★⑩鎌倉第1の名所『檑亭(らいてい)そばと会席料理の店』 国文化財(建造物)と名園を堪能する
2016/06/01
鎌倉第1の名所『檑亭(らいてい)―そばと会席料理の店』
国文化財(建造物)と名園を堪能する
前坂俊之(ジャーナリスト)
Wiki田中絹代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%B5%B9%E4%BB%A3
1936年、神奈川県鎌倉市の鎌倉山に「絹代御殿」と呼ばれる自宅を建築している。当時の鎌倉山は高級住宅地で、自宅の西隣りに近衛文麿の別邸、東隣り藤原義江邸があった。1949年に岩田宙造の別宅『山椒洞』を購入して移り住むが、]山椒洞は田中の没後に小林正樹が人手に渡したくないとして購入]、料亭の檑亭別館として建物を保存していたが、店舗閉店後に檑亭の経営的理由で建物は解体され、みのもんたが自宅新築のため敷地を購入した。
同店のHPによると、
歴史ある建物の醸し出す息吹と、鎌倉山の美しい自然の中で、この庭の石仏の散歩道を巡礼することで心安らぐひとときを過ごすことが出来るー鎌倉第一の名所と
檑亭の前身は、昭和3年(1928)鎌倉山の中心地に、日本で最初に開発された分譲別荘地。以来、個人の別荘として歴史を重ねてきた建物を生かし、所有者が昭和44年(1969年)に、そばと会席料理の店として開店した。本館と山門は平成25年(2013年)、国の登録有形文化財(建造物)に指定されている。
本館は江戸時代の建造で、横浜市戸塚の豪農、猪熊家の旧宅を昭和4年(1929年)に移転改築されたもの。2階室内の窓には、日本で最初に焼かれたステンドグラスがはめられ、明治初期の外国製のシャンデリアがしつらえられ、当時の面影をそのままに現在も使用されている。
また、檑亭の入口となる門は、鎌倉西御門にあった古刹・寿延山高松寺の山門(1642年建立)で、昭和6年(1931年)に同寺が宮城県に移転する際、山門のみ移築したもの。
約5万平方メートルにおよぶ庭は、廻遊式庭園様式。十六羅漢群をはじめとする各地から蒐集した石仏や石塔、五重塔や法隆寺の夢殿を模した八角堂などが配されていて、梅林・竹林・季節の草花を楽しみながら散策をすることができます。
また、庭先から望む富士箱根連山は息を呑む美しさ。まるで一幅の絵を見るようでもそのまま庭を下ると、甘味処『露庵』がある。四季折々、一期一会の表情を見せる席亭で心癒されるひとときをお過ごしください。
[檑亭]の玄関は、鎌倉手広にある「鎖大師」として有名な青蓮寺の庫裏をゆずり受け、補修移築して使用。1階には椅子席を75席ご用意。テーブルと椅子は同寺庭内の松の木を生かし、丸太にして使用。2階には3つの日本間があり、ごゆっくりと会席料理やおそばなどを堪能できる。
私が、気に入った日本庭園には、門を入って[檑亭]の玄関は行く道を反対の左に進むと[石仏崖]がある。この[石仏崖]は山門建立の際、崖地を埋め、石垣、石壁を築き、各所より無縁仏を迎え安置した、という。この数およそ百体になったところから、百仏崖と名付け、現在でも春秋のお彼岸の際は、円覚寺僧堂の修行僧の方々に供養をお願いし。読経の声がこだまし、荘厳な空気に満たされるという。
また、[石造十王像](闘魔大王を中心とした10人の地獄の王様で、亡者の裁きを司ります。国東半島から移動安置しております)、
[鎌倉山天満宮](鎌倉山には戦前まで天満宮が示陥れていましたが、参詣者も絶え、社殿も荒廃しておりました。それを悲しんだ人々の尽力で昭和52年(1977年)に再建され、改めて筑紫大宰府天満宮から神霊を勘請したもの)などが、道沿いのうっそうとした自然林、竹林に点在し、鎌倉の幾多の古刹よりも、もごたえのなる日本庭園と感じ入った。四季折々何度でも散歩したくなる心安らぐ鎌倉巡礼のスポットと思う。
関連記事
-
-
最高に面白い人物史➄人気記事再録★「日本最強の参謀・戦略家は日露戦争勝利の立役者―児玉源太郎伝(8回連載)』
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(62) 『世界史の中の『日露戦争』ー <まと …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(193)記事再録/<クイズ>-今から160年前の1860年(万延元年)2月、日米通商条約を米ホワイトハウスで批准するため咸臨丸とともに米軍艦の蒸気船『ボーハタン号』で太平洋を渡たり、全米の女性から最もモテたイケメン・ファースト・サムライはだれでしょうか?!
