日本風狂人列伝(33) 世界的数学者・岡潔は『数学は情緒なり』の奇行の人なり
日本風狂人列伝(33)
世界的数学者・岡潔は『数学は情緒なり』の奇行の人
前坂 俊之(ジャーナリスト)
(おか・きよし/1901一1978)数学者。和歌山県生まれ。世界の数学界で難問とされていた「多変数函数論」の中で未解決の三大問題を解き、話題となる。著書に『春宵十話』『日本のこころ』など。文化勲章受章。
文化勲章(1960年度)を受けた世界的な数学者、岡潔はその奇行、超俗ぶりから〝奇人〝仙人″稀代の奇人、〝現代のアルキメデス″とも呼ばれた。

岡は一九二五(大正十四)年に京大理学部を卒業、パリのソルポンヌ大学に留学してガストン・ジュリア教授のもとで研究、帰国後、広島文理大(現広島大)に勤め、昭和十三年に理学博士となった。フランス語で論文は書いてきた。そのため日本の学界では知る人はすくなかった。だが昭和十一年から十七年にかけて、 この間、世界の数学者がいどみながらも誰も解けなかったドイツのベンケ教授の出した多変数函数論についての三つの問題を、見事に解いてみせた。
研究が進むうちに生活は一層苦しくなり、家族五人のために土地や財産を次々に売り払い、ついに住む家もなくなり、村人の好意でやっと物置を貸してもらいそこに住んでいた。1945年(昭和20)の敗戦直後の食糧難の時代にはイモをつくり、イモをかじって飢えをしのぎながら、研究に取り組んだ。
この『多変数函数に関する研究』でやっと一九五一(昭和二十六)年三月、学士院賞を受賞したが、この時の生活ぶりはー。
掘立小屋の暮らし
物置を改造して板を張り、その上にタタミが六枚、そこで家族五人がセンベイ布団にくるまって寝る、という掘っ立て小屋同然のみすぼらしい暮らしぶりだった。受賞の夜は七輪で五、六切れのトーストを焼いて祝った。岡は受賞の感想を聞かれ、「イモをつくる研究が一番つらかったよ」と言葉少なに語った。
岡は三高、京大の学生時代に〝王将″で知られる坂田三吉と親しく、時には将棋を指しながら、イロイロ教わった。
岡の叔父が大阪で眼科医をしており、大変な将棋ファンで、坂聖二吉と親交を重ねており、医院にも三吉一門はよく訪れた。岡も同席し、観戦したり、指したりしたが、学問のない三吉は岡を尊敬し、一目おいていた。
三吉は「起きている間だけ考えていてはダメ。寝ても覚めても考える。すると、よい知恵がバッと出る」「思案はタケノコみたいなもので、大部分は土の中に埋もれている」と哲学的な話をし、岡もすっかり共鳴していた。岡の数学へ徹底して打ち込む姿勢の中に は、三吉の教えが生きていた。
岡の家には電話がなかった。「電話がないと不便だ!」と奥さんが何度も岡に電話局に申し込むようにいうと、きまって、「俗物!」と大きなカミナリが落ちた。電話など俗物の使う代物というわけ。岡は文明の利器とは一切縁のない男で、電話もかけられない。電気がヒューズがとんで消えても、自分で直せなくて電気屋を呼ぶ。ライターも石か油がなくなるとほうり出してしまって「やっぱりマッチの方がええ」と。
本を読むのをやめなさい
岡が一九三二(昭和七)年にフランス留学から帰り、郷里の紀見峠(和歌山県橋本市)の自宅で休養していた頃、岡は昼間でも雨戸を閉め切った真っ暗な部屋で、机の前だけ一〇センチほど開け、一日中考えにふけっていた。当時、頭の中で考えることを〝実験の場″と称しており、熱心に本を読んでいる友人には「本を読むのをやめなさい。あなたには実験の場が与えられている」と忠告した。タバコとコーヒーが大好きで、飯も食べずに思索にふけっていた。
岡は日常生活には全くの無頓着で、ヨレヨレの背広にノーネクタイ。晴雨にかかわらず一年中雨グッをはいて大学に通っていた。
「雨グッは底がゴムだから、頭にひびかないから思考の妨げにならない。皮靴はフランスの木靴のようで、中から折れず、歩くと頭にひびく。ところが、雨グッ軽くて、足が自由になって、ヒモをしめる面倒がなく、安くて、こんな便利なものはない」というのがその理由。
背広でネクタイは「こんな野蛮なことはせん」としめない。着物を着ても、帯をしめない、「交感神経をしめつけるから」というわけ、ヨレヨレの背広で家に帰って風呂に入るまでは、着替えもしない。夜は着たまま寝床に入ってしまう。全くの無精そのものであった。
一年中等通して、雨グッにコウモリガサ、よれよれの背広にノーネクタイが岡のトレードマークであった。
こうした貧乏生活をしながら、本を書くようなお金になる仕事をもちこまれても岡はいつもあっさりと断った。「時間がもったいない」というのが理由。このため日本語の著書が文化勲章で一躍有名になるまでは一冊もなかった。数学には頭の中の思考を検証する鉛筆と紙、そして本が少しばかりあれば出来る。それ以外の器具はいらない。
絶えず数学のことを考えており、熱中していい考えが浮かぶと、散歩中だろうが、いきなり道端にしゃがみ込んで石や木を拾い、むつかしい数式を書き込んでは計算を始める。解けるまで、時間でも二時間でもしやがみ込んで計算しており、道行く人は何事かと驚いた。
路上に字を書くならまだしも、だれもいない道で突然、大演説を始めたり、小1時間も電柱に小石をぶつけたりしていた。
作家の藤本義一は岡邸に通って、二週間取材したことがあった。それによると、岡には精神的にプラスとマイナスの日が極端にあった。
マイナスの日の岡はイライラして二日中不機嫌であった。電話があると「非国民!」とどなったり、講演会に出かけていっても、マイクの前で「アッーアッー」とテストし「本日は晴天なり、本日は晴天なり」と言ったまま、講演は全くせず、サッサと帰ってしまったり、トホホ・・奇行が目立った。
