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日本リーダーパワー史(566)「安保法制案」の国会論戦の前に、『わずか1週間でGHQが作った憲法草案①』を再録①

      2015/05/20

日本リーダーパワー史(566)

一連の「安全保障法制案」が閣議決定され、本格的な国会論戦が始まる。この論議のたたき台、資料として「現行憲法がどのようにして作られたか」について拙考を再録する。 

         前坂 俊之(ジャーナリスト)

日本リーダーパワー史(354)

<日本の最も長い決定的1週間>

『東西冷戦の産物として生れた現行憲法』

『わずか1週間でGHQが作った憲法草案①』

秘密の1週間

米ソ核戦争の勃発寸前までいったキューバ危機を描く米映画『5月の7日間』というのがあったが、新憲法制定のドラマは昭和戦後の日本人にとってGHQの密室で行われた『日本の最も長い1週間』であったといえる。

連合国による敗者への裁き、米ソ対立、東西冷戦の激化、のきびしいはざ間に置かれた日本にとって、約1ヶ月間にわたって日米英ソの熱い憲法代理戦争が繰り広げられた。

ドラマの幕開けは太平洋戦争の敗戦からまだ半年もたっていない1946年(昭和21)2月3日、日曜日の朝11時、GHQ民政局長・コートニー・ホイットニー准将からの1本の呼び出し電話で始まる。

GHQの主要メンバー3人に、突然上司のホイットニー准将から電話で「すぐ出て来い」の呼び出し連絡があった。

GHQ(連合軍総司令部)の置かれていた皇居お堀端の第1生命ビルにあわててかけつけたのはケーディス大佐(民生局次長)、ハッシー中佐、マイロ・ラウエル中佐(法規課長)の3人。ホ准将は3人に秘密の指示を下すべく、説明をはじめた。

『最高司令官は憲法草案を書くように命令された。

毎日新聞のスクープをみても日本政府の憲法案はあまりに保守的で、天皇の地位に何らの変更を加えていない。松本国務相は新聞記者に対して、天皇の地位は実質的に従来のままであると述べた。われわれが受け入れられない案を日本政府が提出し、やり直しさせるよりも、提出する前に指針を与えた方が良い、と元帥も指示された」

この2日前の1日、毎日新聞朝刊の「憲法問題調査委員会試案」スクープ記事が直接の憲法作成の導火線となった。

これは松本案そのものではなかったが、それに近い案で明治憲法の枠を一歩もでない保守的な内容にGHQは激怒して、ハーシー中佐が楢橋書記官長に『すぐ政府案を見せて欲しい』と電話し、日本政府も大慌てで松本草案を翻訳して午後4時に民政局に届け出た。

ホイット二-は、マッカーサー元帥にメモで、憲法改正権限の行使を促し、翌2日にはマッカーサーに「最高司令官のための覚書」(毎日新聞のスクープ記事に対する評価について)を提出した。これに対してのマ元帥からの命令が下ったのである。

ホ准将は黄色いメモ用紙を取り出した。これは米国務省での重要書類の色が白色と区別して間違わないように黄色に色付けされたもの。マ元帥の3原則のメモ用紙である。そこには憲法草案の指針として

① 天皇は、国家の元首の地位にある。皇位の継承は、世襲である。天皇の義務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、人民の基本的意思に対し責任を負う。

② 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。

③日本の封建制度は廃止される。皇族を除き華族の権利は、現在生存する者1代以上におよばない。

―などが書かれていた。

ホ准将はこの「マッカーサー・ノート」について丁寧に説明した。ケーディスが「いつまでですか」と締め切りをたずねると、なんと1週間だというのには3人とも驚いて、顔を見合わせた。

毎日のスクープにあわてたのは日本政府も同じであった。

2日には「5日に予定されていた松本案討議のための吉田外相とGHQの非公式会談を7日(木)に延期してほしい」とGHQ側に申し入れた。

マ元帥はこの会談を延期してGHQの手で憲法草案を大至急作って、12日に日本側に示すように指示し、これを受けてホ准将は日本側にさらに1週間延期するように回答していた。

