日本リーダーパワー史(254) 川上操六(33)『眼中に派閥なく、有為な人材を抜擢し、縦横無尽に活躍させた」
2015/02/18
日本リーダーパワー史(254)
空前絶後の参謀総長・川上操六(33)
◎「日清戦争は川上が起し、日露戦争勝利の情報網は
川上が敷いた→そのリーダーシップは『眼中に派閥
なく、有為な人材を抜擢し、縦横無尽に活躍させた」
川上が敷いた→そのリーダーシップは『眼中に派閥
なく、有為な人材を抜擢し、縦横無尽に活躍させた」
前坂俊之(ジャーナリスト)
以下は安井 滄溟『陸海軍人物史論』(博文館、大正5年)より
明治年間で陸軍を牛耳っていたのは山県有朋を頂点とする長州(山口県)閥であった。しかし、この間に長州閥が非長州閥に対して一度だけ受身に立ったのは、川上操六が参謀本部にドンと座っていた晩年の数年間のみである。
<空前絶後の名将・川上操六(22)その急死とインテリジェンス網>
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/612
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陸軍における藩閥の弊害は大きくなった際、これを打破しようと最も猛烈に運動し、その急先鋒に立つたのは三浦梧楼であった。三浦は明治20年ごろ、曾我裕準らと月曜会なるものを興して、若手の青年将校で弁論、知力のあるものを集めて盛んに閥族打破的の陸軍改革論を唱へ、縦横無尽に陸軍部内を撹乱した。
この連動は長閥の本尊である山県の激怒するところとなり、月曜会はついに解散を命じられた。三浦、曾我等の頭目は陸軍を逐われ、その下で中心メンバーとして活動していた浅田信輿、長岡外史、山口勝らはみな地方に左遷されてしまった。
「明治の大久保彦左」ともいうべき三浦が、自分は長州人だが、わが陸軍のために、長閥に対して反旗を翻したのはやむを得ない理由がうかがえるが、山県子飼の長岡が三浦の幕下に馳せ参じて、さかんに活躍したのは今からみると頗る意外の感じを与えた。
しかし、当時は何人も之を怪しむものはおらず、かえって、長岡が長人でありながら、長閥を敵として奮闘する意気を壮なりとして閥外有為の士の間で重んぜられ、殊に東條英数 (東條英機の父。陸軍大学校を首席で卒業した恩賜組の秀才だが、川上時代の参謀本部第四部長で、専ら戦史の編纂を担当し、兵学の素養が部内でも一番深かった)の如きは彼を以て硬骨の人物として、2人の友情は強かったと言われる。
数理に暗く、戦術を解しなかった長岡が最劣等の成績とはいえ、ともかく、陸軍大軍校を卒業できたのは、東條の援助あったとめだといわれる。
空前絶後の名将・川上操六(23)日本のトップリーダー養成はなぜ失敗したか
ところが、東條が川上操六の没後も、なお依然として川上閣下の意志云々を口にして長閥の下にたたぬという強情な態度を続けたので、長岡は、山県にこの件を告げて、東條を参謀本部から放逐させてしまった。
以来、この長岡という人物たるや、才気の少し見るべきあると、弁が常人に比べて優れるのみで、何等の推重すべき手腕、力量を有していない。それなのに、なお今日の地位を保ち得たるものはーにかかって山県の子飼のためである。
長岡は山県の寵児ではあったが、寺内とは犬猿の中の間柄にあり、これは恐らくは両者の性格の相違より来る必然の結果と思われる。長岡の頭脳の粗大にして徒らに大風呂敷を広げるのは、細かくすぎて、精緻な寺内は到底忍容することはできない、相反するタイプなのである。
山県が築き上げた長閥の陸軍に対して別に一旗幟を立て、ほとんど
これを制圧してしまった感があるのが川上操六とである
これを制圧してしまった感があるのが川上操六とである
彼が明治22年3月、参謀本部次長に任じ、明治三十二年五月、参謀総長の職で亡くなる満十ヶ年間におけるわが陸軍は、ある意味で川上の陸軍と言うべきものだった。したがって明治二十七八年の日清戦争は彼と李鴻章との戦争の観があった。
