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終戦70年・日本敗戦史(87)「ハーグ、ジュネーブ条約」を無視して捕虜虐待、 極刑を指示した東条首相『武士道地に墜ちたりー目には目、歯には歯』⑤

      2015/07/16

終戦70年・日本敗戦史(87)

敗戦直後の1946年に「敗因を衝くー軍閥専横の実相』

「敗戦秘話・裁かれた歴史」で陸軍を糾弾、東京裁判でも検事側の

証人に立った反逆児・田中隆吉の証言⑧

「ハーグ及びジュネーブ条約」を無視して捕虜虐待

極刑を指示した東条首相、参謀本部ー

『武士道地に墜ちたり――に目には目、歯には歯』

「ドーリットル空襲」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AB%E7%A9%BA%E8%A5%B2

七月下旬であったと記憶する。長駆、オーストラリアのシドニー湾に突入し、壮烈無比なる戦死を遂げたわが海軍の特殊潜航艇の勇士の遺骸が極めて丁重に取り扱われ、白木の棺に収めた上に愛用の軍刀をも副えて日本に送り届けられた。流石に日没する所なき国と誇るジョンブルである。私は天晴れであると心中密かに感嘆した。

これより先、わが陸軍部内では、四月十八日、ノースアメリカンに塔乗して、航空母艦ホーネット号より発進し、わが本土を爆撃したる後支那大陸に逃れ、燃料遂に尽きて、武運拙く、我軍の占領地域内に降下した数名の若きアメリカの将校下士官に対する処置についていろいろと取り沙汰されてた。

この処置は本来、大本営が決定するのであるが此頃になって、厳重なる処分を行うことに決定した模様であった。私は局長会報の席上でその不可なる所以を力説して、東条首相の反省を促した。

「彼等はアメリカの純帥府の命によって日本を爆撃したものである。爆撃終ってわが軍の手に捕えられれば既に捕虜である。捕虜は捕虜として取扱うべきものである。これを死刑に処するが如きは武士道に反する」と云うのがその主旨であった。

この時、東条首相はこの意見に同意した。しかし理由は異っている。「アメリカには多くの同胞が抑留せられている。今この将校下士官を死刑に処することは、この抑留同胞を虐待せしむることには成らぬか」と言うのである。

厳刑論者の主張する所は彼等が某国民学校の無心の児童一名を機銃掃射に依り射殺したのは人道に反すると云うに在った。然しそれは表面であって、これに依ってアメリカ国民、特に女性に恐怖心を起こさせ、その反対に依って本土爆撃を断念させることは明かである。

青島要塞攻撃のとき巫山の前進陣地を攻撃したわが部隊は、地形が険峻であったため、多数の死傷者を生じた。しかし、終にこれを占領した。そのときドイツ側は堅固な陣地に拠っていたために一名の負傷者も出さなかった。我軍が近接するや突入直前に手を挙げて降伏した。わが軍はその寸前まで怒りに燃えていたにも拘らず、その怒を押え、このドイツ兵に対し何等の暴行を加うることなく、捕虜として待遇した。

この我軍の武士的態度は痛くドイツ側を感激させたものである。

捕虜の待過に関しては、日本政府が調印し、御批准を経たる国際条約において歴然と規定せられている。勝敗は兵家の常である。勝つも負くるも、三千年来の伝統たる武士的態度を以て終始してこそ大日本民族である。

しかし終に厳重なる処分を行うことに決した。かかる上奏は大本営の所管であるが、上奏文案には陸軍省各局長の連帯を必要とする。私は連帯と肯んじなかったために処刑は伸び伸びとなった。

私の不在中に古参課員が代印を押した。私はこれを取消させた。最後に軍務局の主任課員が来て既に大本営は内奏を終って、あとは正式の上奏をするばかりになので曲げて捺印してもらいたいという。事ここに至っては私の反対は意味をなさぬ。私は印を逆さまに「中田」と押した。そして云った。

「印は押したが反対は何処までも反対だ」と。

敵の爆撃に対しては、我としては正々堂々の陣を張り、防空施設を完備し、我反撃を以て封殺すべきである。既に爆撃を終り、航続能力と戦闘能力を失って、降下せる敵を捕らえて、これを死刑に処し、敵国民に恐怖心を抱かしめんとするが如きは児戯に類する行為である。無知の民衆の私刑ならば、或は己むを得ずとするも、最高統帥府において何が故に此挙に出たかは今に至るも私には不可解の謎である。

二万カイリの太平洋を超えて、はるばる日本に来襲せるアメリカの青年軍人は、わがシドニー湾攻撃の特殊潜航艇の勇士と何等異る所はない。その取扱いは丁重なるべき筈である。

日露戦争において、我軍に十万に近き損害を与えた、旅順要塞のロシア軍が力尽きてわが軍に降伏するや、スチッセル将軍以下の将兵は侃刀を許され、武人の名誉を保たしめられた。しかし、このアメリカの若き勇士はその後上海に送られ厳重なる処分を受けた。わが「ラジオ」はこれを全世界に向って放送した。ああ、武士道遂に地に墜ちたり。

