前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

陸 羯南の日清戦争論①韓国問題が日清、日露戦争の原因である『我東洋問題の起因』(『日本」明治27年11月12号)①

      2015/01/01

         

        

 


羯南(くが かつなん)の日清戦争論①

韓国問題が日清、日露戦争の原因―明治初年から

日清(日中)外交、日朝(日韓朝)外交の年表
 『我東洋問題の起因』①

 

羯南(くが かつなん)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%BE%AF%E5%8D%97


  『我東洋問題の起因』 【日本】明治27年11月12日号

 

 神功皇后

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E

 

 

が三韓征伐

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90

 

をして以来、1千年を経て蒙古襲来(元寇の役)があり、千四百年にして秀吉の朝鮮出兵があった。

一の侵攻と二の出兵を除く外は、日本の歴史上では対外戦争はなかった。日清戦争が始まれば実に神功以後千七百年のことになる。王政が衰えて藤原氏が国をもてあそび、鎌倉、室町、豊臣時代を経て徳川時代となった。

この時まで政府(徳川幕府)はただ掌中の私権を失うことを恐れて、国権、国家について少しも考える者はいなかった。北条時宗が蒙古襲来を防いだのと秀吉の朝鮮征伐とは日本史上、絶無で希有のことであった。

 

 

その他の者は皆な何事もないことをよしとして、国外に向けてはただ虚礼(儒教)を修め、物を贈って(朝貢)交際するだけで、これを論じるには値しない。

 ヨーロッパ人の始めてアジアに侵略してきてすでに三百年、当時はヨーロッパ人を「南蛮紅毛」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E8%9B%AE

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%AF%9B

といって、気にもかけなかった、ポルトガル人、オランダ人の九州に来る者は皆なこう呼んで軽視した。航海術がとみに進み、船団をくんで関東の沿岸にくるや、西欧の黒船はたちまち三百諸候の耳目を驚かせた。島国日本はこれより多事騒乱に陥り,ついに徳川幕府は自ら崩壊してしまった。王政が再興して、いわゆる維新時代がきた。

 

この時は海外、各国とは無事は望めなかった。往時のいわゆる外患は今日の常事となり(外交の困難は当たり前)、時勢は功臣(維新の功労者)は太平の栄華に酔うべきではないのに、功臣の希望は時勢と相異なり、藤原氏の栄華を夢見る者が多く、誰も東洋問題(西欧のアジア侵略)に思いを馳せる者はいなかった。

 

 神功の偉業を謳い、時宗の勇断を歌い秀吉の雄図を謡って慷概していた壮士は、王政維新が成就するや、たちまち変じて奈良京都の太平を慕い、あるは鎌倉の威厳を学び、或は室町の風流に倣い、外交を虚礼方物に寓し、坐して征夷大将軍となり、爵禄衣冠以て君国の事を揺譲の間に料理せんとするの端乃ち見はれぬ。

 

内乱始めて息み、士心、猶は安んぜざるの時に当り、休養の策を立てて、以て富裕を民業に与えん欲するはまた名臣の意たるを見る。岩倉具視、大久保利道の殖産論はこれと似ている。

 況んや、欧米の事物は皆な意想の外に出で、其の制度文物の興は長袖の徒を騒がせ、其の船艦砲銃の巧は戎衣の輩を驚かし、農工商の術、その他百般の精は士民の耳目をして聾盲に均しからしむ。

 

要するに西洋という名称は開国の恐怖を惹起したことは疑なし。恐怖は退縮の原因なれば、維新初期の外政は少なくとも西洋に対して幕府と同一の退縮に陥りたり。然れども国の周囲に於ける形勢は退縮を容れず、且つ功臣中にも猶は壮士の気象未だ消えざるものあり。乃ち内乱鎮定の余威を以て海外に加えんと希望す。いま維新以来今日に至るまでの事跡を略叙して、以て東洋間題の実演せられたる其の起因を講究せんと欲す。

 

 

