうとし、皇太子はこれに応じたが、医師の忠言でこれを辞し、ロシア艦内で午餐会を催し、惜別の意を表したいと言ってきた。
 
 この招請電報が京都御所に達するは、西郷内務大臣・青木外務大臣・伊藤・黒田の元老も皆集まっていた。土方宮内大臣がこの電報を示して、その意見を問うと一同の顔色は変った。これは実に皇国の一大事である、ロシア艦がもし、天皇を乗せたままで抜錨して去ればどうするか、明治15年.朝鮮事変に際し、清将・馬建忠は朝鮮の大院君を清船に拘禁して、その清国に連れて行ってしまった例もある。
 
皇太子の御招待といえども、決して油断はならない、というものもあれば、
 いや、せっかくの招請に応じないのは礼儀でない、皇太子の御気持ちも考えねばなるまい、というものもある。この時、神戸に停泊のロシア軍艦は六、七隻だったのに、日本の軍艦はわずかに一、二隻に過ぎない。
一同の憂慮、危惧は尋常でなかった。重臣たちは諾否の判断がつきかねた。この上は聖断の外はないということで、土方宮内大臣は、徳大寺侍従長を経て、そのことを奏上した。
明治天皇は、別に驚いた様子もなく、平然と「心配には及ばぬ、臨幸しょう、ロシアは文明国だ、みなが憂慮するような野蛮の行動は決してとるまい、もし万が一、さようなことがあれば、その場合、曲は彼にあるのだ、決して恐れることはない、朕は臨幸しょう」ときっぱりと言った。
五月十九日午前九時、京都御所御出門から神戸に行幸し威仁親王・能久親王を随えて、アゾヴア艦に臨幸した。皇太子は大いに歓んで、甲板上に迎え、自ら御休憩所に御導きした午後1時前から・食卓が開かれた。陪席上たものは威仁・能久両親王・土方官内大臣・徳大寺侍従長・式部次官・近衛参謀長等のみ。
天皇の背後には、式部官長崎省吾が通訳として侍立していた。
 
皇太子は非常に満足で、大いに歓迎した。天皇も愉快に談笑し皇太子の遭難を痛み、「朕が臣民にあのような不心得のものがあって、誠に御気の毒に堪えない
と」申上ると、皇太子は、「どこの国にも狂人はおります、予の負傷は狂人の所為である。だが傷は、極めて浅いから、決して心配ご無用」と答えた。
ロシアの礼として、食間に煙草をのむのが例である。皇太子が、ポケットから煙草をとって、これを天皇に進めると、天皇もまた、ポケットを探って皇太子に煙草を進めた。こうして十分の歓談を尽された。
午後二時に、退艦した。この明治天皇のロシア軍艦御訪問は、皇太子に非常な好印象を与えたばかりでなく、ロシアの国民にも非常な好感を与えた。
 この日、午後四時四十分、皇太子乗艦アゾヴア号は神戸を抜錨、ウラジオストックに向つて出帆した。能久親王は御命によって八重山艦に乗って下関まで奉送した。
 
 皇太子が辞去したので、明治天皇は五月二十一日、京都御所を発して還幸の途につき、22日午後1時に、新橋停車場についた。新橋と宮城の間は奉迎者で埋まった。国難が除去されたことを知って、国民はひと安心した。明治天皇のスピーディな決断、誠心誠意の行動の結果であった。
 
当初、ロシア国民は日本政府の警衛不取締を非難し、大いに日本国民を疑い、外人排斥を目的とした犯行に恐怖した。青木外務大臣はロシア公使シエウィッチに厳責されたが答える言葉もなく.モスクワ駐劉公使西徳二郎は百方辞を尽して、同国外務大臣に弁解し謝罪したが拒否された。
 
 この日本の国難を救ったのは、明治天皇が誠心皇太子の負傷を痛み、懇切にして周到、機宜の処置をとったことであり、皇后のロシア皇后に対する懇切な処置が、露国の皇帝・皇后の心をやわらげたためであった。
 
 
これは全く、明治天皇の平和精神に徹した御処置が日本国民はもとより、ロシア宮廷とロシア官民に感動を与えたためであると信じて誤りではあるまい。
 
こうして外務大臣ギールスはわが駐ロ公使を呼んで、「今回の事変に対し、貴国王室政府及び国民は既に尽すべきことを尽された、この上、我々は更に何等求むることはない。従って慰問の表示を受ける必要もない」といって、特使差遣の無用なることを告げた。
 
シエウィッチは本国外務大臣ギールスの電命により、五月十八日、青木外務大臣に会つて、露国皇帝及び皇后は、我が天皇及び皇后並びに皇族の厚誼に対しすこぶる満足あそばされているから、威仁親王卸差遣のことは中止されたい、
と特に申しでた。こうして十九日特使差遣のことは停止されることになった。
 

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