前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人たちの百歳学(167)記事再録/『日本歴史上の最長寿、118歳(?)永田徳本の長寿の秘訣は・『豪邁不羈(ごうまいふき)の奇行です』

   

 

   百歳学入門(33)

『日本歴史上の最長寿、118歳(?)の永田徳本とは
何者かーその長寿の秘訣とは↓↓
豪邁不羈(ごうまいふき)の奇人で結構!

 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
『医聖』-永田徳本(ながたとくほん)は天海大僧正(107歳?)を超える118歳の伝説の大長寿といわれているが、これはあくまで長寿伝説であり、確かに当時としては長寿ではあったのだろうが、90歳代ではないかと思う。天海大僧正(107歳?)の長寿も作られたものである。
 
さて、その永田については各事典では次のように紹介されている。
 
 室町末期・江戸初期の医家。生年は不詳、没年は一六三〇年(寛永七)118歳説と四九年(慶安二)または五二年(承応元)九〇余歳説があり、生国も諸説(三河、美濃、信濃、甲斐)があって定かでない。
甲斐在住が最も長いとして「甲斐の徳本」と呼ばれ、また知足斎(ちそくさい)と号した。曲直瀬道三(まなせどうさん)について李朱医学を修めたとされるが、師説にとらわれず空理空論を排して経験的実証主義を貫き、張仲景の古医方を重視して作用の強い薬物を好んで使い、古医方派の先駆者に位置づけられている。
 
しかしその経歴は伝説的ベールにつつまれ、薬嚢を頚に掛け薬龍を背負い牛にまたがうて諸国を遊歴、一服一八文(16文とも)の薬を売ったり施薬し、某医のすすめで大名(将軍とも)を治療したが賞賜を受けず去ったなどとされ、市井医としての奇行が伝えられる。
 
なお、甲州ぶどう栽培法改良の先駆者とされる。「梅花無尽蔵」「徳本翁十九方」などの著書が伝えられている。                        (宗田一)
 
 
ながたとくほん【永田徳本】生投各不詳。織豊期~江戸初期の医師。生国も不詳だが、一般に「甲斐の徳本」といわれる。首に薬蔀をかけ、牛の背に腰かけて、甲斐の徳本一服一八銭とよびながら諸国を漫遊して薬を売り歩いた。寛永期初め将軍徳川秀忠を診察し作用の強い薬をすすめ、治癒後も恩賞を固辞して薬価数十銭のみをうけとって去ったという。著書は「医之弁」「徳本遠方」などとされるが不明。
 
 
永田徳本(1513-1630)室町時代-徳川初期の医家。知足斎と号した。郷国は不詳。或は三河といひ、美濃といひ、戒は信濃といひ、また甲斐の人ともいふ。脱俗の士で風塵を避けて譜州を周遊したが、甲斐の国に居たことが最も多かったので「甲斐の篠本」と呼ばれた。
 
出羽の僧・残夢に師事し、また鎌倉で医を営んでいた帰化明人・月湖といふ者の門人玉鼎
について業を修め一家を成した。大永亨録年間(一五二一-三二)に医をもって甲斐の武田の武田信虎に仕えたが、天文年間(一五三二―五五)中にさって信州におもむき、諏訪郡東堀村にいた。武田氏滅亡ののち再び甲斐に帰り、
草庵を構えて茅庵といひ、しょうよう自適した。
 
豪邁不羈(ごうまいふき)の性格で、多くの奇行が伝えられている。時には薬嚢を首に掛け・牛に跨って出でて貧民に施療し、時には自ら薬龍を背負い、「甲斐の徳本、一服十八文」と呼んでうり歩いた。当時の医風の営利に流れるのを風刺したものである。
 
