『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の研究』⑲』★『ベルツの三国同盟に対するドイツの態度を批判』★『伊藤博文の<ドイツ批判>と日英同盟への発展』
皇室付き外科医エルビン・ベルツの新聞記事
<W・K・フオン・ノハラ著、 高橋輝好訳『黄禍論-日本・中国の覚醒』(2012年,国書刊行会)より>
エルビン・フオン・ベルツは一八四九年、シュツットガルト近くのビーテスハイムで生まれ、医学生となり、 1870―71年(普仏戦争)に軍医補として従軍し、 1872年にライプチヒで最優等の成績で卒業した。
その後、 一八七六年、血気盛んなころ、その五年前にできた医科大学の教師として東京へ赴き、そこで後に皇太子・嘉仁天皇(大正天皇)の侍医に任命された。彼は二十九年間の勤めの後、諸々の栄誉と勲章を得て日本を離れた。ドイツヘの帰路、対馬海峡峡を横切った。そこは二週間前、ロシア艦隊が東郷の艦隊に敗れて沈んだところで、それによってロシア(そして恐らくヨーロッパ)がアジアにおいて力尽くで優位を獲得しようとする望みは打ち砕かれた。
ベルツの日本滞在期間は部分的に、フオン・ブラント大使のそれと重なり、ベルツはその当時も、その後も機会をとらえては外交官フォン・ブラントの不幸な意見と有害な活動を遺憾とする意見を述べた。
一九〇六年にベルツは、ドイツに帰国した後、書いた新聞記事の中でこう言っている。
「現在、深く根ざした不信、本当に日本におけるドイツに対する明白な憎しみに直而すると、その原因を探ることは我々にとって基本的な関心事だ。我々はドイツの新聞で日本新聞の怒りの爆発の記事を翻訳であるいは整理された形で読むけれども、その深い原因を分析した記事は一本も見たことがない。
分析が試みられたことすらない。その特別な現象を理解するための基本的条件はそのようなものだった。なぜ特別かといえば、ドイツはほんの20年前は日本国内でおおいに信用されていたからだ。どうしてそんな急変が起こり得たかと問うのが一番早道だろう。この関係をはっきりさせることは我々固有の利益になる。
というのは、日本が今日占める地位において、ドイツと良い関係を維持し、不信を除いておくことは、我々にとって重要だ。しかし、そのためには我々はまず日本の立場を知り、その考え方の由来を知る必要がある。
●この点に関し、日本の政治家・伊藤博文はある談話の中で次のように語ったている。
「(三国干渉後)ドイツに対する非常に厳しい論調の新聞記事はまことに嘆かわしいと認めなければならない。そして政府はそれを歓迎しないのは勿論である。しかし、貴方の国(ドイツ)の人も次のことを忘れるべきではない。
かつて日本はドイツに最大限の同情を持ち、いろいろな点で我々のお手本、先生とみなした。しかし、我々が中国に勝った後、上辺だけの友人(ドイツ)はロシア、フランスと一緒になって、我々が骨を折って獲得した勝利の果実をもぎ取ろうとした。
東アジアにおける日本の宿敵、ロシアが異議を申し立てるのは分かる。同じようにフランスが彼らの側に立つのも理解できる。しかし、我々の振る舞いのどの点においても是認され得ないようなドイツの態度は、厳しく、挑戦的な侮辱として、さらに我々固有の問題に対する決して正当化し得ない干渉と受けとめられた。
日本はドイツのそんな態度をすぐには忘れない。ロシアがベルリン会議でドイツのそれを忘れたようには忘れない。加えるに、ドイツ政府の態度は政治的理由によるというよりはむしろ個人的な、我々日本人に対する反感が大きな役割を演じた、ということがあった。
ドイツ皇帝は「黄禍論」の一枚の絵を描いた。その絵において皇帝は、ヨーロッパ文明の神聖な獲得物がモンゴロイドに脅かされていることを示した。この場合、意味するところは特に日本人であることは疑いの余地はない。というのは、無力な中国ではなく、日本という上昇しつつある力こそ危険だからだ。皇帝の絵の中で日本人は放火謀殺犯という高貴な役回りで描かれている。
今誰でも知っているドイツの外交政策は側近によって事実上決められている。というのは、日本の人民が、皇帝側近のその人物と、彼と結びついた政策に不信を抱いていることは本当に驚くに足らないからだ。本当にこんな侮辱があった後で新聞が粗野な方法で不信を表明し、皇帝側近の日本に対する個人的嫌悪感を示す他の証拠があればそれは尚更で、例えば我が皇帝(天皇)の従弟の小松殿下が公務でヨーロッパに滞在した時、ドイツで受けた丁重ならざる扱いがある。彼は他のすべての国で考えうる最良の待遇を受けた、というのに。そして最終的にドイツは、遼東の占領を通して旅順占領の口実とした。日本が多大な犠牲を払って再び占領しなければならなかったまさにあの旅順だ。
我々はこの要塞を既に一度、奪取して占領したからだ。そして我々は次のことを決して忘れない(それを悪く言う者はいないだろう)。それは、我々が戦利品を再び返すよう強制されたのは他ならぬドイツによってなのだ。
なぜならこの干渉がなければ、我々の意見では当時、要塞を領有できたからだ。イギリスは我々に同情的だったし、アメリカは何も異議をさし挟まなかった。我々の目には、我々が今、旅順を巡って悩んでいる恐ろしい損失について責任があるのは、まさに最前線にいたドイツなのだ。
ドイツが我々に対してこの種の政策を打ち出した後、我々はドイツに対しこの種のはっきり敵対的な扱いに感謝していないし、それが一見、母国に無害な気分が待っているように見えても決して歓喜しないということははっきり分かった。更に二、三年後、この旅順が我々の敵、ロシアに占領された時、ドイツがそれに反対しない、という事態が起こった。もし、ドイツでこの過去について正しい認識を持っていないとすれば、嘆かわしい。しかし事実、何も変わらなかった。
もし、一八七〇年の普仏戦争の勝利の後、それまで友好的な一つの国(それが場所的に速く離れていても)が、しかもそれが反感以外の、何ら内的な正当性なしにまったく思いがけず他の勢力と連合して、アルザス・ロートリンゲン(ロレーヌ)の返還を強制してきたら、ドイツ国民の感情がいかばかりか、またドイツの新聞にどんな言葉が躍るか、想像してほしい。
とりわけもし、何年も後、また新しい戦争をして、既に一度占領された土地をもう一度恐ろしい犠牲を払って占領しなければならないとしたら。この場合には古傷は再び腫れあがり、外国の干渉に対するその憎しみはあなたにはわかるようになるでしょう。」
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