3人は宿舎の第一ホテルにかえり組織作りをおこない、まず3人で運営委委員会を結成し、その下に7つの小委員会を立ち上げた。

立法権、行政権、人権、司法権、地方行政、財政、天皇・条約などの7委員会で、当時の民生局は行政部、朝鮮部があったが、行政部の25人全員をその小委員会のメンバーに割り振った。

2日目にあたる2月4日、会議室に行政部のメンバーが集められ、トビラを厳重に封鎖した後、意意気込んだホ准将は宣言した。

『憲法会議のために皆さんを招集した。日本政府にリベラルな憲法を制定させるようにすることがねらいで、それができれば、憲法は日本人によって作られたものとして元帥は世界に公表することになるだろう』

このあと、ケーディス大佐が憲法作成の組織図、分担と責任者を任命し、テキパキと仕事の進め方を説明した。作業はGHQ内部でも厳重に秘匿され、多局にとくにGⅡ(参謀第二部、諜報・治安担当)には一切漏れないようにされた。

そのため、業務については暗号を用いて、使用される草案、ノートは、すべて「最高機密」として処理され、万一この秘密を漏らした場合は、軍法会議にかけられるーことなどが決めた。こう書くと、法律や憲法のことなど全く無知な米軍人のシロウト集団が急遽集められて、突貫工事で憲法をデッチ上げたという印象を与える。

確かに日本の憲法についての専門家がいなかったことは間違いないが、運営委員会の三人はすべて米国の弁護士で、視野の狭い軍事1本ヤリの日本軍人とは一味違っていた。進駐直後からGHQは憲法改正をめざしており、近衛文麿に研究させるなど準備をしていた。運営委員会には書記としてルース・エラマン嬢が加わった。

ホ准将はマ元帥より17歳年下で法学博士の学位をもつ弁護士。フィリピン戦線からのマ元帥の片腕として働き、元帥の部屋には唯一、フリーパスで出入りできた人物。元帥を動かして、憲法草案をGHQが作ることを仕掛けたのは彼の方だった。

運営委員会の責任者となったケーディス大佐は40歳。ハーバード大学のロー・スクールを卒業した「ニューディーラー派」の弁護士。ラウエル中佐は民生局法規課長でハ大学のロー・スクールの後、スタンフォード大で博士号を取得。

弁護士として法律顧問などをして20年10月に法規課長として着任。明治憲法の研究を命じられ高野岩三郎らの「憲法研究会」や在野の憲法草案を取り入れるなど準備を進めていた。ハッシー海軍中佐はハ大、バージニア大学で法学博士の学位を持つこれまた弁護士出身であった。

メンバーのほとんどは「日本の歴史を書き換えるのだという情熱に取りつかれて」1週間ほぼ、連日2,3時間ほど仮眠するだけで、不眠不休で憲法案文つくりに取り組んだ。その作業は徹底した秘密を保持が成功したラウエル弁護士と回想する。

「部屋の外に見張りがいて、他の部局の人間が来ると、サッと信号を送る。トタンに一同は憲法関係の書頬を裏返しにして伏せ、デタラメの数字を書くふりなどをしてゴマカした。ウィロビー少将も何をやっているのか、しきりに探りを入れようとしたがわからなかった」(週刊新潮編集部編『マッカーサーの日本』(新潮社 昭和45年刊)

起草にあたっては「マッカーサー・ノート」と「SWNCC-288」が基本指針とされ、アメリカの州憲法、ワイマール憲法、フランス憲法、ソ連邦憲法などの各国の憲法も参考にされてた。

前文の起草に当たってはアメリカ憲法、リンカーンのゲッティスパークの演説、テヘラン会議宣言、大西洋憲軍 アメリカ独立宣言などが文言が利用された。

日本の憲法についての資料、本も大学、図書館から秘密裏にかき集められた。起草にあたっては、委員から各問題点について議論百出して、論点が整理されていき最終的に運営委員会で調整してまとめられた。

国民主権と天皇については「天皇の権力、権利、権威を正確に規定した憲法のやり方は、すべてあべこべにし、主権をはっきり国民に置き、国民の代理人である三つの政治部門によって、これを行使せしめることは全員一致した。天皇の役割は、社交的な君主のそれであり、それ以上ではない」となった。

