前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人の百歳学(147)ー記事再録 『日本画家・小倉遊亀(105歳)-『「老いて輝く。60代までは修行、70代でデビュー、百歳まだダメ、まだダメ』

      2019/08/01

百歳学入門(190)『日本画家・小倉遊亀(105歳)★『人間というのは、ほめられるとそれにしがみついて、それより上には出られないものですね』★『まだダメ、まだダメ。こう思い続けているので年をとらないんですよ』★『いいなと思ったときは物みな仏』

   百歳学入門(190)

 

105歳 日本画家・小倉遊亀 (1895年3月~2000年7月)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%80%89%E9%81%8A%E4%BA%80

日本美術院の画家安田靫彦の門を叩き、岡倉天心、横山大観らの名だたる先輩後輩と深い絆を結んだ。女性画家として最長寿である。

70歳代で「径」「舞妓」「姉妹」などの代表作を発表、80代で「天武天皇」などの歴史肖像画の代表作を制作した。85歳のとき、上村松園に次いで女性画家としては二人目となる文化勲章を受章した。

小倉は滋賀県出身、1917(大正6)年に奈良女子高等師範(奈良女子大)を卒業、横浜の捜真女学校に奉職し、1920年に画家安田靫彦の門を叩き、そこで岡倉天心、横山大観らの名だたる先輩後輩と深い絆を結んだ。

若い頃の遊亀は絵画制作、母親の看病、教師と多忙な日々を送りながら、日本画に打ち込んだが、神経質で内面的な悩みが尽きなかった。

安田先生からのアドバイスはほとんどなかった。画を見てもらっても、何も言わず黙って返すだけ。思い余って「私には絵の才能がないのでしょうか」と恐る恐る尋ねると、途端に「そんなことは、あなたが死んでからあとの人の言うことです、生きている間に人の言うことはあてになりません」と叱られた。

才能があると言って欲しいための甘えからの問いかけを小倉は後年、恥ずかしかったと回顧する、27歳の時のことである。

ある時、もの言わぬ安田師から

名言「一枚の葉っぱが手に入ったら、

宇宙全体が手に入ります」

と哲学めいた、禅問答風な教えを受けた。遊亀がこの言葉の真の意味を体得できたのは数十年後の老境になってからだった。

33歳で院展に初入選し、1932(昭和2)年に37歳で女性初の日本美術院同人となる。

1938年、43歳の遊亀は禅の大家・山岡鉄舟の晩年の高弟・小倉鉄樹と結婚し、たが、以後鎌倉に住んだが、鉄樹は3年後に亡くなり、短い結婚生活となった。禅道場の小林作雲のもとを訪れるようになってから、煩悩から次第に開放され、自由な境地で絵画制作にも専念できるようになる。

名言「人間というのは、ほめられるとそれにしがみついて、それより上には出られないものですね。若い頃の私もそんなふうで、描けども、描けどもこんなはずではないと思いながら、同じことの明け暮れの時がありました。」

と回想する。

それからの40代、50代はまさに画家としての基礎体力作り、精進に費やした日々であり、やがて冒頭の言葉へと結実していく。

彼女自身、人生で最も充実したのは70歳代であると回想、76年に81歳で日本芸術院会員にえらばれた。

80年に85歳で文化勲章受章。人物、花鳥画にあって古典を基礎に近代感覚あふれたすがすがしい作風を展開し画壇の頂点に上りつめた。その原動力はなによりも長寿力であり。80代になってもなおその描く情熱は衰えることを知らなかった。

名言「まだダメ、まだダメ。こう思い続けているので年をとらないんですよ」

 

90歳半ばで遊亀は体調を崩し、それから絵筆を握ることはなかった。居間に座ってぼんやり庭を眺める日々。ある日、遊亀はハッと気づいた。「梅は何ひとつ怠けないで、一生懸命生きている。私も怠けていてはいけない」と、再び101歳で絵筆を握った。

