現代史の復習問題/記事再録/百歳学入門(84)大宰相・吉田茂(89歳)の政治健康法②「こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられるか」★『総理大臣当時、いやな問題が起こると、血圧が20や30すぐにとび上がった。あるとき、気分が悪いので測ったら、最高230で最低が120もあった』
2013/11/05 百歳学入門(84)
吉田茂(89歳)の総理大臣当時、いやな問題が起こると、血圧が20や30すぐにとび上がった。あるとき、非常に重大な問題で頭を悩まして、気分が悪いというので血圧を測ったら、最高230で最低が120もあった。
(別刷歴史読本』「晩年長寿の達人たち」07年11月号
前坂 俊之(ジャーナリスト)
吉田のジョークは終生、変わらなかった。
1964年(昭和三十九)11月、赤坂離宮での観菊会に出席。昭和天皇から「大磯は、暖かいだろうね」とのお言葉を賜った。「はい。大磯は暖こうございますが、私の懐(ふところ)は寒うございます」と答えると、天皇はキョトンとしたまま。従者の説明に天皇もやっと意味を了解し、二人は大笑いになった。
最後までユーモア精神
最晩年の一日のスケジュールは朝十時に朝食、ひと休みして庭を散歩、付き人と江ノ島などをドライブし、午後一、二時の昼食は来客との会食、昼寝一時間、夕方散歩、夕日を楽し楽しむ。七時ごろ夕食、九時頃までテレビを見る、午後十時前に就寝となっていた。
吉田はフロ好きだったが、晩年は看護婦たちが心臓の悪化をおそれて入れさせなかった。主治医が、腰をかけたまま両方から持ちあげられるイスに吉田をすわらせ、そのままフロの中に入れたこともあった。
同じ年、人に支えられて歩くのをきらった吉田は階段の上り降りもできなくなった。そのため、邸内にエレベーターを作ることになった。しかし、「来客がうるさくて失礼だ」と吉田がしばしば工事を中断させ、ついに完成しないまま亡くなってしまった。
「白足袋宰相」として有名だった吉田は「患者としてはまことに立派な人だった」と、日本医師会会長を長く務めた武見太郎はその著『武見太郎回想録』(日本経済新聞社 1968年)で次のように証言している。
吉田はすべて、自分の知らないことは専門家にまかせるという非常に割りきった考え方をする人だったが、病気についてもそうであった。
「こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるか」
総理大臣当時、いやな問題が起こると、血圧が20や30すぐにとび上がった。あるとき、非常に重大な問題で頭を悩まして、気分が悪いというので血圧を測ったら、最高230で最低が120もあった。そこで武見が、煙草と酒を減らすように注意すると、「こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるものか」といった、という。これが武見に対するたった唯一の抵抗だった。
ある日、これからマッカーサーに会いに行くというとき、血圧を測ったら200を越していた。自分でも少しは気分が悪いというので、降圧剤を注射して、あと塩酸パパペリンを注射して見送った。三十分ほどして帰ってこられ、マッヵーサーと話していたら声が出なくなった。マッカーサーが非常に心配して、すぐに帰って医者に見せろというので帰ってきた、とのことであった。血圧の動揺のひどいときは、50ぐらい動くことがあり、総理大臣の職務がいかに激務であるかがうかがわれた。
武見医師がかけつけると「臨終に間に合いましたナ」
1966年(昭和41)8月、2日ほど胆石のような発作の激痛が起こり、三日目に左肩を貫通するような痛みがでてきた。大磯からの連絡で武見がかけつけると、もう声がカスれていて、呼吸も苦しそうであったが、武見の顔をみるや、吉田は「臨終に間に合いましたナ」といって笑ったという。武見は医者になってから何百件も駆けつけて行った先で相手の患者から、こんなあいさつをうけたのは初めてだった、という。
