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★新連載<片野 勧の戦後史レポート>②「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)②『婦人参政権の獲得 ■『金のかからない理想選挙』『吉沢久子27歳の空襲日記』『戦争ほど人を不幸にするものはない』 (市川房枝、吉沢久子、秋枝蕭子の証言)

   

「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)②

片野 勧(フリージャーナリスト)

『婦人参政権の獲得 ■『金のかからない理想選挙』

■『吉沢久子27歳の空襲日記』

■『戦争ほど人を不幸にするものはない』

(市川房枝,吉沢久子、秋枝蕭子の証言)

 

■金のかからない理想選挙

再び、市川房枝さんの話に戻る――。

戦後は終始一貫、金のかからない理想選挙(市川方式)を訴えた。「ストップ・ザ・汚職議員!」――。市民と一緒に汚職をした議員を当選させない新しい政治運動を起こした。汚職議員の落選運動である。

1979年、航空機導入をめぐる贈収賄事件が起こった。ロッキード事件とダグラス・グラマン事件である。市川さんは両社から巨額の政治資金を受け取った政治家の選挙区に乗り込み、投票しないよう有権者に訴えた。名指しされたのは田中角栄元首相や松野頼三・元防衛庁長官ら大物議員たちだ。

贈収賄事件で辞職しても、再選されてくるような選挙では、日本は滅びる――。市川さんは汚職議員を落選させる市民運動の先頭に立った。

■出たい人より出したい人を!

立候補を望む人たちが持ち寄るお金で選挙運動をする。候補者は政見放送と演説会で「政治と台所」をわかりやすく語る……。普通の人たちが小遣い銭と手弁当で集まって、「出たい人より出したい人」を選ぶ。

市民感覚からいえば、当たり前のことだが、当たり前のことが通用しないのが政治の世界なのか。それでも市川さんは理想を曲げない。筋を通したのである。その背景には何があったのか。その1つに戦後公職追放となったどん底の3年7カ月があると言われている。  市川さんはこう述べている。

「昭和22年4月、初の参議院議員選挙が行われるに際し、先輩同志からのすすめで、参議院なら立候補してよいと考え、そのために必要な資格審査を申請した。ところがなかなか許可が来ず、3月24日、戦時中『言論報国会の任にあった』理由により覚え書き該当者に指定――すなわちいっさいの公職から追放されることとなり、新日本婦人同盟会長の職も辞任した」(前掲書『野中の一本杉』)

公職追放の理由――

それは言論統制を担う大日本言論報国会に唯一の女性理事として名を連ね、5・15事件以降、軍国主義に転向。人格的にも劣等で名誉棄損で訴えられている等々……。しかし、これらは事実に反していた。  婦人参政権が認められた、その時期に活動停止を余儀なくされたことは市川さんにとっては死活問題。死をさえ考えたこともあったという。

■女性にも参政権「本当に嬉しかったですね」

「女性にも選挙権が与えられたときは、本当に嬉しかったですね」  ――終戦の年の1945年12月に選挙法が改正され、女性にも参政権が認められました。翌46年4月10日の戦後初の総選挙で1票を投じた時の気持ちを教えてください。私の問いかけにエッセイストの吉沢久子さん(98)は電話でこう伝えてきた。

「女性も男性と同様に一人前の人間として認められたのですから、それは嬉しかったですよ」  自宅は東京・阿佐ヶ谷。投票所は歩いて3、4分のところ。投票所へは普段着のままで行ったという。  ――今年の参院選から選挙権が18歳に引き下げられましたが、最近の若い女性に望むことは?