(注・この豪邁不羈(ごうまいふき)という言葉は、明治以前にはよくつかわれていた豪傑、豪快などとおなじく、才能などが並はずれていて、枠からはみ出した、けた外れの人物で、束縛されないで行動が自由気ままであること。、不屈の敢闘精神、視野の広さなど大物という意味です。三菱の創始者・岩崎弥太郎にもその人格にこの形容詞が使われている。)
 
寛水年間、某官医の推薦により徳川秀忠の病を診し、衆翳の抗議を排して剤の虞方を敢行
し、教日ならずして治癒の効を奏した。秀息大いに喜び厚く賞賜しようとしたが、固辞して受けず、ひょう然と立ち去った。
 
徳本はまた本草学に精通し、元和の初め(一八一五年ごろ)八代郡岩崎村にゆき、同地の雨宮氏の葡萄栽培に改良を加え甲斐の園の葡萄(ぶどう)栽培の繁殖を考究し、優良種の接枝、養育の良法を発明し、これを土民に教授して多大の利益をあげたことも伝へられてゐる。寛永七年二月十四日、百十八歳の高齢を以て信州に没した。著者に「医弁救急十九方』 「梅花無尽蔵」 「知足斎徳本秘方」等がある。門人教十人、その術を伝へたものは馬場徳寛、今井徳山の二人のみである。
 
 
 
社名・製品名「トクホン」の名は室町後期から江戸初期にかけて活躍した「医聖」永田徳本に由来しています。当社では尊敬と感謝の念をこめて「徳本」先生と読んでいますが、実在の人物にもかかわらず多くのなぞを秘めています。まずはその出自ですが、永正9年又は10年(1512年・13年)に三州・高浜村(愛知県)又は甲州・谷村(山梨県)に生まれたとあります。ただ没年に関しては、寛永7年(1630)2月14日(118歳)で多くの資料に共通して記載されています(真偽不明)。徳本の名は「傷寒論医学」の世界においては広く知られており、現在でも専門教育機関での授業で名前が出るそうです。諸国を遍歴して生活していましたが甲斐に滞在していた期間が長かったため「甲斐の徳本」とも呼ばれています。徳本は医療技術を僧医「玉鼎」から学び医者として大成しました。この頃から様々な地域を周りながら活動していたと思われます。
そして、大永・享禄年間(1521年~32年)に甲斐の武田氏より招かれて武田信虎・信玄の主治医と       

て仕え、信虎追放後の天文年間(1532年~55年)には信州・諏訪東掘に居住していたと伝えられています。医療活動につきましては、後世の記録で様々なものがありますが、診療に行くときは首に薬袋をかけて牛の背中に横になり、金持ちよりも貧しい人々を対象に「甲斐の徳本、1服18文なり」と呼び鳴らして薬を売り歩いたといいます。そのほかにも2代将軍・徳川秀忠を診察したなど興味深い逸話が残っています。 
最後に「医聖」の意外な一面をご紹介いたします。それは「ぶどうの棚架け法」の考案です。現在の方法とは違うそうですが、竹を組み合わせて棚を作ったそうです。勝沼町の雨宮家で考案して指導したのが103歳の元和元年(1615年)頃と伝えられており、現在の勝沼町の様子と重ね合わせると徳本さんの偉業がより偲ばれます。       

 
 
 
 
107歳? 天海大僧正の長寿エピソ-ド
 天海僧正は天文五年(一五三六)に生まれた。月日不明。寛永二十年(一六四三)十月二日、死す。初名随風、南光坊と称す。慈眼は勅賜の誼号。俗姓は三浦氏。会津の人。天台の教義に詳しく、家康に信任された。黒衣の宰相といわれる。二代将軍・秀忠、三代軍・家光と歴任した。家光の前で柿を賜ったとき、天海が食べた柿のタネをフトコロにするのを見て、家光が、「どうするのだ」と問うと、「持ち帰って植えるのです」と答えた。
 
