日本リーダーパワー史(459)「敬天愛人ー民主的革命家としての「西郷隆盛」論ー中野正剛(「戦時宰相論」の講演録①
「敬天愛人ー民主的革命家としての「西郷隆盛」論
―1927年(昭和2)の西郷没後五十年記念祭典で行っ
た中野正剛(「戦時宰相論」を書き東条英機首相を糾弾し
自死した)の講演録「西郷南洲」①
中野正剛による「西郷南洲」論―<彼と英雄主義>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%AD%A3%E5%89%9B
私の少年時代と南洲
諸君、今日は維新第1の英雄西郷南洲先生の五十年記念祭典を行われる際し、偶然にも愛国青年会鹿児島支部の大会に招請され、ここに南洲翁に対する私の感慨を述べる機会を与えられたことを仕合せに思うのであります。
私の郷里は同じ九州の筑前福岡でありますが、福岡の旧士族も多数十年戦争(西南戦争)に呼応して起ちましたくらいで、私の少年時代から我が郷党の間には南洲翁崇拝家がずいぶん多かったのであります。
たしか五月十日であったかと記憶しておりますが、その日には毎年十年戦役戦没者の招魂祭が行われました。もちろんそれは十年役に出征した官軍戦死者の霊を祀るのでありますから、我々はそれを官軍の招魂祭と呼びました。
これに対抗して民間の有志では、賊軍に投じて戦死した旧士族戦授者の霊を祀るために、別個の招魂祭を催し、暗にその意気を示したものであります。官軍の招魂祭には学校は定休となって一同参拝しましたが、民間の招魂祭には、有志家を父兄とか知るべとかにもつ子弟達のみがこれに参拝する機会を得たのであります。
しかるになぜか私ども少年の心は妙にこの賊の招魂祭に心ひかれ、維新の英雄大西郷とともに死せし先輩の招魂祭を「賊の招魂祭」として、日陰者のように取扱わるるのを心外に感じたのであります。実際大西郷の無邪気な九州少年に与うる感懐は、官賊の境を超越して、ヒシヒシと迫り来るものがあったのであります。
南洲を生んだ環境
左様の機縁からして、私は中学時代にもしきりに南洲翁の伝記を読み、また南洲翁が青年時代に愛読せられたという『伝習録』(王陽明)や、『洗心洞箚記』(大塩平八郎著)や『言志録』(佐藤一斎著)やを半解のまま心を潜めて味わうてみたものであります。
そこで一応鹿児島を訪い、城山に登り、岩崎谷を尋ね、かつまた「我家の松庵塵縁を洗う」と南洲翁自身が歌われた退耕の隠宅を見て昔を偲びたいということは、私の久しく切なる願いであったのであります。
かようのわけでありますから、十余年前初めてこの地に遊び、浄光妙寺の南洲墓下に立ち、塁々たる若殿原の墓石の間を低徊し、錦江湾を俯瞰し、桜島を仰望した時の感慨は今に忘れることが出来ないのであります。
私は少年時代「勝てばこれ官軍、敗くれはこれ賊」などという詩を放吟し、ひたすら豪快勇壮なる薩摩隼人を想像しておりましたが、あの城山から見下した一帯の風景はなんとしっとりとした穏やかさでしょう。絵のごとく浮かび出たる桜島、そのふもとを洗う錦江湾の静かな波、遥かに霞む大隅の山々、その風光に少しの覇気もなく、全く温潤含蓄そのものであって、ただ何となく奥床しさと懐かしさを感ずるのであります。
英雄の出ずる所、地勢よしと言い、人傑地霊というがごとく、英傑は環境を象徴して現あるるものとすれば、南洲翁の本質は稜々たる気骨とか豪放磊落とかいう所謂、東洋流の志士豪傑の風よりは、いかにも奥深く、いかにも手厚き、渾然たる偉材であったことが首肯かるるのであります。
こんな考えを懐きながら鹿児島県下を遊説して歩いたことがありますが、私の接したる限りの気分では、所謂、薩摩隼人は決して荒くれ男ではありません。はなはだ鄭重で、はなはだ謙遜で、至るところ礼儀の郷に入る感を懐かせられたのであります。
しかるに偶然にも遊説の途中、一夜暴風に遇ったことがあるのでありますが、太平洋の彼方から錦江湾をまくし立て、薩南一帯を荒れ狂うた彼の風勢の物凄かったこと私の記憶には未だ他に経験せざるほどの激しさでありました。もとより屋根は飛び、垣は倒れ、私の宿所付近も惨憺たる大被害がありました。
承わりますると、かくのごとき暴風は数年に一度くらい、しばしば吹き起るものだそうでありまして、この温潤鄭重なる薩摩隼人が、猛り立ちたる時の勢いを想見せしめたのであります。
薩南の風光は穏かであります。しかれども平静のうちに活気を蔵しております。筑
ましたが、その桜島が大正三年に爆破して大荒れに荒れたように、明治維新にも十年戦争にも、薩南の健児が一たび手に唾して起てば、疾風迅雷のごとく他の追随を許さざるものがあったのであります。