全米女性からラブレターが殺到したファースト・サムライ …
-
-
日本、世界の最先端技術『見える化』チャンネル-●「目からウロコの日本農業革命論』★『vegetalia・小池聡社長の「IT農業、日本の農業革命」●『大前研一の特別講義「農協リビルド・胃袋省設置・自給率切捨で進める農業改革」●『「他国のマネでは成功しない。脱”兼業”・脱”コメ”で進める日本の農業改革」』●『「搾乳から花市場まで。世界の農業シェアを握るオランダの戦略」』
日本、世界の最先端技術『見える化』チャンネル 『次世代農業EXPO …
-
-
世界/日本リーダーパワー史(894 )ー『米朝会談前に米国大波乱、トランプの狂気、乱心で「お前はクビだ」を連発、国務省内の重要ポストは空っぽに、そしてベテラン外交官はだれもいなくなった。やばいよ!②」
世界/日本リーダーパワー史(894) トランプ政権の北朝鮮専門家、広報部長、ス …
-
-
「Z世代への遺言」「日本を救った奇跡の男ー鈴木貫太郎首相②』★『ルーズヴエルト米大統領(68)死去に丁重なる追悼文をささげた』★『鈴木首相とグルー米国務省次官のパイプが復活』★『ポツダム宣言の受諾をめぐる攻防』★『鈴木首相の肚は聖断で一挙にまとめる「玄黙」戦略を実行 』
ルーズヴエルト米大統領(68)死去に丁重なる追悼文をささげた。 鈴木首相の就任1 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(98)』[安倍政権の検閲とメディアの自粛の負の連鎖]
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(98)』 …
-
-
『Z世代への<日本史難問クイズ?>『リンカーン米大統領が奴隷の解放宣言をしたのは1862年(文久2年)ですが、日本で中国人奴隷(苦力)を解放したのは一体誰でしょうか⑲』★『西郷隆盛(参議・実質総理大臣)です。横浜港に入港した『マリア・ルース号事件』(清国人苦力=奴隷230人をペルーに運ぶ途中)で人権尊重の観点から外務卿・副島種臣に命じて停船を指示・船長を告発させ、裁判後に清国に送り替えした』★『「国の本来の政治は軍備の不備を恐れず、一国の運命をかけても、正論を以てこれを貫くべし」』
2019/07/27 日本リーダーパワー史(858)/記事再録 &n …
-
-
『Z世代のための日中韓(北朝鮮)外交史講座⑤』★『明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわたる対立、戦争のルーツは『朝鮮を属国化した中国」対「朝鮮を独立国と待遇した日本(当時の西欧各国)」とのパーセプションの衝突である』★『1876年の森有礼(文部大臣)と李鴻章の『朝鮮属国論』の外交のすれ違いのルーツがここにある』
2019/10/19/『リーダーシップの日本近現代史』(102)記事再録再編集 …
-
-
『Z世代のための名スピーチ研究』★『世界史を変えるウクライナ・ゼレンスキー大統領の平和スピーチ』★日本を救った金子堅太郎のルーズベルト米大統領、米国民への説得スピーチ」★
2017/06/23 日本リーダーパワー史(832)記事再録 『金子 …
-
-
長寿学入門(216)<松原泰道老師!百歳>『 生涯150冊、百歳こえてもマスコミ殺到! その長寿脳の秘密を尋ねると、佐藤一斎の『言志晩録』に「見える限り、聞こえる限り、学問を排してはならない、とある。私も、いまや、目も見えない、耳も聞こえませんが、読み、書く、話すことは生涯続けたいと思います」と語る。合掌!
松原泰道老師百歳 生涯150冊、百歳こえてもマスコミ殺到! その長寿脳の秘密は・ …