太平洋戦争に於ける惨慶の発端「敗戦秘話・裁かれた歴史」より

昭和十七年四月十八日午前八時、警戒警報のサイレンがけたたましく東京の空に鳴り響いた。市民は内心周章狼狽しながらも、表面努めて平静を装い、各々平素の訓練の示す所に従い部署についた。

正午突如、高射砲が鳴った。続いて空襲警報のサイレンが響いた。私は当時軍省にいた。急いで庁舎の前の芝原に出て空を見ると、南方品川附近に一機のノースアメリカンが我高射砲陣を避けながら西に向って飛んでいるっ大久保附近と早稲田附近と思わる方面からごうごうと黒煙が上って来た。これはアメリカ飛行機の本土に対する第一回の空襲である。

この空襲は全くわが軍部の予期せざる奇襲であって、大本営は上を下への大騒ぎをした。当時,我国内の防空施設は実に貧弱極まるものであって、当局にはその対策に何等の自信がなかったためである。

此日の空襲はノースアメリカン九機から成る、ドゥリットル指揮の飛行部隊によって行われたものであって、此等の飛行幾は航空母艦ホーネット号より発進し、九機の内6機を以て東京を、2機を以て名古屋を、1機を以て神戸を、主として焼夷弾を以て爆撃したものである。爆撃後この飛行機の内一機はシベリヤに、八機は中国に向いその着陸地を求めて飛び去った。

中国に向った飛行機の中、一機は南昌附近に、他の一機は上海東方の海上中に着陸してその乗員八名は我軍の手に捕えられ、東京に送られて来た。上海附近に着陸した飛行機は靖国神社に陳列せられ、軍部はあたかも我軍の高射砲によって撃墜せられたものの如く宣伝した。

この中国において捕えられた飛行士を捕虜として取扱うべきや、あるいは犯罪者として取り扱うべきやは陸軍部内の大問題となった。従って成し得れば之を極刑に処してアメリカ側に恐怖心を起さしめ、空襲を根絶しようとする強硬な議論も起って来たので、その方針の決定に迷ったのである。この強硬論は先づ防空の責任者たる参謀本部側に起こり、次で大勢は逐次これに傾いて来た。然し陸軍省においては必ずしもこれに賛成しない部局もあった。

私の管轄する兵務局は徹底してこれに反対した。軍紀上かる非法行為を軍隊に強いることは許さるべき性質のものでないからである。

しかし、この方針の決定の権限は参謀本部側にあるから、陸軍省は意見を述べることが出来るだけで決定に参与は出来ない。六月の末に到ってこの飛行士を捕虜として取り扱うことなく犯罪者として極刑に処することに方針が定まった。

この方針を実行に移すために、大本営は関東軍司令官、支那派遣軍総司令官、南方総軍司令官、及内地において防空を担任する防衛総司令官に対して軍律の発布を命じた。この軍律は我方を爆撃して捕えたる飛行士は、捕虜として取り扱うことなく総て裁判に付しこの軍律に照して処断することを規定したものである。

この軍律は七月下旬に発布せられた。捕えられたるドゥリットル麾下の飛行士八名は上海の第十三軍の軍律会議に付せられた。畑俊六支那派遣軍司令官

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%91%E4%BF%8A%E5%85%AD

はこの軍律に疑義を抱いて処断を躊躇した。これを聞いた参謀本部は激怒した。そして八月下旬作戦部の有末大佐精三http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%9C%AB%E7%B2%BE%E4%B8%89

を畑司令官の許に派遣してこの飛行士八名を理由の如何を問わず極刑に処すべきことを厳命した。この飛行士は何れも20才前後の若冠の青年であった。然し参謀本部の命令でことごとく死刑を宣告せられた。

そして八名は何等の罪状無きため、天皇の命に依って「命を救われ終身刑に処せられた。しかしながら、この死刑と云い終身刑と言い、捕虜取扱に関するハーグ、ジュネーブ条約によればことごとく違反行為であって、国際正義に基く正当なる処刑ではなかった。

わが参謀本部が、国際条約の蹂躙をも顧みずかかる不当なる方針を決定したのは、次の二つの理由によるものである。

①、極刑に処することに飛行隊将士に恐怖心を誘発して空襲を断念せしめる。

②極刑に処することに依り、飛行士を児に持つ母に反戦思想を抱かしめ、アメリカ国内の和平運動を促進する。

私は戦後、アメリカのある有力な人から、この飛行士処刑の報は反ってアメリカの母親たちを憤激せしめ.又アメリカ国民の日本に対する敵愾心を極度に高揚せしめたと聞いた。

ロンドンタイムスはこの放送を聞いて、「我等はかつてかかる野蛮な国家と同盟の関係にあったことを恥じる」と言って痛烈に日本を攻撃した。

このドゥリットル麾下の飛行士八名に対する処断は、不幸にして人道上許すべからざる悪例を開いた。我等は太平洋戦争の全期にわたり、各地の戦場で捕虜となれる飛行士に対して行われた、耳目を蔽わしむるが如き多くの残虐は、全くその端を、この処断に発したものであることを知らねはならぬ。

