『リーダーシップの日本近現代史』(238)/『三井物産初代社長から61歳で財界を引退、あとは『鈍翁』と称して『千利休以来の大茶人』となった益田 孝(91歳)の晩晴人生』(上)★『 財界人として鋭く生きて早死にするより、鈍根で長生きして<晩晴>を尊ぶマイウエー』
2012/12/06 百歳学入門(59)記事再録
三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』鈍翁 益田 孝(90歳)
① 人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法。
② 一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く。
③ 長生きするには、御馳走を敵と思わなければならぬ。
④ 私の粗食は、地産地消のものを、なるべく手をかけないで食べる。
⑤ 俗にいう粗衣、粗食は、いつの世にも健康の基。
⑥ 人間、鋭くなろうと気ばると、長生きなんぞできるものではない。
⑦ 「鈍翁」になりきって、鋭く生きて早死にするより、鈍根で長生きせよ
⑧ 天海僧正は百二十五歳、その養生訓は「正直、粗食、日頃だらり、たまには
放屁なさるべくそうろう」
⑨ 物事にアクセクせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、
⑩ つまりは「鈍」で行け。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』鈍翁 益田 孝(91歳)
益田孝(ますだ たかし)嘉永元年10月1848年11月―昭和13年(1938)、草創期の日本経済を動かし、明治維新後、世界初の総合商社・三井物産を設立、初代社長。
益田孝は1848年(嘉永10)11月12日、)新潟県佐渡ケ島(佐渡市)の地役人、益田鷹之介の長男で生まれた。父親は下級武士だが、非常に優秀な人物で、黒船が来航すると箱館(函館)奉行所勤務となり、その時に少年の孝(幼名・進)も一緒にしばらく箱館に住んだ。
当時の箱館は、横浜、長崎などとともに開港地として賑わう国際的な都市で、益田は奉行所の教育所で、英語を習った。そして、父親が江戸の外事係を命じられると、江戸に移り、子供ながら英語がうまいので、外国方通弁御用(通訳)として安政6年(1859)、麻布善福寺のアメリカ公使館に勤務することになった。そこでさらに本場の英語を学び、初代駐日米国公使・ハリスに接して大きな影響を受けたという。
1862年(文久2)9月14日に薩摩藩の行列に乗馬した英国人3人突っ込み、無礼打ちされ1人死亡、2人重傷した生麦事件が発生、翌63年(同3)8月にはこの事件をめぐって薩英(薩摩×英国)戦争が起こった。幕府はこの謝罪のために遺仏使節・池田筑後守、益田鷹之助らの一行を派遣するが、益田孝は父の従者として随行し、ヨーロッパの進んだ文明を目の当たりにする。
ちなみに同じ年に伊藤博文(22歳)や井上馨(28歳)らも英国へ密航しているが,益田少年は当時15歳なので、最も早くヨーロッパを知った最も若い日本人だったといえる。
帰国後は幕府陸軍に入り、1868年(慶應4)1月騎兵頭並みに昇任。
明治維新(同年11月)後は商売を始め、その才を認められ、アメリカのウォルシュ・ホール商会に入り、維新の元勲・井上馨と知り合い、彼の勧めでで大蔵省入りし、官僚になるも予算編成を巡って井上や渋沢栄一とともに下野し、井上と「先収会社」を設立。この会社が旧三井物産の前身となる。明治九年に三井銀行、三井物産(旧)が設立されると物産の社長に就任した。
益田孝、三井功旺委員会https://www.mitsuipr.com/history/columns/014/によると、
この先収会社は、本店を東京に、支店を横浜、大阪、神戸に置き、陸軍省御用として毛布、武器などを輸入するほか、銅や石炭、紙、米などを販売した。ところが、明治8年(1875)12月、総裁の井上馨が元老院議官に任命されたため、先収会社は閉鎖を余儀なくされる。
失業した益田だが、井上を通じて、三井の大番頭・三野村利左衛門から「貿易商社を興したいから、先収会社の連中を連れてきてもらいたい」とスカウトされた。明治9年(1876)、先収会社を前身とする「旧三井物産」が発足。益田は初代社長に就任した。当初、社員は20名足らずでだが、三井組で国内の諸物産販売を取り扱っていた「三井国産方」を合併し、社員は70名以上に拡大した。特に山口県の地租引当米の販売や西南戦争では莫大な利益を収めた。
明治から大正初期にかけての日本の近代化は世界史に例のないほど凄まじいもの。幕府以来の大資産家が次々に潰れていき、現在まで残っているのは三井、鴻池、住友など数えるほど。旧態依然とした江戸の大商人では時代の荒波を乗り切れなかった。
そんな中で、益田は新しい産業に対応し、近代的経営を導入し、三井物産を世界の大商社に育て上げた。日本近代化の大きな一翼を担ったのが三井であり、益田孝だった。。明治40年代の三井物産の年商は約2億円、当時の日本の貿易総額のほぼ2割を占めていた。わずか、16人でスタートした三井物産を日本一にした益田は、三井物産(三井合名会社)の後継者に団琢磨を据え、第一線を退いた。61歳の時だ。
そして、本格的に茶の湯の世界に入った。「鈍翁」との号は、明治41年(1908)に開いた還暦自祝茶会からで、入手した黒楽茶碗「鈍太郎」(表千家六世・覚々斎宗左作) にちなんでつけた。
茶道はビジネスともちろん、実社会とは一歩離れた「感性の世界」だが、競争とは無縁の感性の世界だが、益田はリーダー的存在になっていった。1938年(昭和13)に91歳で没するまでの約30年、『鈍翁』「耳庵」(松永安左エ門(96歳)らが中心となった関東の茶道は、関西の千家をしのぐぐほど活発になり、鈍翁,耳庵の茶席に呼ばれることが政治家や経済人の格付けになっていった。
つづく
関連記事
-
-
百歳学入門⑦<クイズ>長寿で最後までリーダーパワーを発揮した日本の政治家は誰ですか①!?