「単なる18歳選挙権ではなく、女性として自立した生き方をしていかなければなりません。また、これからの日本を担っていくわけですから、政治に強い関心を持ってほしいですね」  もし、戦争になったら、婦人の権利も、子供の幸福も、全部すっとんでしまいます、と言いながら、戦時中の空襲の恐怖と食糧難の暮らしについて話し始めた。

■『吉沢久子 27歳の空襲日記』

吉沢さんは戦時中、文芸評論家の古谷綱武氏(後の夫)の秘書をされていた。1944年10月、古谷氏が召集された後、教科書会社に勤めながら、その留守宅を預かっておられた。

古谷氏が東京を去る際、「できるだけくわしい記録を残しておくように」と頼まれ、吉沢さんは昭和19年11月1日から昭和20年9月まで日記をまめにつけた。それが『吉沢久子 27歳の空襲日記』(文春文庫)である。  空襲の恐怖と食糧難に苦しみながら、淡々と日々の暮らしを綴った日記は胸を打つ。例えば、3月10日の東京大空襲。 【3月10日 土曜日 晴れて、やはり風がつよい】

「市ヶ谷、飯田橋間の昨夜の焼けたあとを見た。九段のほうはまだ煙っていた。神田駅のホームから見渡すと、上野まで何もなくなってしまったように見える」  空襲以上に深刻な食糧難については毎日のように綴られている。

【1月22日 月曜日】  「闇でものを買うのは非国民だといわれるけれど、闇は確実に広がる一方だ。この頃、会社にときどき来るおじさんがいる。染物屋だったが仕事がなくなったので、友だちがはじめた闇屋の手伝いをしているとか。ひそかに手に入るというもののリストを持ってきた。私もいそいで写しをとっておいた。

アイデアルウイスキー百五十円 お餅(一升分1枚)二十円 白米(一升)二十円 牛肉(百匁 三七五グラム)十八円 白すぼし(百匁)十円 砂糖(一貫目 三・七五グラム)五百円 水あめ(〃)百七十円 卵(一ケ)二円 一級酒(一升)百二十円 浅草のり(一帖)三円五十銭」  戦争が激しさを増すと、配給ルートから外れて生活品を商う闇屋が横行し、公定価格よりも割高で人々は購入した。

山中恒『暮らしの中の太平洋戦争』(岩波書店)によると、モノによっては闇価格は公定価格の10倍超にもなったという。

吉沢さんは「ウイスキー1本が月給より高い。なかには、わずかな大根が1人3日分の野菜だった」と日記につけている。吉沢さんはこんなことも言っている。「8月7日に月遅れの七夕を友人宅で祝った時も、広告紙を使った短冊には『エビフライを食べたい』とか『あんパンがほしい』とか。食べ物のお願いだらけでした」(『読売新聞』2015年8月3日付)と。  配給も乏しく、闇屋の食料も高いということで、吉沢さんは草でもなんでも食べたという。

■戦争ほど人を不幸にするものはない

吉沢さんの書くテーマは、最近は老人の生き方を描くのが多いが、一貫して「台所の戦後史」。庶民の台所から、ずっと戦後を見続けてきた日本の姿を描くこと。吉沢さんの証言。

「今の若い人たちに望みたいのは、絶対に戦争を起こさないようにということ。戦争くらい人を不幸にするものはありません。食べ物が普通にあって、普通の暮らしができるのが、人間の一番の幸せなんですから」(前掲『読売新聞』)

■若い人が本気になれば未来は開ける

「私はネ、若い人たちに期待したのに、ガッカリですよ。憲法改正の発議に必要な3分の2議席を安倍政権に与えて、何しているんだと思いました。歴史を変えるいいチャンスだったのに……」

時代の波に翻弄されながらも、自らの信念を貫き通し、女性の地位向上に大きく貢献してきた婦人に電話でインタビューしたときの証言である。

その人は福岡市博多区在住(老人ホーム・アビタシオン博多)の秋枝(あきえ)蕭子(しょうこ)さん(96)。2016年7月24日午後2時――。

秋枝さんは東京女子大学を卒業後、教育関係の出版社と母校の東京女子大学に勤務。その後、旧制東北大学に進学し、大学院修了。1954~85年、福岡女子大学で教鞭を執る。秋枝さんは、さらに続ける。

「今年の春、安保法制に反対する学生たちの団体(シールズ)が国会前で抗議行動を起こしたでしょ! 若い人たちが本気になったら、未来は開けると思ったのに。もちろん、野党もだらしないけどね」

