前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

★『鶴岡八幡宮の秋の例大祭は10月6日(日)に開催。恒例の「流鏑馬神事」が午後1時から挙行される。』★『鎌倉流鏑馬の動画ハイライト集の一挙公開、アメイジング!?

   

鶴岡八幡宮の秋の例大祭は10月6日(日)に開催されるが、恒例の「流鏑馬神事」が午後1時から挙行される。

これまでの勇壮華麗な「流鏑馬神事」の迫力ある砂煙を上げて疾走する名場面動画を紹介する

流鏑馬(鏑流馬、やぶさめ)とは、

 

疾走する馬上から的に鏑矢(鏑矢)を射る、中世日本での伝統的な戦法、騎馬の武士が戦場で敵を打つ技術です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%8F%91%E9%A6%AC

当初は「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれ、時代が下るにつれて「やぶさめ」と呼ばれるようになったといわれる。

「流鏑馬」は起源が古く、六世紀の半ば神事として始まり、平安時代では、馬上における実戦的な弓術として、宮廷の公事として年々催されておりました。

鎌倉時代の歴史書「吾妻鑑」によると、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、全国の統一を果たしたので、天下泰平を祈願するため文治3年(1187年)8月15日、鎌倉八幡宮の宝前で「流鏑馬」を催し、以来源家三代を経て文永3年(1267年)まで、毎年の如く行われた。

鎌倉時代には武士のたしなみ、武道のけいことして幕府の行事に組み込まれたことも含めて盛んに稽古・実演された。北条時宗の執権までに鶴岡八幡宮には47回奉納された。

 

流鏑馬の行事スケジュールは、次の通りである。

 まず【天長地久の式】(てんちょうちきゆうのしき)から始まる。奉行は、諸役の前中央に進み、乗馬して左へ3回、右へ2回馬を回して中央の位置で馬を止め、鏑矢を弓につがえて、天と地に対して満月の弓を引き「天下泰平、五穀豊穣、国民安堵」を祈る。奉行、射手、所役は行列を組み馬場に進む。

 

 

 

卯木は予行演習の【素駆】(すばせ)を行う。馬場に入り奉行は記録所に上がり、諸は各部署につく。射手は、馬場上の馬溜りに集合する。扇方は馬場内の安全確認し、準備完了を扇を振って合図する。奉行は、「破之太鼓」を打ち、スタートを知らせて射手は、馬場に全速で馬を走らせる。

 

<馬場>

馬を疾走させる直線区間260mの流鏑馬道を疾走しながら、3っの的を射る勇壮かつ古風な、武田流流鏑馬 馬場に進行方向左手に間を置いて3つの的「式之的(しきのまと)」が立てられ、馬場から的までの距離は5m前後、的の高さは約2m前後、それぞれの距離に、射手(いて)は仮装束を纏い、は馬を全速力で走らせながら腰の鏑矢を引き抜いて重藤(しげとう)の弓につがえ、一の的から次々に射て馬場を駆けぬける。これを決められた回数繰り返す。

 的は一尺(30センチ)八寸四方で、槍板の上に白紙を張って青、黄、赤、白、紫の5色であらわし、的の後ろに四季の花を添える。

鶴岡八幡宮では馬が駆け抜けるための馬場の整備が行われますが、この馬場の幅は5,6メートルと狭い。馬場の周囲に見物客が溢れるため、狭い馬場で手綱さばきを行いながら3つの的に命中させるという事は、射手にとっても非常に難しいものという。

 

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㊳興亜説について(榎本武揚の興亜会の設立)明治23)年8月

     『中国紙『申報』からみた『日中韓150年 …

no image
世界一の熱血授業を読む(5)まとめ講義『中国近代史入門』辛亥革命百年の真実★―日本人の熱血支援による革命

世界一の熱血授業を読みにいこう(5)   ☆★まとめ講義『中国近代史入 …

no image
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑫「森正蔵日記と毎日の竹ヤリ事件⑤まきぞえをくった二百五十名は硫黄島 で全員玉砕した

   長期連載中『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑫ &nbsp …

no image
百歳学入門(69)「真珠王・御木本幸吉(96歳)の長寿、人生訓」エジソンは人工真珠の発明を世界一と高く評価した。

 百歳学入門(69) 「真珠王・御木本幸吉(96歳)の長寿、人生訓」 御木本幸吉 …

no image
世界が尊敬した日本人①米国女性が愛したファースト・サムライ・立石斧次郎

  2004、11,1 前坂俊之 1860年(万延元年)6月16日。ニ …

no image
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙は「日韓併合への道』をどう報道したか⑦「仏ル・タン」<明治40年7月21日付> 論評「韓国皇帝の退位」

「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙が報道した「日韓併合への道』 …

熊本地震1ヵ月の現状②-加藤清正ゆかりの本妙寺は清正像、灯篭、石塔の多くに大被害、健軍商店街ピアクレス、倒壊した阿蘇神社の国重文の楼門、南阿蘇村(立野地区)、『武蔵塚公園』の宮本武蔵像

  熊本地震1ヵ月②ー 加藤清正ゆかりの本妙寺は清正像、 石像灯篭、石 …

no image
福沢諭吉の「韓国独立支援」はなぜ逆恨みされたのか⑦ー「井上角五郎伝」による甲申事変の真相、脱亜論への転換これで起きた

  「日本開国の父」『アジア開国の父』の福沢諭吉 の義侠心からの「韓国 …

no image
『Z世代のための日中韓外交史講座』㉓」★『第一次トランプ暴風で世界は大混乱、日本も外交力が試される時代を迎えた。日清戦争の旗をふった福沢諭吉の「外交論」を紹介する」』★『外交の虚実』『時事新報』1895年(明治28)5月8日付』★『虚々実々の手段をめぐらし、百難を排して、国の光栄・利益を全うするは外交官の仕事。充分に任務を果たせるのは実に朝野一般の決心如何にある』

    2017/02/23 /日本リーダーパワー …

『オンライン講座/野口恒の先駆的なインターネット江戸学講義⑯』★『諸国を遍歴、大仕事をした“歩くノマド”たち(下)』ー90歳まで描き続けた葛飾北斎』★『全国を歩いて学問を修め、数々の発明を成した破天荒の「平賀源内」』★『紀州藩御庭番として各地を遍歴、膨大な著作を残した「畔田翠山」』

    2012/05/30  /日本再 …