日本リーダーパワー史(633)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(26) 『川上操六参謀次長の田村怡与造の抜擢①<田村と森鴎外にクラウゼヴィッツ兵書の研究を命じた。これが日露戦争の勝利の秘訣となった>
2015/12/31
日本リーダーパワー史(633)
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(26)
『川上操六参謀次長の田村怡与造の抜擢①
<田村と森鴎外にクラウゼヴィッツ兵書の研究を命じたー
これが日露戦争の勝利の秘訣となった>
前坂俊之(ジャーナリスト)
今回は川上の派閥、門閥に一切関係なく広く各分野から人材抜擢,登用をした中でも、自らの後継者にいち早く任じた田村怡与造についてふれる。
川上が参謀次長になるや、陸軍の俊才・精鋭はほとんど奉げて参謀本部に網羅し、参謀本部は多士済々、人才は雲のごとくの観があった。そして、周密な情報網をアジア各地に構築していった。当時、参謀本部の第一局長には、陸軍大佐寺内正毅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%86%85%E6%AD%A3%E6%AF%85
あり、その下に田村怡与造(たむらいよぞう)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E6%80%A1%E4%B8%8E%E9%80%A0
東條英数(とうじょうひでのり)
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3252.html
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2445.html がおり、
山根武亮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A0%B9%E6%AD%A6%E4%BA%AE
のような諸佐官があった。
第二局長には陸軍大佐高橋維則あり、
www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90001558.pdf
1873年に兵学寮の高橋維則が『佛國陣中軌典』を訳出. したが,その後1875年になって,フランスで新式の歩兵陣中要務が刊行された.陸軍省の官房御用であった酒.井忠恕はたまたまその本を読んで,これが陸軍にとって. 緊要で,かつ不可欠な教典である ・・・
- その下に陸軍少佐伊地知幸介、
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E5%B9%B8%E4%BB%8B
- 柴五郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E
宇都宮太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E
らの諸尉官があった。
これらの俊秀、人才を総括し統御するには川上のような名将軍を以てする以外になかったであろうと書かれている。当時の参謀本部が隠然として一長城をなしていたのは決して偶然ではなかった。(徳富蘇峰『陸軍大将川上操六伝』)
- 川上が1年半にわたってドイツ・モルトケに弟子入りして、ドイツ参謀本部を徹底して学んだことは既述した。
モルトケ戦略を研究していて、その奥にクラウゼヴィッツの『戦争論』があることがわかってきた。当時著名な『戦略論』を書いたブルーメ将軍、『統帥論』の著者でトルコ軍の参謀をつとめたゴルツ、応用戦術の父といわれたヴェルノア、メッケルといった人たちはモルトケの直弟子であり、いずれもクラウゼヴィッツ理論の信奉者であった。クラウゼヴィッツ理論を解明する必要が出てきた。
- しかし、同理論はドイツ人にもよくわからない難解な書との定評があった。当時ベルリンには日本陸軍えりぬきの秀才が集まっていたが、そこまでドイツ語読解能力のあるものはいなかった。川上が困っていると、「去年から留学している森という若い軍医がすばらしくドイツ語ができるそうです。相談してはいかがですか」と薦める人がいた。
日露戦争の勝利に大きな役割を果たした 『戦争論』
1887年(明治20)4月18日、川上は森林太郎(りんたろう)(25歳 のちの鴎外(おうがい)に面会し、クラウゼヴィッツの『戦争論』の翻訳と、その内容について田村怡与造大尉(32歳)に講義をするように依頼した。森の『独逸(ドイツ)日記』をみると、「乃木(希典)と川上(操六)両少将をその客館に訪う。乃木は長身巨頭、厳格の人なり。川上は形体枯痩(こそう)よく談ず。余等とかたること2時間余」と、川上との初対面の印象を記している。
- 明治21年1月18日の 『独逸日記』 には、「夜早川きたる。クラウゼヴィッツの兵書を講ず。クラウゼヴィッツは兵事哲学者ともいうべき人なり。その書、文旨(ぶんし)深遠、ドイツ留学の日本将校等よくこれを解することなし。これより早川のため講演をひらくこと毎週2回」とある。この「早川」こそ、田村怡与造である。
森は帰国しても翻訳を継続し、明治32年までに第2巻を刊行した。第3巻は鴎外訳と陸軍士官学校訳とを合刊して明治36年10月に完成するが、その3カ月後に日露戦争が起こったというわけだ。
この「文旨深遠」の書の翻訳がどんなに大きな意味を持っていたか。世界の軍事評論家は、「クラウゼヴィッツを日本の参謀本部が理解して、日露戦争で応用したことが、勝因につながった。一方、ロシア側はクラウゼヴィッツから学んでいなかった」と評した。
つづく
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