昭和十七年四月二十九日、市ヶ谷、陸軍省の大臣応接室でおいて恒例の局部長会報が開かれた。その主催者は総理大臣兼陸軍大臣東条英機氏であった。

この会報の席上で、最も重要なる議題となったのは、南方の戦場において生じた多数の捕虜を如何に取り扱うべきやという問題であった。何んとなれば、此頃、とフィリピンにおけるバターンの戦闘が漸くその局を結び、ここにマレイ、ジャバ、フィリピンの領有を目的とする太平洋戦争における第一期作戦を終了し「これがため十万ににものぼる捕虜を生じたからである。

捕虜情報局長官兼管理部長。・上村幹男中将

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E5%B9%B9%E7%94%B7

は「捕虜の取り扱いはすでにハーグ及びジュネーブ条約において規定されているから、この条約に準拠して一切を処置すべきである」

と主張した。これに対し東条氏は

「太平洋戦争は過去における日清、日露戦争とはその性質を異にする。則ちこの戦争は、亜細亜の解放戦争である、人種戦争である。故に白人捕虜の取り扱いは国際条約の規定に捉わるることなく、次の原則に従って処断すべきである。

  • アジアの諸民族に対し日本民族の優秀性を示すために、現地のみならず、満洲、中国、朝鮮、台湾などに収容所を設置すること。
  • 戦争遂行上に必要なる労力の不足を補うため、働らかざるものを食うべからずとの原則に基き、下士官のみならず、将校も総てその有する特技に応じて労働に服せしむること」と主張した。

上村氏は「条約の無視は後日問題を惹起する恐がある」とて一応は反対したが、東条氏は言下にこれを拒否した。この年五月下旬に、善通寺の収容所にグアム島の描虜、約三百名が到着した。東条氏は飛行機に塔乗してこの収容所を訪れた。そして、「捕虜は国際条約に準拠せず、日本独特の見地に立って取り扱うこととなった。故に働かざるもの食うべからずとの鉄則に依って総ての捕虜に対し労働の義務を課する。もし怠慢の行為があれば厳重に処罰する」と訓示した。

東条氏のこの決定にも拘らず、ジャバを攻略した軍司令官今村均大将

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E5%9D%87

は、国際条約の命ずるままに捕虜を待遇した。五月第一線視察のためジャバに赴いた人事局長富永恭次中将は今村氏に処置を命令違反なりと痛罵した後、収容所に赴いて、捕虜の将官数名を欠礼のかどによって平手で殴打した。

ハーグ条約、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B0%E9%99%B8%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

ジュネーブ条約

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E8%AB%B8%E6%9D%A1%E7%B4%84_%281949%E5%B9%B4%29

http://www.mod.go.jp/j/presiding/treaty/geneva/geneva3.html

この東条氏が決定した方針は、太平洋戦争の全期間にわたり、内地においても外地においても、捕虜に対して人道を無視し国際条約を蹂躙せる多くの残虐行為が行われる原因となった。

日清、日露、日独の戦争における日本での捕虜の待遇は国際条約を尊重し徹底して人道的であったために、全世界の賞賛を博した。旅順の陥落の直後行われた春風駘蕩たる乃木将軍とステッセル将軍の水師宮に於ける会見と、降伏せる将兵に帯剣を許し、武人としての名誉と面目とを得たしめた寛容と、捕虜に対し取られた正義と人道に基く待遇は武士道の華として今もなお世の語り草となっている。

私は山下奉文将軍

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%A5%89%E6%96%87

がシンガポールにおいてパーシバル将軍に対して無条件降伏を強要し、イエスかノーかと即答を求めたとき、武士道地に墜ちたりと嘆じた。本間雅晴将軍

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%96%93%E9%9B%85%E6%99%B4

がコレヒドル要塞においてウエンライト将軍に対し、我が要求を無条件に容れざる限り、一時間後に戦闘員たると婦女子たるとに論なく、砲爆撃を以てみな殺しにすると脅迫したとき此戦争は断じて勝てずと慨いた。

我陸軍の最後の大臣であった、下村定大将

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%AE%9A

は.昭和二十年の九月、私に対して、「アメリカ軍の軍紀は極めて厳正である。恥しいことながら日本軍のそれとは比較にならぬ。この一事を取って見ても、この戦争に敗れたのは当然である」と語った。

残虐行為は如何なる理由が存するにもせよ、正義と人道の敵である。天は決して不正に味方しない。太平洋戦争における日本の敗北は単に道義上の見地に立って論じても当然の帰趨であると言わねばならぬ。

つづく

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