京都大学助教授時代のこと
講義のために数学教室に行くが、その手前に築山があり、そこの岩に小石を投げるのを日課にしていた。
小石がうまく、この岩にのっかると、そのまま教室に入って数学の講義を行ったが、五、岡六回やってうまくいかないと、Uターンして帰宅してしまった、という。
-九六〇(昭和三十五)年±月、文化勲章を受章した時、岡は思索に集中、興奮してい た。その最中に文化勲章の騒ぎにまき込まれ、思索の糸は途切れてしまった。友人が「もう一度考え直したら」と言うと、「絶対同じ道は歩けない」とカンカンになって怒った。
文部省も岡の〝奇人変人″ぶりを聞き知っており、奈良女子大学長に事前に「本当に渡しても大丈夫か?」と念を押したという。
受章の報に、岡は「これで、定年後もアルバイトをしなくても、食べていける分だけうれしいね」と答えた。
雨靴以外はいたことのない岡が、たった二度だけ皮靴をはいたのは、文化勲章受章の時であった。「数学のもとになるのは頭ではない。情緒だ。数学は印象でやるもので、記憶はかえって邪魔になる。忘れるものはドンドン忘れて行く。これが極意です」と受章後に語った。
二月三日の文化勲章の授与式に出席するのがさあ大変。まさかゴム靴で出席するわけにはいかないので本人を説得して、皮靴をはかせるのに、一悶着。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(124)辛亥革命百年(26) 犬養木堂の『孫文の思い出』ー(東京が中国革命の策源地となった)
日本リーダーパワー史(124) 辛亥革命百年(26)犬養木堂の『孫文の思い出』 …
-
-
「トランプ関税国難来る!ー石破首相は伊藤博文の国難突破力を学べ④』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス』『ルーズベルト大統領をホワイトハウスに訪ねると、「なぜ、もっと早く来なかったのか、君を待つていたのに」と大歓迎された』★『米国の国民性はフェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアンダードッグ気質(弱者への同情)があり、それに訴えた』
2021/09/03 『オンライン …
-
-
『なぜ日中韓150年の戦争・対立は起きたのか』/『原因」の再勉強ー<ロシアの侵略防止のために、山県有朋首相は『国家独立の道は、一つは主権線(日本領土)を守ること、もう一つは利益線(朝鮮半島)を防護すること」と第一回議会で演説した。これは当時の国際法で認められていた国防概念でオーストリアの国家学者・シュタインの「軍事意見書」のコピーであった。
記事再録/日本リーダーパワー史(701) 日中韓150年史の真実(7) 「福沢諭 …
-
-
日本リーダーパワー史(284)日本で最も偉かった財界人は一体誰かー社会貢献の偉大な父・大原孫三郎から学ぶ③
日本リーダーパワー史(284) <クイズー日本で最も …
-
-
日本リーダーパワー史(148)『(資料)明治・大正の政治はどのような実態だったかー長州閥を打倒せよ』(永井柳太郎)
日本リーダーパワー史(148) 『明治・大正の政治はどのような実態だったのか』( …
-
-
日本リーダーパワー史(610)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑤『1888年(明治21)、優勝劣敗の世界に立って、日本は独立を 遂げることが出来るか」末広鉄腸の『インテリジェンス』①
日本リーダーパワー史(610) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑤ 『1888 …
-
-
『日中台・Z世代のための日中近代史100年講座⑤』★『世紀の恋の果たし状ー九州の炭鉱王の良人・伊藤傳右衛門氏に送った「筑紫の女王」柳原輝子の絶縁状の全文ー愛なき結婚と夫の無理解が生んだ妻の苦痛と悲惨の告白』★『1921年(大正10)10月23日「大阪朝日」朝刊掲載』
1921年(大正10)10月23日 「大阪朝日」朝刊掲載 朝刊新報の「筑紫の女王 …
-
-
日本の「戦略思想不在の歴史」⑸『日本最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ勝てたのか⑸』★『当時の日本は今と同じ『一国平和主義ガラパゴスジャパン』★『一方、史上最大のモンゴル帝国は帝国主義/軍国主義/侵略主義の戦争国家』★『中国の『中華思想』『中国の夢』(習近平主義),北朝鮮の『核戦略』に共通する』
日本の「戦略思想不在の歴史」⑤「元寇の役」はなぜ勝ったのか』 クビライは第一回 …
-
-
★『訂正記事』●『いざ、鎌倉へ、2022年の「鎌倉八幡宮の流鏑馬神事」は中止でした』★『これは過去の流鏑馬ハイライト動画です』★『鶴岡八幡宮の鎌倉流鏑馬の動画ハイライト集の一挙公開、アメイジング!?
2019/10/04 記事再録 鶴岡八幡宮の秋の例大祭は2019年1 …
-
-
『Z世代のための国難突破法の研究・鈴木大拙(96歳)一喝!②』★『日本沈没は不可避か』-鈴木大拙の一喝②感情的な行動(センチメンタリズム)を排し、合理的に行動せよ
<写真は24年6月3日午前7時に、逗子なぎさ橋珈琲店テラスより撮影したが、富士山 …
