日本リーダーパワー史(669) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(51)「インテリジェンスの父・川上操六参謀総長(50)の急死とインテリジェンス網の崩壊<<もし川上が生きておれば、日露戦争はこれほど惨々たる苦戦もなく、 死者累々の兵力を疲弊させず、 さら戦果を拳げていただろう>
日本リーダーパワー史(669)
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(51)
●「インテリジェンスの父・川上操六参謀総長(50)
の急死とインテリジェンス網の崩壊ー
<もし川上が生きておれば、
日露戦争はこれほど惨々たる苦戦をすることなく、
死者累々のわが兵力を疲弊させることなく、
さらに戦果を拳げていただろう』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
明治27年8月の日清戦争勃発から10年後の昭和37年2月が日露戦争開戦である。この間、10年と計算して川上は「日露戦争の勝利の方程式」を解いて、着々と『スパイ大作戦』を展開していたことはこれまでの連載で書いてきた。
ところが、ちょうど道半ばの1899年(明治32)5月11日に川上は50歳の若さで急死した。
安井 滄溟『陸海軍人物史論』(博文館、大正5年)により、その川上の軌跡をもう一度ふりかえる。
この連載で、何度も指摘しているが、参謀本部が完備する組織にスタートしたのは、明治22年3月、川上操六が少将で参謀本部次長になって以後のことである。
これ以後の参謀本部は、その中心人物の変動は大体、七期に分けられる。川上操六、田村 怡与造、児玉源太郎、松石安治、無中心人物時代、明石元二郎、田中義一の時代へと続く。
明治22年3月、川上操六が参謀本部次長に入り、その実権を握ると、少壮有為の将校を藩閥、派閥をこえて集めて、使いこなし、これに民間の志士たち(玄洋社のメンバーや民権論者ら)を集めて支那の奥地にまで派遣して、踏査、諜報させて、来るべき戦争に備えた。
日清戦争一年前の明治26年3月から6月にかけて、川上自ら、朝鮮から南満州の要地をへて山海関を通り天津、北京に入り、上海を3ヵ月かかけて回った。川上は鴫緑江を小舟でわたり綿密に偵察して、大孤山に上陸して、陸路、奉天にはいり営口にでて、北支那にはいった。川上の視察結果は日清戦争の作戦計画となって現れた。
日清戦争では日本軍は先づ朝鮮より遼東半島に入り、次いで大連、旅順を席巻して北進営口に進み.征清大総督府を旅順に進め山海関より上陸して直隷平野で主力の大決戦を計画していた。
幸か不幸か、この作戦計画はその最大の直隷平野での大決戦の前に、李鴻章が来日して講和条約となった。しかし、この完全勝利で川上が傑出した用兵家あることが内外に示され、川上将軍は『日本のモルトケ』とヨーロッパ各国の軍人も驚嘆した。
日清戦争は川上にとっては一大試金石であったが、川上はそれを完璧に成功させたので、それまで参謀本部内で川上派閥の成長を横目にみていた反川上派をすべて吹き飛ばしてしまった。彼らも参謀本部を担ってたつことができるのは川上以外にはいないと認めざるをえなかった。
このため、日清戦争後は川上は参謀本部内で絶対的な権力を掌握したばかりか、その智謀と名声はいよいよ上がった。自信を持った川上は日露戦争の戦略を果敢に実行していった。
陸軍はもちろん内閣も元老も1目2目も置く
川上は「インテリリジェンス網」(スパイ網)を各国に、特に東アジアに張り巡らせ、正確な情報を配置した情報将校によってスピーディーに豊富に入手した。このため時の外務大臣以上の情報通となっていた。川上の情報はは陸軍部内のみならず、当時の内閣、元老たちも1目も2目もおいて、傾聴した。
川上は日清戦争後の『臥薪嘗胆』以来、直ちに対露戦争の準備に着手し、鋭意ロシアの研究に努め、全身全霊で打ち込んだ。彼の晩年の参謀本部にはロシア通の精鋭はもちろん、陸軍内の才能を全部あつめていた。
伊地知幸介(旅順要塞攻撃の第3軍の参謀長)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E5%B9%B8%E4%BB%8B
萩野末吉(ウラジオストック駐在武官としてシベリアから蒙古まで偵察。ロシア大使館付、歩兵第29旅団長)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E9%87%8E%E6%9C%AB%E5%90%89
らがロシア駐在を命ぜられたのもこの時である。
中野二郎(大陸浪人)
の経営するロシア語、中国語学校に補助をあたえて、その出身者をして写真隊を編制して北満州、沿海州よりシベリアの奥深くまで潜入させた。
自らも青木宣純、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%AE%A3%E7%B4%94
古海厳潮(1865−1938 明治-大正時代の軍人。慶応元年9月11日生まれ。日清・日露戦争に従軍し,のち第五師団,第十八師団の参謀長,第十七師団長などをつとめた)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B5%B7%E5%8E%B3%E6%BD%AE
久松定謨(歩兵少佐・ フランス公使館附武官. 明治39年, 参謀本部付、中将、伯爵.)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E6%9D%BE%E5%AE%9A%E8%AC%A8
らを随へてウラジオよりハバロフスクを経てブラゴエチェンスク付近まで視察したのもこの時である。
ところが、川上の対露戦準備は未だ途中の段階で、燃え尽きた。川上の偉業がどんなに大きなものであり、彼の死はわが国にとってまさに千載の恨事なりということはほとんど知られていない。
『もし川上が生きておれば、日露戦争はこれほど惨々たる苦戦をすることなく、
死者累々のわが兵力を疲弊させることなく、さらに戦果を拳げていただろう』ー
と安井 滄溟『陸海軍人物史論』(博文館、大正5年)ははっきり書いている。
その死後「インテリジェンス不全」に
安井 滄溟は言う。
『惜しいかな、川上の後を継いだものに、彼のような組織的頭脳と系統的計画があれば、川上が張り巡らせた情報機関はそのまま存在しながら、ことごとく断片的となった。これを連絡、貫通する生命を欠いてしまった』ので、このインテリジェンス網は機能しなくなったのである。
そのために、日露戦争での旅順の苦戦、膨大なわが軍の犠牲者の数、シベリア鉄道の輸送力の説算など、ことごとく川上の死とそれの引き継ぎがうまくいかなかった結果である。わが国が川上の死によって蒙った有形、無形の損害はほとんど測り知れないものがあった、という。
川上の志はもともと支那の経略にあり、対ロ準備に鋭意努力したのも実はロシアを押えて日支関係(日中関係)を盤石にするためであった。
このために支那に対する情報収集を1日も怠らず、日清戦争が終わった翌年には早くも伊地知幸介、村田惇(1858-1917明治-大正時代の軍人。フランス,イタリアに留学。明治32年ロシア駐在武官,陸軍内でのロシア通としてしられていた37年大本営幕僚付,42年築城本部長。陸軍中将。)らを従へて安南方面(べとナム)を視察した。
これはを明治三十年における東部シベリア旅行と相対照的であり、川上の対支那計画の規模がいかに雄大で。用意周到だったかを表している。
<参考文献 安井 滄溟『陸海軍人物史論』(博文館、大正5年)、日本図書センター復刻>
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