『オンライン60/70歳講座/渋沢栄一(91)の見事な臨終の言葉』★『日中民間外交/水害救援援助に 尽力したが、満州事変の勃発(1931年9月)で国民政府は拒否した』★『最期の言葉/長いあいだお世話になりました。私は100歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、今度はもう起ち上がれそうもありません。私は死んだあとも皆さまのご事業やご健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはしないようお願い申します』
百歳学入門(234回)
「近代日本建国の父」渋沢栄一の名言②

-
1931年(昭和6)夏、未曽有の大水害に襲われた中国
-
1931年(昭和6)夏、中国各地は異常な長雨に見舞われ、7月には揚子江をはじめ黄河・珠江・松花江などの大河が一斉に決壊、未曽有の大水害となった。
-
とくに揚子江沿岸の洪水は80年来といわれ、日本全国とおなじ面積が水没した。被害人口の推定は3400万人、被害家屋400万軒、中国全土の耕地面積の27%が冠水した。日本では東京商工会議所が中心となって、8月24日「中華民国水災同情会」(渋沢栄一会長)を設立した。同情会は大々的な募金キャンペーンを展開するため、渋沢がJOAK(今のNHK)のラジオを通じて全国に呼びかけることになった。
-
91歳の渋沢はこの時、気分のすぐれない日が多く、ひきこもりがちで、自宅を一歩も出ないで静養につとめていた。しかし、9月6日、JOAKは機材を運び込んで自宅から放送をすることになった。同日6時30分、放送は始まり、周囲の心配をよそに、渋沢の声はしっかりして、歯切れもよかった。放送はたいへん好評で放送を聞いて感動した人々から多くの募金が集まった。
-
同情会は、集まった金で大量の救援物資を買い、「天城丸」をチャーターして現地に向かった。上海入港は9月20日、翌日出港して揚子江を遡河し、被害の中心地である武漢に向かう予定だった。
-
救援物資満載のチャーター船「天城丸」が到着寸前に、満州事変が勃発。
ところが、ここで予想外の大事件が起きた。9月18日、関東軍が中国の奉天郊外で謀略によって満鉄を爆破したいわゆる満州事変が起きた。蒋介石を中心とする国民党の革命が満州に波及しないうちに日本の権益を確保する関東軍の暴走だった。この満州事変によって日本は二度とあと戻りできない滅亡への道に一歩を踏みだしてしまった。
国民政府は厳重な抗議の表明し、天城丸積載の救援物資は受け取りを拒否した。日本側は「この救援物資は一般国民の純粋な友情に発したもので、軍の政策とは関係のないので、まげて受け取ってもらいたい」と強く交渉したが、中国側は、「自分たちが未曽有の災害に苦しんでいるのをしり目に、関東軍が攻撃してきた」と激怒して受け取らなかった。
「同情会」本部はやむを得ず、天城丸を門司に帰航させて、寄付金、救援物資は寄付者に返還する措置をとった。ちょうどそのころ、渋沢は不帰の病床にあり十月には腸閉塞の症状を起こし、目に見えて衰弱していった。
-
「臨終前の風景―公私峻別を最期まで厳重に守る」
-
かつての渋沢の仲の良い同僚の第一銀行相談役(元頭取)が最後の別れのあいさつにきた。渋沢敬三(当時第一銀行社員)が立ち会ったが、相談役が涙ながらに「敬三さんを将来、頭取にするからね」と告げると、栄一は「それは違う。本人にやれる力があるんならやらしたっていいが、わたしの孫だからという理由だけで頭取にするのは、いかん」とぴしゃりと拒否した。そばで聞いていた敬三は最後まで公私峻別を厳重に守る態度に深く感動した。
渋沢の容態は気管支炎を併発し一層悪くなってきた。11月8日、表にたくさんの見舞い客が来ていると聞くと、渋沢は最後の力をふり絞ってはあいさつの言葉をおくった。
「長いあいだお世話になりました。私は100歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、今度というこんどは、もう起ち上がれそうもありません。これは病気が悪いので、私が悪いのではありません。死んだあとも私は皆さまのご事業やご健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはしてくださらないようお願い申します」。
いよいよ最期の時が来た、昭和6年11月11日午前1時50分。日本資本主義の父・渋沢栄一は見事なその生涯を終えた」
(以上は渋沢雅英著「太平洋にかける橋―渋沢栄一の生涯」読売新聞社(1970年 475P)
関連記事
-
-
新刊「日本史有名人の晩年」新人物往来社編 新人物文庫(667円)を出版しました。
新刊「日本史有名人の晩年」新人物往来社編 新人物文庫(667円)を出版しました。 …
-
-
日本リーダーパワー史(456) 「明治の国父・伊藤博文のグローバルリーダーシップ 『伊藤博文直話』(新人物文庫)」を読む⑧
日本リーダーパワー史(456) …
-
-
<まとめ>日本史上最大の巨人・西郷隆盛・勝海舟を研究せずして『明治維新』を知ることはできん。NHK大河ドラマ『西郷どん』なんか見ていてはわからんよ。
<まとめ>日本史上最大の巨人・西郷隆盛・勝海舟を研究せずして『明治維新』を知るこ …
-
-
日本リーダーパワー史(515)-日清戦争120年②開戦のきっかけとなった高陞号事件での東郷平八郎の国際性
日本リーダーパワー史(515) 日中韓150年パーセプシ …
-
-
『リモート京都観光動画』/『The Japanese landscape garden in Kyoto Nijo Castle/ 戦災を免れた優美な京都の国宝・二条城(世界文化遺産)ー外国人観光客で大賑わい』★『ー金色細工の唐門を通って二の丸御殿前へ』★『ー金色細工の唐門を通って二の丸御殿前へ』★『小堀遠州代表作の池泉回遊式庭園二の丸庭園を散歩する』
<2014/04/03撮影> ★5 The Japanese la …
-
-
日本ローカル線の動画ぶらり旅①』ー岡山県津山市の津山城に向かう』★『津山駅と駅前広場から旧津山藩の鶴山城へぶらり、街並み拝見しながら』(動画20分)
津山城はこうしてできた。 http://www.tsuyama-k …
-
-
日本メルトダウン脱出法(606)◎「世界経済:過去と未来の相似」(英エコノミスト誌)◎『ノーベル賞 中村修二氏が語る-日本の イノベーション」
日本メルトダウン脱出法(606) ◎「世 …
-
-
池田龍夫のマスコミ時評(66)竹島・尖閣問題、冷静な対処をーナショナリズムの暴発を警戒すること
池田龍夫のマスコミ時評(66) 竹島・尖閣問題、冷静な対処をーナシ …
-
-
『リモートワーク動画/(Kyoto Sightseeing)』★『世界文化遺産・平安神宮へ参拝(3/29)★『明治28年に創建の豪華絢爛の「平安神宮」応天門から本殿に向かう』★『平安神宮神苑」(池泉回遊式の日本庭園・国指定名勝)の蒼龍池を臥龍橋から観賞、桜はまだだが庭園美の傑作』
世界文化遺産・平安神宮へ参拝(3/29)ー明治28年に創建の豪華絢爛の「平安神宮 …