70年ぶりに選挙権年齢が引き下げられ、新たに240万人の18、19歳の人たちが

有権者になった今年の参院選。

「若い人たちにとって就職や労働条件など課題も多い。だから、少しは目覚めてきているだろうと期待していたのよ。だけど、はずれた」と、やるせなさを隠さない。

女性労働者の約6割は非正規雇用。望んでも正社員になれない。経済的余裕がないために結婚もできない。保育所不足で待機児童は深刻、子育ても難しい。就職難の声も聞かれる。課題山積なのに、なぜ、若い人たちは立ち上がらなかったのか。秋枝さんは怒りを募らせる。「しかし……」と、言葉を継ぐ。

「それでも、私は若い人を信じています。希望を捨ててはいません。過去にもそういうことがありましたから。昭和のはじめ、軍事一色で愛国だ、報国だと勇ましく叫ばれた時代です。国家主義的な人たちから迫害された人々に同情し、温かい手を差し伸べた心ある若者たちもいました。冬の時代ながら、それは未来への一筋の光だったのです」

■女が高等教育を受けると生意気になる?

東京女子大学時代の、ある国際会議で秋枝さんは日本側代表に選ばれ、「女子の高等教育は必要か否か」というテーマで話した。昭和14年(1939)4月のことだった。秋枝さんは「必要」と言ったら、男子学生は口をそろえて、「必要ない」と反論する。

また「女が高等教育なんか受けると生意気になってダメだ」「嫁入り先の家風に合わない。女子は白紙状態がいい」と言いたい放題。ある男子学生は帰り際、孤軍奮闘していた秋枝さんに「女のくせにすごいな。君のような女は絶対、嫁にしない」と捨て台詞を吐いて去っていったという(神屋由紀子『明日は明日の陽が昇る――秋枝蕭子聞き書き』不知火書房)。

1944年11月、米軍のB29による空襲が激しくなると。両親は岐阜の郡上八幡に疎開し、秋枝さんは杉並の東京女子大近くに下宿。1日に4、5回も爆弾が落ちたという。45年3月10日の東京大空襲の時は下町の方は火炎に映えて空は真っ赤。杉並の空まで赤く、下宿の前の用水池はまるで血の池のようだったという。

■勤労動員や援農に駆り出されて

東北帝国大学法文学部に入ったのは戦争末期の1945年4月。西洋史専攻では初めての女子学生。しかし、ろくに授業はない。勤労動員で軍需工場へ行かされたり、援農に駆り出されたり……。8・15終戦。玉音放送は東京駅の切符売り場で聞いた。  その2日後、両親のいる岐阜へ向かう。しかし、都市という都市はすべて焼き尽くされ、車窓から見える景色は焦土が果てしなく続いていた。

「今まで日本が戦ってきたのは何のためだったのか。終戦の日よりも、この時の方が虚脱感に襲われ、何とも無謀で無残な戦争だったと思い知らされました」  岐阜に入り、長良川の青い流れを目にしたときは、思わず中国の詩人、杜甫の漢詩「春望」の1節「国破れて山河在り」が不意に口をついて出たという。(前掲書『明日は明日の陽が昇る』)

終戦から10日後の8月25日。

戦前から女性解放運動を主導してきた市川房枝さんが、「戦前から女性の地位向上の活動をしていた人々が立場を超えて連帯責任を取るべきだ」と呼びかけて「戦後対策婦人委員会」を設立。売春防止法制定に尽力した久布白(くぶしろ)落(おち)実(み)さん、労働運動に身を投じた赤松常子さんらが参加し、政府やGHQに婦人参政権を認めるよう働きかけたのである。それから間もなく、婦人参政権が成立した。

■1人前の人間としての証

「女性に参政権が認められた戦後初の衆院選の時は、東北帝大の学生でしたが、勇んで投票に行きました。参政権は義務でなく、権利だと思って、それ以来、一度も棄権したことはありません」

――18歳が得た「新たな1票」の持つ意味とは?

「女性が1人前の人間として認められた象徴の1つが選挙権だと思います。しかし、選挙権が与えられても、自分の意見を持つことはなかなか難しいものがあります。ですから、法律だけでなく、女性1人ひとりが意識を変える必要があります。まず大事なのは責任と自覚でしょ

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