名言「いいなと思ったときは物みな仏」

それからは身近にある花木や果物を好んで描くようになる。「いいなと思ったときは物みな仏」であり、自分は生かされているという謙虚な気持ちを片時も忘れなかった。

普通に生きることの難しさを知ってから、普通に生きる美しさや素晴らしさがしみじみと描けるようになったのである。

名言「何も持たぬと嘆く人でも、天地の恵みは頂戴しているではないか」。

そしてこんな句も残している。

名言「のどかなり 願いなき身の 初詣」

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(321)若者よ世界へ『日本だけでもてはやされる人間』より『世界が尊敬する日本人』めざそう③

日本リーダーパワー史(321)   日本・世界・地球を救うためにー『日 …

日本リーダーパワー史(698)日中韓150年史の真実(4)「アジア・日本開国の父」ー福沢諭吉の「日中韓提携」はなぜ「脱亜論」に一転したか」③<日中韓のパーセプションギャップが日清戦争 へとトリガーとなる>

 日本リーダーパワー史(698) 日中韓150年史の真実(4)「アジア・日本開国 …

no image
日本リーダーパワー史(588)史上最強の外交官・小村寿太郎ーその外交力の秘訣は1に胆、2に剛、3に堅実、「ただ誠の一字に尽きる」と述べている。

日本リーダーパワー史(588)  世界が尊敬した日本人(54) 史上最強の外交官 …

no image
★5湘南海山ぶらぶら日記ー『外国人観光客への鎌倉絶景ポインガイドー8月中旬までは見ごろの鎌倉八幡宮の『蓮の花』万華鏡』●『モネの睡蓮』などより本物『鎌倉八幡宮の源氏池』の方が百倍も美しいよ』

 湘南海山ぶらぶら日記 ★5外国人観光客への鎌倉絶景ポインガイドー 8月中旬まで …

『Z世代のための名スピーチ研究』★『世界史を変えるウクライナ・ゼレンスキー大統領の平和スピーチ』★日本を救った金子堅太郎のルーズベルト米大統領、米国民への説得スピーチ」★

2017/06/23  日本リーダーパワー史(832)記事再録 『金子 …

no image
日本興亡学入門⑥ 「インテリジェンスゼロは≪ガラパゴス日本≫の伝統病」

日本興亡学入門⑥                             200 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(138)』VW不正事件、「事実・背景・今後」を「時間軸」で整理‏」◎「経営者の資質は、業績貢献よりも、人格識見と倫理感の秀でた人材が相応しい、という鉄則を想起」

  『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(138)』  経営者の資 …

no image
日本リーダーパワー史(828)(人気記事再録)『明治維新150年』★『3・11直後に書いた日本復活は可能か、日本をチェンジせよー明治維新の志士は20歳の若者たちを見習え、を再録』★『今こそ、「ゲームチェンジャー」(時代を変える若者) こそ出でよ、『日本老害社会をぶち壊せ』●『2025年問題」をご存知ですか? 「人口減少」「プア・ジャパニーズ急増」…』★『2025年問題が深刻過ぎる件』

   2011、6,14に書いた< 日本リーダーパワー史(160)> 『3・11 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ビジネス・ウオッチ(220)『スマホ、タブレットが高すぎるappleから低廉高品質のHuaweiに切り替わるのはもう時間の問題です』

『F国際ビジネスマンのワールド・ビジネス・ ウオッチ(211) > htt …

no image
「オンライン・日本史決定的瞬間講座④」★「日本史最大の国難をわずか4ヵ月で解決した救国のスーパートップリーダーは一体誰でしょうか?④」★『昭和天皇の戦争責任について』★『救国の大英断、2回目の聖断が下る』★『鈴木貫太郎首相(78)の「長寿逆転突破力」と昭和天皇の「聖断」が相まって日本を土壇場で救った』

  昭和天皇の戦争責任について さて、天皇の戦争責任について未だに論議 …