国会は「第1回の会議で、マッカーサー元帥は1院制の議会に賛成だということがわかり、多くはこれを支持した。

その理由は貴族院は廃止されるべきだと考えられたからだ。日本側が主張した職能的、組合的な上院にはどのような形のものに対しても、強い反対があったが、誰もこれを基本的原則だとは考えなかった」

「立法府優位の英国制度と、抑制均衡の米国制度のいずれをとるかが論じられたが、日本に近い英国の制度の方に傾いた。

司法権と立法府の関係は意見が分かれた。過半数は、憲法解釈に関しては最高裁判所に絶対的な審査権を与えることに賛成した」

内閣については意見の対立があった。「小数派は、内閣総理大臣の任命権を天皇に与えることを主張したが、運営委員会は内閣総理大臣は、国務大臣を任意に任命し、罷免する権力を与えられるが、他方、内閣は全体として議会に責任を負い、不信任決議がなされた時は、辞職するか、議会を解散する、と定めた」

「地方自治では、専門委員会のほうは地方公共団体に一種の地方主権を与える考えだったが、日本は国土が小さいので米国の州権のようなものは適当でないということになった」

「土地その他天然資源は国有とする。ただし、適当な補償は払う」などとなった。

十日に、予定よりも二日も早く各小委員会の憲法草案ができあがった。マッカーサー元帥に提出すると、ただ一点、第28条の「勤労者のスト権」の部分が修正されたただけで、直ちに承認された。GHQ側から13日に会談したいと日本側に連絡があった。

このように、「マッカーサー憲法」草案は4日から10日までのわずか1週間の超スピード作業でつくられ、十二日に印刷されたが、この間、厳重な機密保持が成功して、日本側には一切知られることはなかった。

日本リーダーパワー史(355)

<日本の最も長い決定的1週間>『東西冷戦の産物として生れた現行憲法』『わずか1週間でGHQが作った憲法草案②』

なぜ、マッカーサーは憲法制定を急いだのか

ところで、ここまでは知られざるドラマの第一幕だが、なぜ、マッカーサーはこんなにも新憲法作成を急いだのだろうか、それを知るためにはちょうど半年前の1945年(昭和20)8月前後のポツダム宣言受諾、日本占領開始からの連合国側内部での激しい国際外交戦のつばぜり合いをさかのぼる必要がある。

第2次世界大戦の終了と平行して、米ソ冷戦が発火しており、日本の占領政策にも大きな影響をあたえた。

 

スターリンは北海道を真っ二つにして、ソ連に北半分を分割統治させるように米国に強く迫った。かつての大正末期に日本がシベリア出兵で広大なシベリアを占領したことにたいする復讐であった。

日本占領、管理に当たっても最高指令官は連合国の複数候補者から選ぶべきだと強硬に主張したが、トルーマン米大統領は突っぱねてマ元帥を日本に派遣した。

スターリンはドイツ分割で手に入れた巨大な戦利品、巨額の利益を、「2匹目のドジョウを狙って」日本でも得たいと米側に揺さぶりをかけていたのだ。

ベルリンの分割占領が失敗したように、この時、トルーマン米大統領がきっぱりとスターリンの要求をはねのけず、日本単独占領の先手を打たなければ、日本も分断国家になる可能性があった。米国のほぼ単独占領になったのが幸いしたのである。

連合国の日本占領の目的は「国際社会において日本を無害化すること」であり、この具体化として「日本の戦争能力の破棄」と「日本の民主化」の2点が柱であり、この目的達成に『憲法改正』が組み込まれていた。

日本の民主化のポイントが『天皇の大権を取り上げて国会の権限強化と人権の拡大によって「天皇主権」から「国民主権」へと180度シフトする憲法の改正であった。

マ元帥は日本の占領政策の実行に際して、米政府(ワシントン)の意向と連合国の出方、中でもソ連・スターリンの反撃を両にらみしながら警戒していた。

ソ連は日本占領の実務に参加することを強く要求したが、米国はこれを拒否して、10月に日本の管理機関はGHQに一本化され、実質的な権限を持たない極東諮問委員会が設置された。