百歳学入門⑦<クイズ>長寿で最後までリーダーパワーを発揮した政治 家は誰ですか① …
-
-
『60/70/80代への良寛<生死一如>お笑い講座』★『80歳の金持ち老人が「わしは百歳まで何とか生きたい。よい方法はないかな」と相談にきた』★『良寛は「たやすい御用じゃ。それくらいなら簡単じゃ』★『答えは!〇〇と大笑した』★『 「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。 死ぬる時節には、死ぬがよく候。 これ、災難をのがるる妙法にて候」
2021/08/19 『百歳学入門」再録 「 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(167)記事再録/『柔道を世界的なスポーツにした嘉納治五郎』★『嘉納治五郎が招へいに成功した幻のオリンピッ ク(1940年昭和15 年の東京大会)』
2015/12/14/世界が尊敬した日本人(38)記事再録 前坂 俊之(静岡県立 …
-
-
百歳学入門(66)世界一の伝説の長寿者は?スコッチの銘酒『オールド・パー』のレッテルに残されたトーマス・パー(152歳)
百歳学入門(66) 「<世界一の伝説の長寿者は!?> スコッチの銘酒 …
-
-
「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『幕末、明治維新から約170年、日本を近代国家に発展させる基礎を築いたのは誰か?』★『勝海舟(76歳)であり、その大国難(徳川滅亡→明治維新を平和裏に遂行)突破力を学ぶ』『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』★『1千兆円(2012の時点)を越える債務をふくらませた政治を一喝、直ぐ取り組めと厳命)
2012/12/04 /日本リーダーパワー史(350)記事再録 「国家興亡史の第 …
-
-
『オンライン講座/作家・宇野千代(98歳)研究』★『明治の女性ながら、何ものにもとらわれず、自主独立の精神で、いつまでも美しく自由奔放に恋愛に文学に精一杯生きた華麗なる作家人生』『可愛らしく生きぬいた私の長寿文学10訓』
2019/12/06 記事再録 …
-
-
知的巨人の百歳学(131)-『石油王・出光佐三(95)の国難突破力/最強のリーダーシップ/晩年長寿力』★『『人間尊重』『つとめて困難を歩み、苦労人になれ』『順境にいて悲観し、逆境にいて楽観せよ』★『活眼を開いてしばらく眠っていよ』
2011/07/31記事再録/ 日本リーダーパワー史(179) 『国 …
-
-
知的巨人の百歳学(114)徳富蘇峰(94歳)の長寿人生論「体力養成は品性養成とともに人生の第一義。一日一時間でも多く働ける体力者は一日中の勝利者となり、継続すれば年中の勝利者、人生の勝利者となる』★『世界的作家の執筆量ベスト1は一体だれか。『近世日本国民史』(百巻)の徳冨蘇峰か?!』
知的巨人の百歳学(114) 体力養成は品性養成とともに人生の第一義。 …
-
-
★『この夏の思い出/稲村ヶ崎サーフィン総集編②』-『台風18号の波はどうか、胸くらいかな(9/15)』★『稲村ヶ崎ビッグサーフィン/上級テクニック学習動画(20分ぶっちぎり)ー台風15号接近中の稲村ヶ崎海岸』
★『この夏の思い出/稲村ヶ崎サーフィン総集編②』 今朝(9/15AM6,50)の …
- PREV
- 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(201)』-冬の京都・三千院、比叡山延暦寺、湖西の石山寺、三井寺を周遊、『この数年ヨーロッパばかり回り、石造り建築の露骨な存在感に食傷しておりましたので、自然と一体となった日本の寺院建築の楚々とした佇まいに改めて魅了されました。』
- NEXT
- 『リーダーシップの日本近現代史』(239)/★『三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』益田 孝(91歳)(下)『「鈍翁」となって、鋭く生きて早死により,鈍根で長生き』★『人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬ一番の健康法』★『 一日に6キロは必ず歩く』★『長生きするには、ご馳走は敵』★『物事にあくでくせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは鈍感に』