この吉田は心筋梗塞で入院した時、娘の和子が見舞いに行って、冗談交じりに、「ヤーィ、とうとう腰が抜けちまったじゃないの」と、からかった。すると、吉田はベッドに臥せたまま「なアに、腰が抜けたんじゃない。やっと、腰がすわったんだ」と言い返して、二人して大笑いになった。
ついに最晩年が訪れた。
気分のいい朝は太平洋を望む別邸の高台までこりんと散歩し、ベンチに腰かけて、しばらく相模湾や富士山を眺めながら時間を過ごしていた。岳父の牧野伸顕(大久保利通の次男)は昭和二十年に八十八歳で亡くなっており、「やっと親父の齢に追いついたな」ともらした吉田は1967年(昭和四十二)十月二十日に亡くなった。
享年八十九歳。戦後初の国葬で送られた。
(参考文献)
麻生太郎『吉田茂の流儀』(PHP研究所二〇〇〇年)
『週刊読売』臨時増刊(昭和四十二年十一十五日号「国葬吉田茂」)
関連記事
-
-
小倉志郎の原発ウオッチ(7)長編ドキュメンタリー映画「シロウオ・原発立地 を断念させた町」が完成,説得力あり
小倉志郎の原発ウオッチ(7) 長編ドキュ …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(47)記事再録/『異文化コミュニケーションの難しさ―< 『感情的』か、『論理的』かーが文明度の分かれ目>①『 STAP細胞疑惑問題にみる「死に至る日本病」』
2015/01/01月刊誌『公評』7月号―特集『実感 …
-
-
『オンライン/日本興亡150年史講座』★『「戦略思想不在の歴史」⑭「ペリー米黒船はなぜ日本に開国を求めて来たのか」<以下は尾佐竹猛著『明治維新(上巻)』(白揚社、1942年刊、74-77P)>『開国の恩人は、ペリーではなく金華山沖のクジラである』
2017/12/07 記事再録 <以下は尾佐竹猛著『明 …
-
-
村田久芳の文芸評論『安岡章太郎論」②「海辺の光景へ、海辺の光景から』
2009,10,10 文芸評論 『安岡章太郎論』 村田 …
-
-
日本一の「徳川時代の日本史」授業⑧福沢諭吉の語る「中津藩での差別構造の実態」(「旧藩情」)を読み解く⑧
日本一の「徳川時代の日本史」授業 ⑧ 「門閥制度は親の …
-
-
『オンライン/日本議会政治の父・尾崎咢堂による日本政治史講義②』ー『売り家と唐模様で書く三代目』②『80年前の1942年(昭和17)の尾崎の証言は『現在を予言している』★『 浮誇驕慢(ふこきようまん、うぬぼれて、傲慢になること)で大国難を招いた昭和前期の三代目』
2012/02/24   …
-
-
世界が尊敬した日本人ー「オギノ式」避妊法で世界の女性を救った医師・荻野 久作
世界が尊敬した日本人 「オギノ式」避妊法で世界の女性を救った医師・ …
-
-
<まとめ>日本最強の外交官・金子堅太郎ーハーバード大同窓生ルーズベルト米大統領を説得して いかに日露戦争を有利に進めたか
<まとめ>日本最強の外交官・金子堅太郎について①― 金子堅太郎はハーバード大学同 …
-
-
『オンライン/鎌倉1日ハイキング』★『鎌倉大仏を見物に行くのなら、すぐその先の800年 前の中世の自然、面影が一部に残る「大仏切通」(鎌倉古道)を 見に行こう」★『朝比奈や名越切通とは風情が異なり、苔むして古色蒼然とした岩崖の迫力は鎌倉七切通ではここが一番ではなかろうか。』
2013/12/10 動画再録 『鎌倉紅葉チャンネル』 …
-
-
『Z世代のためのオンライン講座・リーダーパワー史(1256)』★『日本再建にはZ世代のMBL大谷2世を生みだせ!』★『大谷選手は日本が生み出したこの百年間で最高のクリエイティブ・パフォーマー(創造者・起業家)』★『資源がない日本は「マンパワー(人間力)」で発展してきた、米百俵精神(小林虎三郎の精神)、教育しかない』
2022年もあと2ゕ月余となったが、新型コロナ、ウクライナ戦争、世界的インフレな …
