前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(341)水野広徳の日本海海戦論④ 秋山真之語る「バルチック艦隊は対馬か、津軽海峡か、運命の10日間」

      2015/01/01

日本リーダーパワー史(341 
 政治家、企業家、リーダー必読の歴史的
リーダーシップの研究『当事者が語る日露戦争編 
「此の一戦」の海軍大佐・水野広徳の
『日本海海戦論④―
秋山真之の語る「バルチック艦隊は対馬
海峡か、津軽海峡か、いずれ通過するか
決めかねた日本史運命の10日間」
 

前坂 俊之(ジャーナリスト)
<以下は水野広徳「主将と幕僚」中央公論(193712月号)>
 
日本海海戦の勝因はどこにあったのか秋山参謀苦心談
 
 日露戦争の初めから終りまで連合艦隊参謀として、東郷長官の帷幄の中に専ら作戦の衝に当った秋山参謀が戦後話したことがある。
 
世人の多くは日本海々戦の絢爛(けんらん)たる大勝を以て東郷長官の偉大を称揚するのが常である。日本海海戦の勝利は誠に壮快であり、その功績は誠に偉大である。
 
だが作戦の方面から見れば、それは日露両艦隊の何れの射撃が上手で、何れの弾丸が強力であるかという簡単な問題であって、このところまで来れば既に賽(さい)は投ぜられたので、勝敗は人意を超越した天意の領分である。
 
幸にわが艦隊の射撃技能が優秀で、弾丸の威力が強烈であったために大勝を博し得たに過ぎない。
いわば勝つべくして勝ったのである。戦争の真の苦心は大砲を打つに至るまでの運算である。
 
 日露戦争中、作戦上最も苦心したことが2回あった。
 
 その1は明治三十七年八月十日、黄海海戦の初期において、旅順港外における第一期合戦が終った時、我が優勢な艦隊の遊撃にあった敵の艦隊の行動に対する判断であった。即ち敵はわが艦隊の優勢を恐れて再び旅順へ退却するか、
               
われと決戦を期してウラジオストックに向い脱走するかである。
敵がその何れの策に出るかを速に判断して、これに対応する策動を執らなければ、われは適当なる作戦の時機を逸してしまうのである。
 
甲は敵の後尾を包んで再び旅順に逃げ込むことを阻止せねばならぬと言う。乙は敵の先頭を押へてウラジオストックへ脱走するのを防がねばならぬという。
 三笠の艦橋上、意見は二つに分れた。
 
 だが秋山が何れの意見であったかは話さなかった。
 
 われもし甲を取って敵乙に出づれば、敵をウラジオストックに逸して了はねばならない。
 また、われ乙に出でて敵甲を取れば、敵を再び旅順の巣に逃さねばならない。
 甲が是か、乙が是か、勝敗を左右する大きなバクチである。
 
みだりに賽は投げられない。焦燥と苦慮との間に一分経ち、二分経った。

東郷長官は甲板に作りつけた木像の如く、黙々として敵の動静を凝視しておる。息詰まる様な光景である。

 
 遂に三分間が過ぎた。敵は我が躊躇に乗じて南西方に直進している。彼我の距離は刻々に増して行った。今は寸刻の猶予も許されない。敵がたとえ旅順に逃げ帰らうとも、ウラジオストックに逃走することだけは防がねばならぬ。
 
 我が艦隊は転舵一杯、直に敵の急追に移った。
 
 この三分間こそは一瞬の様にも感じ、又、三時間の様にも思われた。この苦心は作戦部以外の者にはわかるまい
。「打ち合ひ」 は楽だよと秋山は言った。そして主将に必要なものは「断」であると力強く付け加へた。
 
 秋山の話は続く。
 
 その2は人も知る日本海海戦前、朝鮮海峡に於ける待機である。敵の情報に接せざること既に数日、敵が朝鮮海峡を通るのか、北海方面をまわるのか、全然図り知ることが出来ない。
 
三笠の長官室に何回主脳部会議を開いたとて、結論はいつも同じく「判らない」である。
 
 われ朝鮮海峡を守って敵が北海を迂回するか、われ北海に移って敵が朝鮮海峡を通過するか、何れを守るにしても戦は兵力を東西に分つことを許されないのである。
 
 しかも万一敵をウラジオストックに逸したが最後、戦局の前途は暗雲漠々である。
 
 敵の通路は朝鮮海峡か、北海か。寝ても、覚めても、日本海の海図は脳膜に濃く焼き付けられて消える時とてない。
 
 問題は単なる戦闘の勝敗ではなく、真に国家の安危と興廃とに関するのである。失敗して腹を切つたとて追っ付く問題ではない。迷わざるを得ない、惑わざるを得ない。
 
 だが人間の知能には限度がある。如何に脳漿が石になるほど頭を搾ったとて、到底判断の出来る問題ではない。ここに至っては右か左か、鉛筆も倒して見たくもなる。
 
一か八か、賽コロも振って見たくなる。
 
 易にも見てもらいたくなる。千里眼にも聞いて見たくなる。 遂には迷信と承知しっつ迷信を信じたくなる。
 
 人間の意力と智力との微弱なるに自ら愛想が尽きて、神にもすがり、仏にも祈りたくなる。苦しい時の神頼みの諺がヒシヒシと身にしみる。生れて始めて信仰といふものを理解した。
 
