前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(698)日中韓150年史の真実(4)「アジア・日本開国の父」ー福沢諭吉の「日中韓提携」はなぜ「脱亜論」に一転したか」③<日中韓のパーセプションギャップが日清戦争 へとトリガーとなる>

   

 日本リーダーパワー史(698)

日中韓150年史の真実(4)「アジア・日本開国の父」ー福沢諭吉の「西欧の侵略阻止のための日中韓提携」はなぜ「脱亜論」に一転したかー中華思想、事大主義の原罪を問う」③

<日中韓のパーセプションギャップが日清戦争

へとトリガーとなる>

前坂俊之(ジャーナリスト)

 

甲申事変(明治17年)から10年後の日清戦争までに、中国・韓国・ロシア対日本の緊張関係、対立、紛争はどのようにエスカレートし、ついに発火、爆発したのか。その経過を時系列的にみてみるとーー

  • 1884年(明治17)12月、韓国で朝鮮独立党(親日派、開化派)が甲申事変を起こし、清国軍の介入で3日天下に終わり、首謀者の金玉均、朴泳孝らは日本に亡命し、福澤諭吉らが保護した。朝鮮側は身元の引き渡しを要求、日本側は拒否して対立し、朝鮮側から暗殺指令が出るなど金らの存在が2国間の最大の懸案となって尾を引いた。
  • 1884年(明治18)3月16日-この間、朝鮮側は事件に関与した朝鮮独立党のメンバーを族誅(ぞくちゅう)、罪三族に及ぶ)として、家族、親族、一族の幼児まですべて皆殺し、惨殺、処刑した。福沢は明治18年2月23日などの『時事新報』に『朝鮮独立党の処刑』と題して、この過酷、苛烈な処刑を野蛮国の仕業と激しく批判した。3月16日には以下の有名な社説『脱亜論』を掲載した。
  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96

「西洋文明を採用しなければわが国の独立は保てない。日本のみがアジアで唯一、文明開化している。しかし清国と朝鮮はかたくなに古来の習慣に固執して、近代化を拒否しており、明治維新のような変革ができなければ数年のうちに亡国するであろう。日本は両国の開化を待って共にアジアを興す猶予はない。悪友(清国と朝鮮)と親しむ者はともに悪友となる。

むしろ彼らから脱して、西洋の文明国と行動をともにし、アジア東方の悪友(中国、朝鮮)とは交際を謝絶するつもりなり」

  • 1885年(明治18)4月ー甲申事変の事後処理をめぐって、伊藤博文と李鴻章による『天津条約』が結ばれ、朝鮮で問題が起こり、軍隊を出動させるときは、いずれも相手国に通報する取りきめができて、これが日清戦争での朝鮮へ日本軍が派兵する理由となる。

韓国は自国の領土である巨文島を自国の軍隊で守る事が出来ず、清国・イギリス・ロシア等の大国のパワーゲームで翻弄されるばかりである。独立した国家としての体を為していない事を、明確に国際社会にさらけ出した。この事件は、日本に深刻な影響を残した。李氏朝鮮の無能な現実と、ロシアの南下への強い野心とその行動が、列強間の緊張をもたらす危機が日本に迫ってきた。

<問題点>明治維新から日本は万国公法にもとづいて、李朝を対等の独立国家として、交渉の主体と考えたが、李朝側は500年以上続く、中華朝貢秩序体制の下での外交関係と考えており、このギャップは一層拡大、互いに理解できない存在となった。

日本は文明開化、富国強兵路線に沿って、『対外和親』『開国進取』、『万国対時』、『国権拡張』を国是として掲げたが、李朝はあくまでも「衛正斥邪」(えいせいせきじゃ)、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E6%AD%A3%E6%96%A5%E9%82%AA

朝鮮において閔氏政権期に盛り上がった思想。西洋のキリスト教や近代文明を拒否する超保守的な身分秩序と儒教,攘夷秩序身分秩序を守ろうとする動き)となり、大院君らは西洋文明を受け入れた日本も西洋諸国と同一視<倭洋一体>視して、通商を求めた日本へ強硬な反対姿勢を取った。現代においてもこの思想が「義兵闘争」となり、北朝鮮、韓国の反日意識の基盤となっている。

金玉均らの親日派、開化派、朝鮮独立党のメンバーは、日本のように開国し、維新を目指そうとして、挫折、権力闘争に失敗したが、多くの事大主義者たちは「衛正斥邪」、「鎖国攘夷」、「洋夷禽獣論」(よういきんじゅうろん、中華思想から、中国が文明の中心であり、周辺諸国を野蛮人と見る自文化、自民族優先主義(エスノセントイズム)、西欧人,日本人は鳥や獣と同じ野蛮人とみなすこと)

自分たちだけが文明国で、周辺の野蛮人に比べて、文明の水準が高いと自負した思想「中華を尊んで夷狄を扱う」「小中華の礼俗」、「礼儀ノ邦」をあくまで守ろうとしていたからである。≪黄文雄『歪められた朝鮮総督府』 (光文社、1998年、89-90P)

