昭和戦前期に『言論の自由」「出版の自由」はあったのか→谷崎潤一郎の傑作「細雪」まで出版を差し止められた『出版暗黒時代』です①
2016/01/13
昭和戦前期に『言論の自由」「出版の自由」はあったのか→
答えは「NO!」ーー1943年(昭和18)、
谷崎潤一郎の名作「細雪」まで
「出版差し止めされた『出版暗黒時代」①
前坂 俊之(ジャーナリスト)
耽美(たんび)主義的といわれる作風で、『刺青』『痴人の愛』『卍』『鍵』『白昼夢』『春琴抄』『現代語訳 源氏物語』など多くの秀作を残した文豪・谷崎潤一郎の代表作は戦中から戦後にかけて書き続けられた長編『細雪』である。
この『細雪』は1943年(昭和18)1月から「中央公論」に掲載されたが、突如として内務省の「時局にそぐわない内容である」という理由で突然、掲載禁止となった。
『細雪』は一種の風俗小説といってよい。物語の背景は昭和11年の暮れから、16年春にかけて大阪船場の旧幕時代から栄えてきた商家、蒔岡(まきおか)家の美人4姉妹(長女・鶴子 次女・幸子 三女・雪子 四女・妙子)のおりなす華麗な物語である。
内容は長女の鶴子が迎えた婿の辰雄は、商売には不向きで銀行員で、次女の幸子は計理士の貞之助を婿にして阪急芦屋に分家を構えている。三女の雪子は美人なのになぜか縁遠い。そして四女の妙子は、同じ船場の旧家の倅と家出するなどの事件を起こし、そのたびに姉たちに迷惑をかける末娘である。
ストーリー展開は、次女の幸子夫婦が三女の雪子を芦屋の家に引き取り、なんとか縁談をまとめようと奔走、やがて華族の子息との縁談がまとまったところでこの家庭内小説は終わるが、戦時下のきびしい社会、生活状況はあまり描かれていない。
作品の背景となっているこの時代は、日中戦争[昭和12年]が起こり、日独伊軍事同盟[同15年]が結ばれ、太平洋戦争[16年12月]へと突入していく暗いファシズム時代だった。小説が発表された頃は国民こぞって「鬼畜米英を打倒」「贅沢は敵だ」などのスローガンが声高に叫ばれていた。
こうしたときに、小説の姉妹たちは高価な衣装を身にまとい、花見や蛍狩りなど四季折々の風情を楽しみ、観劇、音楽会に興じ、「魚は鯛、それも明石に限るわ」などとぜいたくな生活や老舗の高級割烹で食事を楽しむ。谷崎文学特有の家庭小説、耽美派の作品なのだがその点がひたすら「生産性のない女たち」による「読むものを堕落させかねない奢侈な生活」として検閲当局の怒りを買ったのである。
掲載禁止となったものの、谷崎はその後も同作品を書き続け、昭和19年には完成した上巻を限定200部で自費出版する。しかしこれは警察からの干渉を受け、続巻の発行に厳しい警告を受けた。それでも谷崎は負けずに密かに書き続け、同年暮には中巻を書き終えた。
戦後の昭和21年8月8月「細雪」には上巻を、翌22年3月には中巻をともに中央公論社から刊行した。雑誌「婦人公論」に書き続けた下巻は同年5月に脱稿し、同12月には同じく中央公論社より刊行、終戦をはさむ前後7年にわたって長編「細雪」がようやく完成したのである。この年、『細雪』は谷崎文学の最高傑作として毎日出版文化賞、毎日芸術賞、朝日文化賞など賞を総なめした。
軍が幅をきかせ、戦争へと突入する時期に、谷崎はなぜ「細雪」を書こうとしたのだろうか。そこには昭和10年から13年にかけて書かれた「現代語訳 源氏物語」の存在があると指摘するのは、作家の円地文子である。円地は市川崑編著、谷崎松子監修「細雪のきもの」(旺文社、1983年)のなかで次のように指摘している。
「王朝の女の影が、とくに三女の雪子の上に色濃く映し出されている。うわべはとても柔らかくてどうにでもなるような女に見えながらも、芯には非常に強いものがある雪子の性格は、日本に古くからある女の型の一つであろう。そういう雪子の外柔内剛の性格は『源氏物語』の女性の多くに共通する特色であろう」。「周知のように、『細雪』の素材はほぼ松子夫人(谷崎の妻)の生家の姉妹にとられていると見てよい。谷崎先生はそれを、際立った私小説にしなかった。まったく趣の異なる錦絵風の絵巻に作り上げたのである」。
つまり、「細雪」は現代版「源氏物語」といってよいものであった。