 海戦の二日前なる五月二十五日に敵の艦隊が上海沖に現はれたと聞いた時には、あまりの嬉しさと、あまりの安心さとに、体も心もにわかに軽くなって空中に舞い上り、敵の艦隊をはつきりと目の下に見る様な心持がした。
 
「思はず神に感謝したよ。」
 
 花やかな日本海々戦の勝利を謳歌する人の中の幾人が、此の十日間における長官以下の惨憺たるこの苦心を知っているであらうかと、秋山は当時を回想するかの如く、うっとりと話すのであった。
 
 彼が晩年、明照教に就き、池袋の神様に赴き、大本教にまで行ったのは、恐らくこの時なめた苦験に依り、人間力以上の何物かをつかまんとしたためであらう。
 
 
 あれも大将、誰も大将と、大将の多き今より見れば、彼は一海軍中将を以て病に残れた。風雨多年、苔石の表、誰か彼の為めにその偉積を題するであらう。
 
    やしろにも宮にもあらず草むらの
       石の下にも神は眠れり。
 
        『中央公論』一九三七年十二月号

                                  つづく

 - 現代史研究 , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『AI,人工知能の最前線がよくわかる授業②』-第2回AI・人工知能EXPO(4/4、東京ビッグサイト)-『富士ソフトの「画像認識の勘所、ディープラーニング活用した画像精度向上の施策」のプレゼン』★『V-NEXTの「AIオフショアの力で新時代のビジネスチャンスへ」トラン・ソン社長のプレゼン』

日本の最先端技術『見える化』チャンネル 『富士ソフトの「画像認識の勘所、ディープ …

★10 『F国際ビジネスマンのワールド・ カメラ・ウオッチ(174)』『オーストリア・ウイーンぶらり散歩⑦] (2016/5)『世界遺産/シェーンブルン宮殿』その広大な庭園に驚く(下)。

★10 『F国際ビジネスマンのワールド・ カメラ・ウオッチ(174)』 『オース …

no image
『リーダーシップの日本史』(290)★『日本長寿学の先駆者・本邦医学中興の祖・曲直瀬道三(86歳)の長寿養生俳句5訓を実践せよ

 2013年6月20日/百歳学入門(76) 日本長寿学の先駆者・曲直瀬 …

no image
池田龍夫のマスコミ時評(88)◎『菅元首相が、安倍現首相を名誉毀損で訴え- 海水注入の是非をめぐって(7・19)』など

   池田龍夫のマスコミ時評(88) ◎『菅元首相 …

no image
『オンライン/江戸時代の武士道講座』★『 福沢諭吉が語る「サムライの真実とは・」(旧藩情全文現代訳9回連載一挙公開)』★『 徳川封建時代の超格差社会で下級武士は百姓兼務、貧困化にあえぎ、笠張り、障子はりなどの内職に追われる窮乏生活.その絶対的身分差別/上下関係/経済格差(大名・武士からから商人への富の移転)が明治維新への導火線となった』

『オンライン/武士道講座』『時代考証のないNHK歴史大河ドラマのつまらなさ」 & …

no image
[ オンライン講座/清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』12訓★『 人生は諸行無常や。いつまでも若いと思うてると大まちがい。年寄りとは意見が合わんというてる間に、自分自身がその年寄りになるのじゃ』

    2018/11/18 &nbsp …

『Z世代のための日本世界史講座』★『MLBを制した大谷翔平選手以上にもてもてで全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライの立石斧次郎(16歳)とは何者か?』 ★ 『トミ-、日本使節の陽気な男』★『大切なのは英語力よりも、ジェスチャー、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインド 』

  2019/12/10 リーダーシップの日本近現代史』(194)記事 …

no image
日本メルダウン脱出法(645)アジア開銀(AIIB)参加問題で日本は1人「アジア巨大市場行きのバス」 に乗り遅れるのか、「君子は豹変せよ」

                   日本メルダウン脱出法の失敗か!( …

『Z世代のための日中関係/復習講座』★『日中関係が緊張している今だからこそ、もう1度 振り返りたい』★『中國革命/孫文を熱血支援した 日本人革命家たち①(1回→15回連載)犬養毅、宮崎滔天、平山周、頭山満、梅屋庄吉、秋山定輔ら』

  2022/08/22『オンライン・日中国交正常化50周年 …

no image
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』ー『「withコロナ宣言」でポストコロナの世界はどうなるか』★『GAFAを生み出した「デジタル・ネーティブ/パソコン第一世代」(ミレ二アル(Y)世代(25ー40歳))とすれば,「スマホ第2世代」(Z世代)がwithコロナ社会の未来を拓く』(5月27日)

「withコロナ宣言」―Z世代が未来を拓く          前坂 俊之(ジャー …