川上が日清戦争に対して、その準備の如何に用意周到、的確に進めたという点は多少の軍眼を有する者は等しく認める点であった。
日清戦争の成功で、川上は陸軍部内に対する圧倒的な威信を高め、往々にして外交すら指導せんとする権勢を示した。これにはさすがの山県も一指を加えることができず、桂をして陸軍省によらしめ、寺内をして教育総監部において満足する以外になかった。
川上は人材を眼識、見分け、これを駆使する能力が傑出していた。山県とは正反対のタイプで、また、軍人、政治家の通弊である派閥色、派閥のボスになってお山の大将で小成に甘んじる小人物ではなく、自己の派閥を作る趣味もなかった。陸軍内の隅々まで目を光らせて、幅広く人材を集めた。情報を収集、分析するのはあくまでも個人であり、その情報感度とコミュニケーション力によって決まってくる。川上は近代的な知性、合理的精神を宿していた明治のリーダーのなかでは稀有な人材であった。明治に多くみられる右翼的な天皇主義者、国士たちを格段に上回るスケールの人物であった。
川上時代における陸軍参謀本部の俊英は、彼によって抜擢されて参謀本部に集められた。
参謀本部は梁山泊の人材が多数集まってきて、長閥は顔色なき状態に追い込まれた。川上は長閥に対抗する関係上、自然、長州人以外の者を多く抜擢したことは確かだが、彼には藩閥など眼中になかった。
いやしくも才能、スピードのある人物ならば派閥などには関係なく抜擢し、適材適所に配置して、その才能を存分に発揮させた。それ故に必ずしも長州人だからと言って毛嫌いすることもせず、現に彼の死後、早くも川上の残党征伐に乗り出した寺内の如きも、川上の抜擢をよりてその手腕を発揮しえた一人だったのである。
ところが、川上が亡くなったあとの、明治の末年に至るまで約十三年間は、陸軍部内における長閥全盛の時代が復活したのであった。長閥も決して人材に乏しくはないが、ただ閥なるが故に、閥を擁護するために自ら長閥以外のものを排斥する傾向が強く、本来用いるべき俊秀の士が冷や飯を食って、恨みをかったのである。
それゆえに、この時代にあっては到底、川上時代のように上が、下の者を信じてその能力を発揮させ、また、下の者は上を尊敬して存分に全力を尽くし、命を捨てても国に、川上の命令に従うという組織力がフルに発揮される美風はなくなっていた。このため、参謀本部の組織は拡大したものの、その内容、質の向上(インテリジェンス)は到底、川上時代に及ばなかった、といわれる。
長閥は川上の没後、川上の派閥で彼の地位を継ぐ声望と力量とを兼備するものがないことをいいことに、先づ寺内を参謀本部次長して、その権力を長閥の手に取り戻そうと画策した。ここにおいて、寺内と川上の残党との間に激烈なる暗闘を生じた。寺内は一時すこぶる劣勢となったが、山県の勢力をかりて漸く一端のその鉾を収め、これに頑強に抵抗した東條英教等を放逐した。そして、柴五郎、上原勇作らも、ついで寺内に追われた。
伊地知幸介は一時、参謀本部内において田村恰怡与造(たむら いよぞう)ときっ抗するの勢力を有していたが、田村が寺内に次で参謀本部次長となるや、野戦砲兵艦として部外に出された。ここにおいて川上時代の各部長中、無事に残存していたのは福島安正ただ1人となったのである。
空前絶後の参謀総長・川上操六(32)外伝・軍閥内反主流派―
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●渡辺幾治郎『人物近代日本軍事史』より、「日清戦争後の川上の活動』http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=4&article_id=33
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