同月未、米政府は「天皇が存在しなくても占領が満足に遂行できる場合には天皇を戦犯とすることを考慮する」の方針をGHQへ示して、天皇制の存続の可否についての判断はマッカーサーに一任した。

ところが、12月27日、モスクワで開かれたた米英ソ外相会議で日本管理の政策決定機関として極東委員会(13ヵ国の連合国で構成)をワシントンに、同時に連合国最高司令官の諮問機関として対日理事会を東京に設置することを決め、4ヵ国(米英ソ中)には拒否権が認められた。

これは日本占領のお目付け役的な機関で、拒否権を持つことになった同委員会の意向はマッカーサーも無視できなくなった。

マ元帥は自分に相談もなく行ったワシントンの決定に対して、怒りをぶちまけた。同委員会は早速、GHQの占領管理の視察をするためメンバーを日本へ派遣した。

ソ連やオーストラリア、ニュージーランドなどは天皇制の存続に強く反対しており、憲法改正についても同委員会が強く介入する発言、動きが目立った。そうなればこれまで独裁的に占領政策を執行していた元帥のフリーハンドはもはや許されなくなる恐れが出てきた。

いわば、敗戦国・日本が置かれた状況はマッカーサー、トルーマン、チャーチル、スターリンら各国の料理人たちに切り刻まれても何も文句も言えない、正にまな板のコイ状態であったあったのだ。

マ元帥、GHQと米ホワイトハウス、極東委員会の3つ巴の激しい外交駆け引きが展開されていたが、日本政府には全く見えていなかった。

年明けの1月7日に米国務・陸軍・海軍三省調整委員会が採択した重要文書「日本の統治体制の改革」(略称「SWNCC―228」)がマッカーサーへ打電された。

この内容は「それまでの天皇制を否定し、人民主権に基づく政府の確立を中核とする」改革案で「日本人が天皇制を廃止するか、より民主主義的に改革することを奨励しなければならない」としていた。

ただし、その実施方法は、日本政府に命令するのは、「最後の手段として限定し、連合国によって強要されたものであることがなるべくわからないようにせよ。日本国民が知れば受け容れ、支持する可能性は著しく薄れるためだ」と警告していた。

23日には極東国際軍事裁判所が開設され、日本の戦争犯罪人の裁きが始まろうとしており、天皇の戦争責任が問われるかどうかに注目が集まった。しかし、マッカーサーの腹の中はすでに「天皇の擁護で」固まっていた。日本の占領を成功させるために、天皇の協力は不可欠であり、天皇の戦争責任には目をつぶったのである。

25日、マッカーサーはアイゼンハワー米統合参謀本部長あてに「天皇の戦犯除外について」の書簡を送った。

「天皇を戦犯にする証拠は発見されなかった。

もし天皇を起訴すれば大混乱を招き、日本人は、連合国がポツダム宣言の約束を破ったとして、終わりのない復讐の連鎖反応が始まり、日本は共産化するだろう。その場合は100万人の占領軍と数十万の民間スタッフの大量派遣が長期間必要となる。アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだ」

翌26日、66歳の誕生日を迎えたマッカーサーは極東委員会が自分たちの政策に横ヤリをいれて、天皇制を廃止した共和制憲法を押し付けてくるのを、一番警戒していた。

2月26日にワシントンで同委員会の第1回の会合が予定されており、対日理事会は4月5日に開催が決まっており、一刻も早く日本政府に憲法作成を急がせる必要があるーと頭をめぐらせていた。

来日した極東委員会の一行は17日、GHQケーディスに面会して、憲法改正について問いただしたが、ケーディスは「GHQは権限外」と明確に否定し、29日に会ったマ元帥も「極東委員会が発足したので、それまでの憲法改正作業の関与を中止した」と回答していた。

同委員会の憲法改正への強い関心を目の当たりにしてマ元帥の決意はいっそう固まった。2月1日の偶然のタイミンであった毎日新聞スクープがマ元帥の電光石火の行動をとらせる引き金となったのである。

つづく

 - 現代史研究

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