すなわち薩摩の自然は人に哲学的思索と、詩的感激とを与えます。琵琶を弾じ、天吹を奏し、詩を吟じ、柴笛をふく薩摩人は実に一面において天成の詩人であります。南洲翁は実に彼の重厚なる人路の裏に、かくのごとき熱と情緒とを過分に有していた一大巨人であります。
一面において薩南の自然に陶冶せられた南洲翁の人格は、また他の一面において歴史に感化せられ、境遇に鍛練せられたものであります。
三百年前の藩主島津義弘公が、関ヶ原の戦いに戦陣を突破して退却した猛勇は、もとより三州健児の修養に多大の感化を与えたことと思われますが、西郷南洲翁が江戸城を受取った時の風貌が、九州征伐当時の豊臣秀吉が応対振りに似ているのも偶然でないかも知れません。
しかして日薩隅の地は琉球との交通を便りにシナの形勢が窺われ、新たに開通した肥薩海岸線一帯を洗うの浪は、シナ揚子江の水と相通じているのであります。かの幕末に際し各雄藩中幾多の名主があった中に、薩の斉彬公が遥かに傑出し、世界の形勢に通暁せられていたのも所以ありと見ねばなりません。しかし孟洲翁は実にこの名君斉彬公の抜擢を被り、その啓蒙を受けたのであります。
かくのごとき自然、かくのごとき歴史、かくのごとき環境より生じた南洲翁は、深沈濶大、哲人にして英雄、思想家にして行動家、しかもその行動を飛躍せしめる情熱を深き思想の源泉に汲む底の人であったのである。
私は我が国の英雄中、思想の背景を有し、哲人的風格を有する点において、南洲翁は独特の地歩をせられ、この意義において南洲翁は現代以後にますます光輝を放つべき不朽の英雄なりと信ずる者である。
岩崎谷の洞窟をご覧になった諸君は定めてお眼に止まったでありましょう。あの途に見ゆる鉄道の隧道の上に彫みつけられた南洲翁の筆暁は実に「敬天愛人」の四字であります。これは南洲の好んで書かれた文句でありますが、敬天愛人とは何と情趣ある文字ではありませんか。深き人間性の根低を把握したる者でなければ、とうていこんな文句は浮んでこないのであります。
そこらの維新の元勲達に書かせたら、大概「忠君愛国」の四字ぐらいで片づくるでありましょぅ。忠君愛国はもとより神聖であります。しかし忠君愛国の行動の主体は人間にあります。敬天愛人はこの人間性の深い所を捉えたもので、忠君愛国よりは今一つ奥の所害っているのであります。南洲翁は忠誠無類の人でありました。
また愛国的情熱家でありました。しかしながらその一身を挺して忠君愛国の大任に当るべき自己の修養は、奥深い人間性に尋ね入っているので、そこに敬天愛人というゆかしい音色が出て来るのであります。孔孟の道でも、耶蘇(キリスト)の教えでも、現代の人格教育でも、極地まで推し究め、精髄まで煎じつめると、やはり純真なる人間性の滴養となり、そこに敬天愛人という第一次的の声音が出て来ると思います。
しかしてこの純な敬虔な人間性が、発して忠となり、孝となり、愛国となり、殉難の精神となると思います。孝は百行の基と言いますが、人間は生れて母のきょうほの中に長じ、母の次に父という順序にまず父母の恩愛を受くるものであります。ここにおいてか、純真なる人の子の性情は、父母を対象としてまず孝となりて現われ、逐次にその接するところの環境に伴いて兄弟姉妹の親しみとなり、朋友の信となり、男女の愛となり、忠君となり、愛国となるわけで、人間純情の発露なる順序よりして、孝は百行の基なりというたものと思われます。
ここにおいてか教育修養の根株を人間性の純美を尽す点におきますと、その人の主体がちゃんと完成するので、すなわち運用の妙は一身に存し、忠君愛国、義勇奉公、時に応じ、境遇につれて、活溌溌地の活用となし得る次第であります。
英国の教育においてBe honorableといぅことを非常に尊重しますが、それは良心に問いてはじざる人たれという意味(さらに深長)でありまして、これをゼントルマンたり、愛国者たるの前提としているのであります。
我が国、徳川幕府の時代におよび、唯一の学問たる儒教までが、学問そのものの神聖を失って、覇者の政権に隷属するに至ってから、
これがため折角の武士道をして天地の間にきょくせき塀蹄せしめたことは、我が国民性の陶冶上一大欠陥であったと見ねばなりません。
南洲先生は天成の偉材、この塁壁を蹴破って、まっしぐらに聖賢の心境に突入し、敬天愛人という人間性の奥底から発する純なる音じめを出しながら、独り群雄の間に闊歩しておらるるのは、実に痛快の至りであります。
明治維新は封建政治の打破でありますが、南洲翁の心境はこれに先立ち封建時代の思想的拘束を脱却し去っていたのであります。
(つづく)
日本リーダーパワー史(32))「英雄を理解する方法とは―『犬養毅の西郷隆盛論』・・
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