との社説を時事新報に発表「今朝鮮の有様を見るに、王室無法、貴族跋扈、税法さへ紊乱の極に陥りて民に私有の権なく、啻に政府の法律不完全にして無辜を殺すのみならず、貴族士族の輩が私欲私怨を以て私に人を拘留し又は傷け又は殺すも、人民は之を訴るに由なし。 又その栄誉の一点に至ては上下の間、殆ど人種を殊にするが如くにして、苟も士族以上、直接に政府に縁ある者は無限の権威を恣にして、下民は上流の奴隷たるに過ぎず」(380 頁)

 

  • 1885年(明治18)春―朝露(朝鮮とロシア)の密約事件
    朝鮮政府の外交顧問・パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフが、ロシアに朝鮮の不凍港の租借するかわりに、朝鮮保護や軍事教官団の派遣を求めた。
    ロシアは駐日公使館書記官・シュペイエルを漢城(ソウル)に派遣したが、清国・李鴻章の反対でメレンドルフは失脚し密約は成立しなかった。これはロシアを引き込むことで清の圧迫に対抗する「引俄反清」「斥華自主」の動きであった。またこれとは別に朝鮮国王はロシアは朝鮮の保護をもとめて密使をおくっていた。

1886年(明治19)8月、第2次朝露密約事件―朝鮮宮廷が在漢城ロシア代理公使ウェーバーに、朝鮮が第三国との紛争の場合にロシアに軍事援助(軍艦の派遣)を求める旨の密書を送った事が露見し、国際問題に発展した。
朝鮮宮廷の「引俄反清」「斥華自主」の動きで清からの報復を怖れた閔泳翊が、袁世凱に密告したので、で清国は激怒、清国軍の派遣と高宗の廃位が迫った。
結局、ロシアは密書の受領は認めたが、高宗の要請には応じないことを清国側に約束した。この多国間外交で清国・ロシア・朝鮮対日本という軍事対決図式が生まれる。

 - 人物研究, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本メルダウン脱出法(643)「中国主導のアジア開銀に先進各国は参加表明、米国のこの外交失敗に1人追随し、巨大市場への参入を見合わせる日本の損得勘定は?

                                        …

『リーダーシップの日本近現代史』(318)★『日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ㉑ [ 日清戦争は明治天皇は反対だったが、川上操六、陸奥宗光の戦争であった」★「 戦争は避けることばかりを考えているとますます不利になる」(マッキャベリ)★『「チャンスは刻々と過ぎて行く、だから「兵は拙速を尊び、リーダーは速断を尊ぶ」(孫子)』

    2015/12/22 /日本リーダーパワー …

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑳」★『150年前の「岩倉遣米欧使節団」の国家戦略と叡智に学べ』★『『1872年―岩倉遣米欧使節団がロンドンに到着』(英タイムズ1872年8月20日付)』

2012/09/22  日本リーダーパワー史(322)記事再編集 前坂 …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(47)』★『日露戦争に勝利した伊藤博文の知恵袋・金子堅太郎(農商務相)とルーズヴェルト米大統領の「友情外交インテリジェンス」★『日本海海戦勝利に狂喜した大統領は「万才!」と 漢字でかいた祝賀文を金子に送った』

    2023/06/22 &nbsp …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(59)記事再録/『高橋是清の国難突破力①』★『日露戦争の外債募集に奇跡的に成功したインテリジェンス

     2011/07/10 / 日本 …

『Z世代のための日本戦争史講座』★『1946年に「敗因を衝くー軍閥専横の実相』で陸軍の内幕を暴露し東京裁判で検事側の 証人に立った陸軍反逆児・田中隆吉の証言⑤』★『米軍の本土空襲はあり得ない、疎開は卑法者の行為」と主張した東條英機首相』

 2020/01/09  『リーダーシップの日本近 …

no image
最高に面白い人物史⑩人気記事再録★『全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライ』-『大切なのは英語力よりも、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインドだよ』

2004、11,1 前坂俊之(ジャーナリスト) 1860年(万延元年)6月16日 …

no image
『オンライン/鎌倉1日ハイキング』★『鎌倉大仏を見物に行くのなら、すぐその先の800年 前の中世の自然、面影が一部に残る「大仏切通」(鎌倉古道)を 見に行こう」★『朝比奈や名越切通とは風情が異なり、苔むして古色蒼然とした岩崖の迫力は鎌倉七切通で­はここが一番ではなかろうか。』

 2013/12/10 動画再録  『鎌倉紅葉チャンネル』 …

no image
日本リーダーパワー史(144)国難リテラシー・66年前の『大日本帝国最期の日』昭和天皇・政治家・軍人はどう行動したか②

   日本リーダーパワー史(144)   国難リテラシー・6 …

no image
日本リーダーパワー史(429)「上原が頂点を極めた「そのハイタッチ」と<雑草のたくましさ>が<土壇場完封パワー>を生んだ。

  日本リーダーパワー史(429)   「ついに、 …