『オンライン講座/日本興亡史の研究⑧』★『児玉源太郎の電光石火の解決力④』★『明治32年1月、山本権兵衛海相は『陸主海従』の大本営条例の改正を申し出た』★『この「大本営条例改正」めぐって陸海軍対立が続いたが、児玉参謀次長は即座に解決した』
2017/06/01 日本リーダーパワー史(819 )記事再録、『日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉞
前坂俊之(ジャーナリスト)
児玉参謀次長誕生の前から開戦に強く反対していた巨頭は山本権兵衛海相と伊藤博文元老らである。特に、陸海軍の対立は明治の日本軍制が誕生して以来の問題で、日清戦争から太平洋戦争まで延々と続き、日本大敗北の原因の1つとなった。
大本営条例の改正
1894年(明治27)8月の日清戦争時の大本営は、陸軍の参謀総長が海軍の軍令部長に対し全般統制をするように大本営条例で規定されており、法的に陸海軍の作戦は統合されていた。
当時の陸軍参謀総長は有栖川宮や小松宮の皇族殿下であり、また山県有朋などの元老が座っていたので、海軍軍令部長の中牟田中将や樺山中将は大物の陸軍参謀総長に比べると年齢差も大きく、地位も低かったので『陸主海従』の大本営条例も、問題とはならなかった。
このため、日清戦争では川上操六参謀次長(大本営上席参謀兼兵站総監)が事実上、陸海軍を1本化して統帥して、見事な勝利を収めた。大本営条例はうまく機能した。
この日清戦争直前(明治27年7月)、政府を前にした陸海軍合同作戦会議では、まず、陸軍を代表して川上操六参謀次長が朝鮮への兵力派遣を海軍の協力にふれずに説明した。そのあと立った山本権兵衛海軍主任が「陸軍は海軍の重要性、制海権の重要性をまるで理解していない。それなら、陸軍は単独で朝鮮まで橋を架けて、軍隊を送り込めばよい。」と川上を正面から批判して、会議の一同は唖然とする、一幕があった。
川上は山本の批判に対して即座に陳謝し、翌日、山本らを招いて陸軍参謀本部と合同の作戦会議を開催し、海軍の作戦について聞いて、以後協力体制を強化することになった。
日清戦争では川上大本営上席参謀兼兵站総監の『ワンボイス』で統括指揮を行った。従来の『陸主海従』大本営条例によって、戦争は遂行勝利を収めた。
ところが、日清戦争後、対ロシア海軍を相手に、海軍がいわゆる六六艦隊(戦艦六、重巡六隻を主力艦とする)の軍備大拡張にのりだすと、予算面での『陸主海従主義』が足かせとなりに海軍は大いに不満を募らせた。
日露戦争当時は『艦隊決戦の海軍』の時代に入り、対外戦の場合、平素保有の艦隊がそのまま戦時の艦隊となり、勝敗を左右する。陸軍のように戦時には2倍や3倍に動員拡大することができない。軍艦の増艦、保有数の海軍力が勝敗を左右する『陸海協力主義』の時代に入ったのだ。
海軍の特性を知らない陸軍出身者が常に陸主海従の思想を振りかざすのに海軍は我慢ならなかった。
明治32年1月、海軍大臣大臣となった山本権兵衛は『陸主海従』の大本営条例の改正を申し出た。「帝国陸海軍の大作戦を計画するは参謀総長の任とす』とあるのを「特命を受けた将官」に改めよ、というのである。
これに真っ向から反対したのが川上操六参謀総長だった。
「戦時作戦は平時から計画、準備され、国防全般との緊密な連繋のもとに、敵味方の情報を収集してこれに備える機能を平素から備え、完全に陸海軍を統合できるものでなければならぬ」という持論であった。
『日本のモルトケ』と呼ばれた川上参謀総長の言だけには、山本海相を意見は抑えられてしまった。同年5月、川上は50歳の若さで対ロシア戦略立案に燃え尽きて急死する。
これ以降、山本海相は海軍が憲法上の帷幄上奏権を利用して単独で明治天皇に改正意見を上奏するという事態にまで発展し、陸軍もこれに反発して同じく帷幄上奏権による海軍案反対を上奏するなど陸海軍対立はエスカレート、手の付けられない状態になった。
当時の陸海軍元帥も元老たちも打つ手がなく、明治天皇も処置に困り果てて、約四年間にわたってこの「大本営条例改正」案は棚ざらしとなり、陸海軍の抗争は続いたままだった。