  明治三(1870)年八月、各港在留の清国人にして本邦の禁令を犯す者は、処するに本邦の法律を以ってするの制を定む。

  同十月、上海に仮領事館を置き同地の道台に協議して我が人民の取締をなす。

 

案ずるに当時清国は無条約なり、従て領事裁判枠は彼れの有にあらず、而して我れは仮領事館を以て居留邦民の取締を為さんとせり。

維新の始に於ける我れの対清国策は壮快なりし。

 

○明治四年七月、大蔵卿兼全権大臣伊達宗城、旨を奉じて清国に往き李鴻章と会同して条約を議定す。条約は諸外国との条款を基礎とせり。同八月、伊達宗城は本国より召遺されて帰朝す。これより先き岩倉外務卿条約改正のため欧米行の企あり。宗城の訂約は岩倉卿が帰朝後に決すべきものなり故に召還す。

 

 対清策の当時に定まらなかったのは今日の如きなりしを見る。然れども既に国法を以て在日本の清国人を処分すと為し、領事を以て在支那の日本民を取締ると為せり。訂約は宜しく此に基くべし。故に伊達氏の談判を非として之を召還す。朝令暮改の姿あれども進為の心、取るべきものあり。

 

              【日本】明治27年11月12日号



 - 現代史研究 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
フクシマ原発事故から3年「原発事故で最大2万4千人がガン死亡」「広範囲の除染は困難」の報告書(1984年)公表せず」

 日本のメルトダウン(524)   3/11フクシマ原発事故 …

片野勧の衝撃レポート(74)★原発と国家―【封印された核の真実】⓾ (1974~78)ー原発ナショナリズムの台頭■カーター米大統領の核拡散防止政策

片野勧の衝撃レポート(74) ★原発と国家―【封印された核の真実】⓾ (1974 …

no image
日本リーダーパワー史(656)「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』のトップリーダーの違い」日本は、昭和に入ってなぜ破滅の道を歩んだのか。 『栄光の明治』と、『坂の上から転落した昭和の悲惨』

  日本リーダーパワー史(656) 「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』 …

no image
日本リーダーパワー史(312)百年前を振り返える日中外交裏面史②中国の国父・孫文の『辛亥革命』を助けた日本人たち②

 日本リーダーパワー史(312) 『日中国交回復40年で、尖閣列島で日 …

no image
 日中,朝鮮,ロシア150年戦争史(52)『副島種臣・初代外相の目からウロコの外交論④』●『日本で公法(国際法)をはじめて読んだのは自分』★『世界は『争奪の世界』、兵力なければ独立は維持できぬ』★『書生の空理空論(平和)を排す』★『政治家の任務は国益を追求。空論とは全く別なり』★『水掛論となりて始めて戦となる、戦となりて始めて日本の国基立つ  』

   日中朝鮮,ロシア150年戦争史(52) 副島種臣外務卿 …

no image
速報(388)『日本のメルトダウン』●『“死後硬直”が戻ってくる前に急ぐ安倍首相』●『焦点:深刻化する中国の大気汚染』

速報(388)『日本のメルトダウン』   ●『“死後硬直& …

no image
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 東アジア・メルトダウン(1070)>★『北朝鮮の暴発はあるのか?』★『人間は後ろ向きに未来に入って行く(ヴァレリーの言葉)』●『過去の歴史的な知見にたよりながら未来を想像し、後ろ向きに歩むので、未来予想は誤りやすい』★『それでも、北朝鮮の認識と行動のルーツを知ることは一歩前進ではあろう』

C  1894(明治27)年の日清戦争のそもそも原因は、朝鮮に起因する。 という …

no image
待望の明治史巨弾・1月発売『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』(初現代訳『落下流水』全文

  『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・ 明石元二郎大佐』(新 …

no image
村田久芳の文芸評論『安岡章太郎論」③ 「海辺の光景へ、海辺の光景から』

                                    …

no image
日本興亡学入門②『グロバリゼーションで総敗北するガラパゴス・ジャパン』

日本興亡学入門 ②                                …