家光が、「年をとっているのに無益なことをする」というと、天海は、「一天四海を知ろしめなさるお方が、そんな性急なお考えを持ってはいけません」といった。何年かたって、天海は柿を器に盛って家光に献上した。「どこの産物か」と尋ねると、天海は「先年拝受した柿のたねが生長して実りました」といった。

 - 人物研究, 健康長寿, IT・マスコミ論

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『オンライン講座/太平洋戦争の研究』★「生きて虜囚になることなかれ」の戦陣訓こそ日本軍の本質』★『「戦陣訓」をたてに、脱走事件を起こした「カウラ事件」もあまり知られていない。』

    2015/06/01 &nbsp …

知的巨人たちの百歳学(113)「福沢諭吉(66)の寿量学」①人生の楽事は『一家健康】「一家団らん」』●「早老早衰は避け。活動の士となり、戸外で大いに遊べ」

        知的巨人たちの百歳学(113) 「日本開国の父・福沢諭吉(66) …

『百歳学入門』(222)佐藤一斎(86歳)の『少(しよう)にして学べば、則(すなわ)ち 壮にして為(な)すこと有り。 壮(そう)にして学べば、則ち老いて衰えず。 老(お)いて学べば、則ち死して朽ちず』

『百歳学入門』(222) 「学びつづけること」が心も身体も健康にする。  「学ぶ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(193)記事再録/<クイズ>-今から160年前の1860年(万延元年)2月、日米通商条約を米ホワイトハウスで批准するため咸臨丸とともに米軍艦の蒸気船『ボーハタン号』で太平洋を渡たり、全米の女性から最もモテたイケメン・ファースト・サムライはだれでしょうか?!

    全米女性からラブレターが殺到したファースト・サムライ …

no image
『オンライン百歳学入門講座/天才老人になる方法①』★『中曽根康弘元首相が100歳の誕生日を迎えた』★『昭和の電気王(パナソニック創業者)の松下幸之助(94)の成功法『病弱だったことが成功の最大の要因です』★『 ルノアールの愛弟子の洋画家・梅原龍三郎(97)の遺書』

 『百歳学入門』を300回以上、一挙公開します。 「百歳学入門」×前坂 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(97)『大東亜戦争とメディアー<新聞は戦争を美化せよ>内閣情報局による情報操作の実態』⑤

      終戦70年・日本敗戦史(97) 『大東亜戦争とメディアー<新聞は戦争 …

『Z世代のための歴代宰相の研究②』★『桂太郎首相の実像と虚像』★「ニコポン、幇間(ほうかん)」ではない、真の「人間学の 大家」「胆力のあった」桂太郎首相の実像』

ホーム >  人物研究 > 2013/ …

no image
日本リーダーパワー史(838)(人気記事再録)-『権力闘争対メディアの戦い』②★『日本政治史の分岐点・5・15事件 での犬養毅首相、ジャーナリスト・ 菊竹六鼓から学ぶ➀』

2010年10月17日の日本リーダーパワー史(94) 日本政治史の分岐点・5・1 …

no image
鎌倉カヤック釣りバカ日記(10/24日am10)-『イワシ雲のかなたに笠雲の富士山がうっすらと浮かぶ』★『忍者カワハギ君はどこに潜んでいる、御用じゃ?!』★『最後に、地球をズシン!とデブ君の大カワハギ(29センチ、肝パン)を御用、ゲットしたよ。忍術破りをこっそり教えるよ.ニン、忍!!。

鎌倉カヤック釣りバカ日記(10/24日午前8時)-材木座海岸スタート。 いつもの …

鎌倉カヤック釣りバカ10年動画日記⓵』★『川越名人はグレ、ソーダ、イナダの4点セット⑧』『鏡のような鎌倉海で魚と遊びダイエット③』★『鎌倉稲村ガ崎ー海上からを眺める稲村ケ崎、素晴しい断崖絶壁の小島』

鎌倉カヤック釣り日記ー 269 回視聴 2012/08/09 早春カヤックフィッ …