明治33年に陸軍大臣になった児玉はもちろんこの間の事情をよく知っている。日露開戦近しという国難迫る状況で、「陸海軍の対立の根源である」戦時大本営条例の改正問題が、大至急解決せねばならぬ問題であることは、児玉が参謀本部次長に就任してから最直近の課題であった。
「児玉が陸軍のエース」とすれば、山本海相は『海軍の建設者』「海軍経営者(CEO)」そのものの2大巨頭である。大本営条例提出の本尊であった山本海相にとっては、こうした背景があり、「戦争に勝つためには」、陸軍に従う作戦戦略から対等の関係が必要不可欠であるとの認識をもとに、陸軍主導の『早期開戦論』には断固反対であった。
関連記事
-
-
世界も、日本もメルトダウン(960)『シベリア鉄道の北海道延伸を要望、ロシアが大陸横断鉄道構想 経済協力を日本に求める』●『シリア停戦崩壊、米ロ関係かつてない緊張へ』●『ロシア「アメリカは事実上のテロ支援国家」』●『比ドゥテルテ大統領「オバマ地獄に落ちろ」、兵器は中ロから購入と断言』●『北朝鮮幹部2人、日本に亡命希望か 官房長官は否定』
世界も、日本も本メルトダウン(960) シベリア鉄道の北海道延 …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(132)「大阪朝日」は軍部、在郷軍人会、 右翼などからの攻撃と不買運動を受けて、新聞部数が減少、社論を180度転換し、満州事変支持、満州独立論に賛成した
終戦70年・日本敗戦史(132) <世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月 …
-
-
『英タイムズ』からみた 『日中韓150年戦争史』(52)「浪速(東郷平八郎艦長)の 高陞号撃沈」-J・ウェストレーク教授の投書
『中国紙『申報』,『英タイムズ』からみた …
-
-
『オンライン/真珠湾攻撃(1941)から80年目講座②』★『この失敗から米CIAは生れたが、日本は未だに情報統合本部がな<<3・11日本敗戦>を招いた』★『2021年、新型コロナ/デジタル/経済全面敗戦を喫している』(中)』
2011/09/13 日本リーダー …
-
-
「タイムズ」などからみた「日中韓150年戦争史」(60)『(日清戦争開戦4週間後)-『日本の朝鮮侵略(上)』
『「申報」「タイムズ」からみた「日中韓1 …
-
-
『オンライン/新聞記者の冤罪と誤判・死刑追及の旅②』『山口県内で起きた<冤罪を訴えて60年の加藤翁事件』★「虚心坦懐に当事者と現場を取材する」-加藤新一翁の雪冤(1979年9月)
2010/01/06 1979年9月10日発行 「季刊 証言と記 …
-
-
『リーダーシップの世界日本近現代史』(280)★『勝海舟の国難突破力に学ぶ 』★『勝海舟の中国・韓国との付き合い方』★『そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても中国人には 及ばないだろうと思うと、おれはひそかに心配するよ。』
2012/11/23・日本リーダーパワー史(347)記事再録 &n …
-
-
★★(再録)日中関係がギグシャクしている今だからこそ、もう1度 振り返りたいー『中國革命/孫文を熱血支援した 日本人革命家たち①(16回→31回連載)犬養毅、宮崎滔天、平山周、頭山満、梅屋庄吉、 秋山定輔、ボース、杉山茂丸ら
★(再録)日中関係ギグシャクしている今こそ、 振り返りたい『辛亥革命/孫文を熱 …
-
-
速報(371)『日本のメルトダウン』『12月14日MBSラジオ、小出裕章が出演』『敦賀廃炉、日本原電役員に年収3千万円超のデタラメ』
速報(371)『日本のメルトダウン』 <小出裕章非公式まとめ転載> ◎『12月 …
-
-
速報(56)(お勧め記事)『原子力の死の灰の恐怖、その太鼓の音は専門家には響かない』(ニューヨーク・タイムズ・5月2日)
速報(56)『日本のメルトダウン』 ●(お勧め記事)『原子力の死の灰の恐怖、その …