暗い戦争の時代に、時代に背を向け、その反逆的な姿勢を貫いて書かれた『細雪』の世界に、庶民は酔った。作家・宮尾登美子は命からがら満州から引き揚げ、結核で寝込んだときに「細雪」と出会った。「終戦直後のあの時代に、どれだけ人の心に明るい灯を点したか、はかり知れませんでしょう。おいしいご馳走をたくさんいただいたような、自分がボロを着ていても、ほんとうにいい着物を着ているような、これほどの贅美というものがあるのかと、何度も何度も読みまくったのね」と、前述の「細雪のきもの」で語っている。戦時中にもし「細雪」が人々に読まれたら、全国をえん戦気分が覆ったことに違いない。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(227)<日本最強の山本権兵衛―全身これ肝。炯眼人を知りて、克く任じ、豪胆事に当りて、善く善ず』
日本リーダーパワー史(227) <坂の上の雲の真実― …
-
-
日本リーダーパワー欠落史(747)対ロシア外交は完敗の歴史、その歴史復習問題) 欧米が心配する『安倍ロシア朝貢外交の行方は!?』★『歯舞、色丹返還は「笑止千万だ」…民進・野田氏』◎『ロシア上院議長、北方四島「主権渡さず」』◎『北方領土「主権渡せぬ」 プーチン露大統領側近が強調、安倍晋三首相とも会談』●『 対ロ協力、30事業で合意』●『コラム:プーチン大統領「パイプライン政治」は時代遅れ』◎『英情報機関トップが語る「ロシアの脅威」、多様な工作に警戒』◎『 安倍政権に激震 日ロ首脳会談は北方領土“ゼロ回答”確実に』
日本リーダーパワー欠落史(747) 対ロシア外交は完敗の歴史、その歴史復習 …
-
-
『鎌倉カヤック釣りバカ日記・動画回想録ー2015年元旦、めでたくもあり、めでたくもなし>★『古希超・独歩独語』「一日一生」「一瞬永遠」「生き急ぎ、死に急げ」★『正月おせち料理』★『KAMAKURA和賀江島ー透明のブルーシーをカヤックから海底散歩、富士山すげーよ』
2015/01/06 ★<201 …
-
-
「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑧」★「日本史最大の国難・太平洋戦争敗戦からGHQ「日本占領」と「単独講和」を乗り越えて戦後日本の基礎を築いた吉田茂首相の<国難逆転突破力>③』★『ダレス米国務長官の強硬な再軍備要求を断固拒否した吉田茂のリーダーシップ・外交術を学べ(田中角栄の証言)』
2016/02/1/日本リーダーパワー史(662)記事 …
-
-
★⑩日本リーダーパワー史(713)ー伊勢志摩サミットの陰の主人公・初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉に学ぼう①ーエジソンは「『人工真珠』だけは 発明できなかった」と御木本を絶賛した>
日本リーダーパワー史(713) <記事再録>世界が尊敬した日本人(6) 初 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(120)/記事再録☆『今年は中国建国70周年だが、中国革命の父は毛沢東ではなく、孫文である」☆『その孫文を全面支援した宮崎滔天を中国に派遣して日本に亡命させて来いと指示したのが犬養毅(木堂)です』★『中国革命のルーツは・・犬養木堂が仕掛けた宮崎滔天、孫文の出会い』
日本リーダーパワー史(116) 中国革命のルーツは・・犬養木堂が仕掛けた宮崎滔天 …
-
-
『オンライン世界が尊敬した日本人講座』<1億人のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺 >★『「私は求道者。寺などいらぬ。最後はとぼとぼ歩いて、道端で石にけつまずいてどこかの道で行き倒れて死ぬか、草の中で死ねれば本望です」という。』
2013/09/24 の記事再録 <歴史読本(2009年 …
-
-
昭和外交史①大日本帝国最期の日①(03,10)
1 昭和外交史① 日本で最も長い日 1945年8月15日の攻防 ―――<和平か、 …
